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大衆本の世界史(3) ヨーロッパ編② : 「バラッド」 − 伝承からネタの宝庫に

 今回は少し脇道にそれますが、ヨーロッパの大衆本と浅からぬ関係にある「バラッド」について紹介します。
 バラッドは中世以前に起源を持つ詩の一種で、欧米の音楽や文芸を支える基層のひとつといわれます。ネットには専門的な研究や情報もたくさんあるので、ここでは大衆本との関係から今につながる歴史をみてみます。

バラッドと大衆本の関係

 実は近世ヨーロッパの大衆本は、200年以上にわたり、コンテンツの多くを他からのパクリに頼っていました。庶民が買えるようコストを下げるためで、大衆本オリジナルといえるのはゴシップや犯罪、小話など一部にとどまります。
 その主要なパクリ元のひとつが「バラッド」でした。

バラッドは書籍とともに元ネタの宝庫(平出)

 大衆本が本物の書籍を元ネタにしようとすると、最大でも32ページしかない冊子に数百ページ分のストーリーを詰め込まなければなりません。その結果、エピソードをカットしすぎて訳わからんのは当たり前、ページが足りなくなってクライマックスの直前で終わってしまう本さえありました。
 その上、本物の書籍は大衆本の30倍の値段(大衆本が定食400円相当だとすると1万2000円以上)だったので、ネタとしておいそれと手が出せるものではありませんでした。

 一方、バラッドを印刷したシートは、大衆本同様に安く売られており、すでに庶民になじみがあったため、大衆本の書き手(おそらく職人や貧乏書生)に元ネタとして重宝されたようです。(困った時のバラッド頼み?)

そもそも「バラッド」とは何?

 現在では「✕✕のバラード」と聞くと哀しげな音楽をイメージします。
 しかし、近代以前のバラード(英語ではバラッド)は、物語に旋律を付けて歌う「物語詩」でした。もともとはゲルマン民族の古い文化で、伝承や即興の詩にメロディを付けて歌っていたと思われます。

 「物語」は、現在では小説・散文として紙に書かれますが、中世以前は叙事詩・物語詩として作られ、口伝で伝承されるのが一般的でした。バラッドもその伝承形態のひとつです。

 上の動画はイギリスの伝統的バラッドのひとつ「エドワード」です。
 この物語は、父親に妻を寝取られた息子が父親を殺してしまうが、実は殺害を指示したのは母親だった、というドロドロのお話です。
 聴くとわかるとおり、簡潔な文で繰り返される旋律のリズムが聴く者を物語の世界に引き込んでいきます。

 一方、定形詩としてのバラッドの構成は、4行で1節とし、2行目と4行目で脚韻を踏む形式とされています。ただし、これは言語や時代によって変化するようです。

伝統的バラッドのひとつ「スカボロー・フェア」(出典・Wikipedia 4節以下略)

 上の詩は、17世紀ころのバラッド「スカボロー・フェア」です。2行目と4行目が "thyme"、"mine"と脚韻を踏み、毎節で繰り返されています。
 1966年、サイモン&ガーファンクルがこのバラッドを反戦歌風にアレンジして大ヒットさせました。しかし内容は、死んだ兵士の亡霊が旅人に無理難題を強いる詩だともいわれ、想像するとちょっと不気味です。

 上の2つの例でも分かりますが、伝統的バラッドの物語は、悲劇や不幸を歌うものが多いのが特徴のひとつといわれています。

吟遊詩人の冒険

 さて、時代は数世紀、前に戻ります。
 イギリス、ドイツ語圏、スカンジナビアはゲルマン系なので、中世までバラッドが古い文化として残っていましたが、伝説や妻・酒などを褒め称えたりする、素朴なものだったようです。
 バラッドがヨーロッパ全体に広まるには、別のきっかけが必要でした。

二種類の吟遊詩人:宮廷のトルバドゥールと、放浪のミンストレル

 それが、吟遊詩人による新しい物語の追加と普及活動です。
 吟遊詩人は、12世紀の南フランスの宮廷に始まり、13〜14世紀にはヨーロッパ中に広まります。吟遊詩人は大きく二種類に分けられ、宮廷内の吟遊詩人である「トルバドゥール」と、賤民で放浪の楽師の「 ジョングルール 」または「ミンストレル」と呼ばれる人々がいました。

 トルバドゥールは、騎士の身分を持つ作詞・作曲家で、王や騎士の武勇、庶民の伝承に題材を得て作品を作り、宮廷内で演奏を行いました。
 トルバドゥールたちにより、カール大帝やアーサー王といった英雄や騎士たちを歌った物語が整理され、蓄積されていきました。

 一方、下級のジョングルールたちは、国中を旅しながら、トルバドゥールの新しい作品や特定の地域で歌われていた俗謡などを次々に取り入れ、街々の酒場や広場で歌いました。英語では「ジャグラー」なので、軽業や手品などを行う芸人集団の一部だったようです。

 ジョングルールは、14〜15世紀にかけて、新たな物語を追加したバラッドを、西ヨーロッパ全体、東ヨーロッパの一部にまでに広げていきました。
 ポルトガルやスペインの「ロマンセ」、「コプラ」なども、吟遊詩人の影響を受けたバラッドのひとつとして数えられています。

「バラッド」の名の由来

 実は、この古い伝統に「バラッド」という名称が定着したのは、吟遊詩人がいなくなった16世紀になってからのことでした。

 「バラッド/バラード」とはイタリア語でダンスの意味なのですが、それがなぜ、この歌う物語詩の名称となったのかは、謎のままです。
 一説では、15世紀にフランスの詩人のフランソワ・ヴィヨンが、たまたまダンス曲に叙事詩を付けたところヒットしたため、イングランドにあった全く関係のない物語詩も「バラッド」と呼ばれはじめ、その後ドイツなどでも採用されたといわれます。(諸説あり!)

印刷物としてのバラッドの登場

 吟遊詩人は、活版印刷が普及する15世紀後半には姿を消していました。
 代わって行商人や街の楽師が、歌詞を一枚の紙に印刷したものをバラッドを歌いながら売るようになります。これがバラッドのシートで、「暦」とともに庶民が買い求めた最初の印刷物といわれます。

オランダのバラッド・シート(Liedblad)、シートを売るバラッド歌い(イギリス)

 シートの登場はバラッドの歴史にとって画期的でした。それまで人によってばらつきのあった口伝の物語が固定化するようになったのです。
 また、庶民にとっては、それまで「聞く」だけだった物語に、「読む」という楽しみが付け加わりました。その習慣が、後のチャップブックなどの大衆本の登場につながっていきます。

 バラッドのシートは、それぞれの地域の言語で書かれていたので、庶民でも読むことができました。楽譜が書かれたものはほとんどありませんが、「○○の旋律で」などの注意書きがあることから、買った庶民は仲間や家族と歌って楽しんだのでしょうか。

 バラッドは、イギリスだけでなく、ドイツ語圏、スペインなどでもそれぞれの言語で歌われ、シートも売られていました。
 ところが、西欧の中でフランス語圏だけは、なぜかバラッドのシートが広まりませんでした。バラッドが歌われていた形跡はあるのに、バラッドのシートはほとんど発見されていません。
 その理由については歴史学者の間でも諸説ありますが、フランスの庶民は文字だけが記されたバラッドのシートよりも、カラーの宗教画の方を好んで買ったからという説もあるようです

聖と俗・過去といま:バラッドの重層性

 ここからは、バラッドが最も盛んだったイギリスを中心にして、その後の変遷を整理してみます。
 
 先に説明したように、バラッドの内容は、古い伝承に起源をもつものと、吟遊詩人が追加した物語が混合していました。
 さらに16世紀になると、行商人や街の楽師がバラッドのシートを売るため、お笑いや下ネタ、事件、スキャンダルなど下世話なテーマを追加していきます。

 こうしてバラッドは、民族の過去に遡るもの、ヨーロッパ共通の物語、日々の刹那的な娯楽など、重層的なコンテンツを抱えるようになります。

おいで、皆さん聞いとくれ
おいらが一曲歌ってやるから
アホのようにおいらは女房と結婚した
将来を試してやろうとして
それがおいらのモメゴトの始まりだった
彼女はとんでもない女だったんだ

20世紀初頭のバラッド:出典・バラッドの世界(茂木健)


ブロードサイド・バラッド : かわら版化して終焉

 16世紀中頃になると、イギリスのバラッドのシートは、道路脇で売り子が歌いながら売ったため「ブロードサイド」と呼ばれるようになります。
 ブロードサイドの普及で、バラッドは本来の「歌う」メディアから「読むため」の情報メディアに変質していきます。

 その結果、先に書いたように、騎士や魔法使い、悲劇の物語などの古いバラッドは、上流階級の書籍や大衆本のチャップブックにパクられ「読む物語」のネタとして吸収されていきました。

 他方、一部のブロードサイドは都会生活者の興味に合わせて、扇情的な殺人事件やスキャンダルなどのニュースに特化し、かわら版化します。

マリア・マーティン殺人事件のブロードサイド。さまざまな版で発行された。

 死刑執行を見物に集まった群衆は、死刑囚の来歴を歌ったブロードサイド・バラッドをわれ先に買い求めたといいます。
 下記は、19世紀の有名なマリア・マーティン殺人事件で、犯人の死刑執行ときに売られたブロードサイドの一つです。かわら版なのに、一応バラッドの形式を踏まえているのが面白いです。この種類のバラッドは「good-night(おやすみ)」というジャンルで、殺人者自らが罪を悔い、事件の顛末を歌うという構成になっています。

<マリア・マーティンの殺害:2, 3節>
……
男はまっすぐ家へ帰ると銃を取った
つるはしと鍬を取った
男はレッド・バーンへ行き
女の墓をそこに掘った

考え無しの若い衆よ、こっちに来て
俺を教訓としておくれ
木に首を吊るされる
俺の不幸な運命を思っておくれ

出典・バラッドの世界(茂木健)

 ブロードサイドは、チャップブックが衰退した後も、庶民のニュースメディアや、産業革命後に起こった労働運動のアジ宣伝紙などととして、20世紀初頭まで生き残りました。
 しかし、後発のメディアである大衆新聞やイエローペーパーに道を譲るかたちで、やがて舞台から姿を消していきます。

新大陸で出会った各国のバラッド

 印刷物のブロードサイドは衰退しましたが、本体の「歌う物語詩」としてのバラッドが消えたわけではありません。むしろ、その伝統は世界に広がっていきます。

大飢饉のアイルランド移民 / カントリー・ミュージック

 スコットランドとアイルランドは、イギリスの中でバラッドが最後まで残っていた場所です。しかし、庶民は「囲い込み」で農地を失なうなど、イングランドの圧政と弾圧に苦しみます。19世紀にはアイルランドのジャガイモの疫病による大飢饉も起こり、人口の4分の1以上が北アメリカへ移民しました。彼らはアメリカで二級白人として苦難の歴史を歩みますが、同時に、携えていったバラッドはアメリカの風土に根を下ろします。

 同様にフランス、スペイン、スカンジナビア、ロシアなど、さまざまな国に残っていたバラッドも移民とともにこの新天地にやってきて、再び巡り合うことになります。
 海を渡ったバラッドは、カントリー&ウエスタンや黒人音楽とも混じり合いながら、その後のロックやフォークソングなどアメリカの大衆音楽の基盤をなす重要な一部となっていきました。

バラッド、再びイギリスへ

 第二次世界大戦前までにイギリス、特にイングランドでは庶民の間の伝統音楽はほとんど失われていました。
 そこに戦後、アメリカで新たな力を得たロックやフォークが押し寄せ、イギリスの若者たちはギターを手にして歌い始めました。やがて彼らは、自分たちの音楽的なアイデンティティを探すようになり、伝統音楽に目を向けるようになります。

ボブ・ディラン / ビートルズ(Wikimedia commons)

 そんな中、1963年ボブ・ディランが、イギリスのバラッドを引用した傑作「激しい雨が降る」を収録したセカンド・アルバム「The Freewheelin' Bob Dylan」で大ヒットを飛ばします。バラッドが、再び庶民の若者の元に戻ってきたのです。
 スコットランド出身のビートルズも、多くの曲にバラッドのモチーフを用いました。名曲「エリナー・リグビー」、「ノルウェーの森」などはバラッドそのものです。さらに、U2、ローリング・ストーンズなど多くのブリティッシュ・ロックが後に続きました。

 歌う詩としては消え去ったかに見えたバラッドは、活躍の場を得て、世界の若者たちの心に再び蘇りました。不合理な世界と言葉で戦うヒップホップやラップもまた、バラッドの遠い子孫なのかもしれません。

 かつて大衆本の元ネタとなったように、古いバラッドは、21世紀のミュージシャンたちにも新しい刺激を提供し続けています。

おわりに

 バラッドは、すでに18世紀ころから価値ある文芸と評価されるようになり、文学者によって収集・整理されてきました。現在も世界中に愛好団体があります。また、ミュージシャンやクリエーターが創作の糧として活用するなど、いまだに人々を惹きつける存在であり続けています。

 パクリ本として無視されて消えた大衆本とは、えらい違いです。
 でもね、

  バラッド、そんなに偉いのか?
  大衆本、そんなにクソなのか?
  どっちも貧乏人の憂さ晴らし
  庶民の娯楽に貴賤なし
  歌ってみろよ、読んでみろよ
  オレらの気持ちわかるだろうヨ
  ヘイ!  

(本連載の一覧)

(1)17世紀の謎・ヨーロッパと日本で大衆本が同時発生
(2)ヨーロッパ編① :人気コンテンツは?
(3)ヨーロッパ編② :「バラッド」 − 伝承からネタの宝庫に

(資料)

<書籍>
バラッドの世界 (茂木 健)
吟遊詩人 (Truth In Fantasy)  (上尾信也)
チャイルド・バラッド (山中光義 ほか訳)
やまなか・みつよしのバラッド・トーク (山中光義)
   ※ 絶版本もあります

<Web>
魅惑の物語世界:やまなか・みつよしのバラッド・トーク
日本バラッド協会・研究ノート
Traditional Ballads(米国議会図書館) 
Scottish Ballads And Popular Culture
Broadside Ballads Online 
Medieval Ballads ( スウェーデン民俗音楽センター )
Early Modern Broadside Ballads:Free to the Public as Text, Art, and Music
Spanish Ballads. Origins. Classification.
The German ballad: Tradition and transformation. (学位論文)


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