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私は「うつ依存症」の女 エリザベス・ワーツェル
p22
そもそもなぜ私が機械的なテニスの素振りやサッカー、平泳ぎ、ロープの縛り方といった軍隊のようなことを強制されなくてはいけないのか、さっぱり理解できなかった。
すべては、決して避けられない死に向かう間の、ただの時間つぶしではないか。十二歳になろうとしていた私はすでにあの時点で、人生が死ぬまでの長い気晴らしだと信じきっていた。
彼女が鬱を発症したのは小学生のころ。自傷癖があり恋愛にのめりこむ性格である。ハーバードに入学してからも症状は続き、精神科のケアをいくつも受けた。20歳で良い薬に出会い、自殺未遂などを経てようやく症状が落ち着く(というところで本書は終わる)
クリスティーナ・リッチ主演で映画化もされています。映画で見ると怒鳴り合う夫婦の姿がリアリティすごい
主人公はステレオタイプな「メンヘラ」であり、とにかく他人に構ってもらいたいタイプ。うつ病というより、うつ症状を伴う何か別の精神疾患のように見える。
第13章で、医者から「不定型性うつ病(atypical depression)」と診断されたが、それもプロザックが効いたことから逆算してつけられた病名である。
p233
「患者は、よい出来事には肯定的に反応することができ、食事や性行動などの単純な楽しみを享受することもできる。睡眠時間が多い、食べすぎるなどの傾向がみられる。定期的にうつ症状があらわれるのではなっく、慢性的に症状が見られる。多くは思春期に発病し、やる気、興味、自発性に欠け、拒絶されること———とくに恋愛関係———に過敏に反応しやすい」
母親が過干渉であり毎日電話する必要があるなど、親子関係に問題があることが繰り返し描かれている。
p72
母は私にポーズをとらせ、二人で腕を組んだところを他の親に頼んで写真を撮ってもらった。いかにもすべてがパーフェクトでノーマルなように。
なぜ母がそれほどまでしてすべてうまくいっているような振りをするのか、私にはどうしても理解できなかった。明らかに何もうまくいってなかったのに。そのエネルギーを、問題を認めて解決することに注げば、きっと問題はなかったと思う。
(離婚した父親は娘に無関心だが、ときどき関心を持つようなそぶりを見せるタイプ。記事によると実は生物学的な父親ではなかったとのこと)
書籍が出版されたのが1994年なので、今読むとあまりセンセーショナルな感じはしない。当時はまだ「毒親」などの概念もなく、映画「17歳のカルテ」が1999年なので、メンヘラものとして新しかったかもしれない。
「うつになれば優しくしてもらえる」と無意識に学習してしまうと、そのメカニズムによって落ち込みが反復されるケースがあるらしい。
p197
いつか精神分析医が、極度なうつ状態にある患者にセラピストが犯しがちな過ちは患者にやさしくすることだ、と説明したことがある。
やさしさが、うつ状態と患者の悲惨な状況に均衡状態を生みだし、患者が現状にはまってしまうからだという。
p129
入院が必要なほどひどくなれば、救済方法はあるし、治療費を払う保険もある。でもひどくなるまでは、自分ひとりでやるしかない。
著者は2020年1月に癌で亡くなっている。享年52歳
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