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「身体はトラウマを記録する」 ベッセル・ヴァン・デア・コーク

トラウマの記憶を処理するのと、内面の虚しさと向き合うのとは、まったく別の問題だ。内面の空しさとはつまり、望まれたり、関心を向けてもらったり、真実を語らせてもらったりしたことがなかったために生じる魂の穴だ。

p492

「トラウマ」に由来する症状と「内面の虚しさ」を区別しているところが、本書の大きな特徴です。

精神科医である著者が30年間で行ってきた研究と多くの実例。全580ページのうち後半(第5部)はすべて治療についての記述になっている。
巻末に収録された索引/原注が分厚い(80ページ)


第1部 トラウマの再発見

p122
私たちは何よりもまず、患者が現在をしっかりと思う存分に生きるのを助けなくてはならない。そのためには、トラウマ体験に圧倒されたときに患者を見放した脳の組織が働きを取り戻すように支援する必要がある。(中略)

散歩をしたり、食事を作ったり、子供たちと遊んだりといった、日常のごく当たり前のことに満足を感じられなければ、人生に置き去りにされてしまうからだ。

第3部 子供たちの心

解離———知っていながら知らずにいる

p200
解離の特徴は、当惑したり、圧倒されたり、見捨てられたり、世の中から隔離したりしているという感覚や、自分は愛されておらず、空虚で、無力で、八方ふさがりで、重苦しいという思いだ。

自分の知っていることに耐えられなかったり、感じているものを感じられなかったりしたら、あとには否認と解離という選択肢しか残らない。この機能停止の最も破壊的で長期的な影響は、心の中に現実感が湧かないことで、子供クリニックの子供で私たちが目にした症状であり、トラウマセンターにやって来る大人や子供に見られる症状だ。現実感がないときには、何もかもがどうでもよくなり、その結果、自分を危険から守るのが不可能になる。あるいは、何か感じるために、極端な行動に出る場合もある。

p202
私たちの人間関係の地図は、情動脳に刻まれて心の奥に潜んでいるため、どのように作成されたかを理解するだけでは元に戻せない。

トラウマの治療において、治療者が患者のトラウマの詳細を知ることは重要ではなく、患者自身が自分の感じているものを感じ、知っていることを知るのに耐えられることが重要であるという話。


トラウマ歴をどう聴取するか

1985年、境界性パーソナリティ障害と、それに近い人格障害の研究を行ったグループで、彼らの子供時代についての質問がなされた(「子供のころ一緒にいて安全だと思える人はいましたか?」)
これまで、科学的研究でこのような項目が聴取されたことはなかった。

p236
ずっと以前に誰かといっしょにいて安全だと感じた記憶がある人は、大人になっても、日常生活においてであろうが、良いセラピーにおいてであろうが、同調した人間関係が実現すると、その幼いころの愛情が再活性化されうる。

p244
人は、孤立していて守られていないと感じれば感じるほど、そこから逃れるには死ぬしかないように思えてくる。

p269
人生にはつきものの失望にどれだけうまく対処できるかを予想するうえで最も重要なのは、生後二年間におもな養育者との間に築き上げた安心感の水準だった。

赤ん坊のころの養育者が不適格だった人は希望がないかというとそんなことはなく、ひどい環境から立ち直った人のエピソードもたくさん紹介されている。
(彼らの幼少期の話が出てくるので、読むのが辛い部分もあります)


母親のいない男性たち

母親と赤ん坊の関係性に注目した研究者には、上流階級イギリス人男性が多い。彼らはみな全寮制の学校で、幼い頃に家族と引き離されている。

p180
科学者というのは、自分が最も不思議に思うことを研究するものなので、他の人々が当たり前と思って気にもかけないテーマの専門家となる。

p181
「1984年」は、人間が権威ある立場の人に愛され、認められるためには、自己感覚も含め、自分が正しいと思っているものいっさいを犠牲にするように仕向けられうることを、見事に示している。

「1984年」を書いたジョージ・オーウェルも全寮制の学校出身。作品内には、たとえば以下のような記述があります。
>権力は相手に苦痛と屈辱を与えることのうちにある。

(いわゆるブルシットジョブや、会社/地域で行われる無意味に見える活動も、無意味(苦痛)だからこそ意味があるのでは。パワハラやセクハラも、相手が嫌がっているからこその「権力」なのかもしれない)🐰💭


問題が解決策であるとき

肥満治療の現場で、流動食や胃の手術により体重を減らしても元に戻ってしまうケースが紹介されている。ある刑務所の看守は減量に成功したが、やはり巨漢に戻ってしまい「そのほうが安全だと感じることができる」と。

p246
 レイプの犠牲者のある女性は、フェリッティにこう語った。「太り過ぎの人は目をつけられません。私も狙われないようにしている必要があるのです」


第4部 トラウマの痕跡

トラウマ性ストレスについて、患者自身がその存在に気がつくことで回復する場合もあるけれども、すべてのケースに共通するわけではない。
手術中に麻酔が切れた患者や、交通事故に遭った人は、「何が起きたか」を理解してもフラッシュバックは消えなかった。

p321
1893年のブロイアーとフロイトの主張とは裏腹に、トラウマを、それを結びついた感情のいっさいとともに思い出しても、必ずしもトラウマは解消しないのだ。(中略)
研究参加者の大半は、筋の通った話を語り、そうした話と結びついた痛みも経験できたが、耐え難い光景や身体的感覚につきまとわれ続けた。


第5部 回復へのさまざまな道

p381
 人は沈黙を守ることによって悲観や恐怖や羞恥心を制御できると思うかもしれないが、名前をつけることは、また別のかたちで制御する可能性を与えてくれる。『創世記』でアダムが動物界の管理を任されたときに最初にしたのは、すべての生き物に名前をつけることだった。

人は傷つけられたことがあったなら、自分に起こった出来事を認めて、それに名前をつけなければならない。

第5部はかなり長い(p332-580)
セラピー、投薬、認知行動療法などのメジャーな治療法以外に、以下の治療が紹介されている。

・ヨーガ、マインドフルネス
・セルフリーダーシップ(IFS=内的家族システム療法)
・EMDR
・ストラクチャー(内面を実際の人やモノで再現する)
・ニューロフィードバック
・リズムと演劇(を演じる)

EMDRについては、長くなったので別の記事にまとめました
https://note.com/hebiyama3/n/naaec3040a6f4


精神的ストレスと免疫機能

「安心感や快適さの増大は、免疫系の機能向上に反映されるのではないか?」という仮説をもとに、自己免疫疾患(関節リウマチ)の患者グループに心理学的な治療を試みたときの記述 ↓

p482
その結果、子供のころにほぼ全員が、人の目には留まっても話を聞いてもらえない存在だったことが判明した。彼らにとって安全とは、自分の欲求を隠しとおすことを意味していた。

第8章で紹介される患者(マリリン)も、紅斑性狼瘡という自己免疫疾患になる場面がある。


(以下は内容うまくまとめられなかったけど、個人的に気になった箇所のメモです。2016年に読んでからの再読)🐰💭

p146
でも、もちろん、人は何か重大なことを言うときには、よく冗談を言っているふりをするものですよね。

p400
(兵士たちが黙り込む)本当の理由は、自分が伝えようとするひどい話に、誰もたいして興味をもっていないとわかったことだ。心を掻き乱され、動揺させられるような話を好き好んで聞く人などいるのだろうか。

p507
幼少期に経験する痛みと窮乏が多いほど、私たちは他の人々の行為を自分に敵対的に向けられたものと解釈しがちになり、彼らの葛藤や不安や懸念に対して思いやりを示さなくなる。

p587
大切に思っている人の心の中に自分がしっかりと抱かれていると感じているかぎり、私たちは山を登り、砂漠を越え、徹夜して作業を終える。子供も大人も、自分が信頼する人、その意見を重んじている人のためなら何でもする。だが、もし私たちが見捨てられたとか、無価値だとか、誰にも見向きもされないとか感じていたら、すべてがどうでもよくなる。

追記

COURRIERでのインタビュー記事(2024.08)

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