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たくましく美しい、魚たちのように

みなさんは水族館って好きですか?
私は大好きです。
それがたとえ人間の管理下で健康を保ち、生きながらえている「不自由な存在」だったとしても、水の中でひれをたなびかせながら泳ぎ回るさまを見るのは、自分の縮こまった体や心を思い返すと、とても自由に見えるのです。
サンゴや岩礁の間をすり抜けながら、自分の体を震わせながら、異性にアプローチして子孫を残していく姿は、ちょっと人間のそれとは違う感じがして、その強さが愛おしいと思うのです。

20代のはじめ頃、当時はまだまだバブル景気に湧いていた頃で、いろいろな地域に大きな水族館が次々と出来、それを巡るのが楽しみでした。
今でも大好きな葛西臨海水族園や、大阪海遊館、須磨水族園、そして鳥羽水族館。
魚たちをいかに美しく見せるか、隅々まで目線の行き届いた建築デザインは、それだけで私を虜にしました。
葛西臨海水族園の、エスカレーターを降りた正面にバーンと広がる、ハンマーシャークの水槽の静寂は、今でも特に好きな水族館の「演出」です。
魚たちが美しく見えるように、落とした照明の中で見る水槽は、そのものが絵のように美しく、そして魚たちが呼吸し、泳ぐ姿は流麗という言葉がぴったりと当てはまるように思うのです。

おそらく、私の水族館好きは子供の頃の思い出にそのルーツがあるように思います。
小学生の頃から、毎年夏休みになると三浦海岸へと海水浴へ行くのが夏のお決まりの行事でした。
母と弟以外に、母の友達親子が2組、全員で10人くらいの大人数で、伯母が勤めていた健保会社の保養所に泊まり、1日中海で遊ぶのが恒例でした。
朝早い時間の京浜急行に乗って、母の作ったやけにしょっぱいおにぎりと、母の友達が大量に茹でてきたゆで卵を食べながら、当時はボックスシートだった電車に揺られ、終点の三崎口からバスに乗って海水浴場へ。
宿は普通の民家のような雰囲気のアットホームな保養所で、荷物をおいて早速海へ。
海辺に軒を並べる海の家の前にビーチパラソルを立てて、レジャーマットを敷いて。
大人たちは時々気が向いたら海に入る程度で、日焼け止めを塗ってパラソルの下で海を眺めていて、子どもたちは大人たちがうんざりするぐらい、浮き輪とレンタルの波乗りマットを持って何度も何度も海に入っていきました。
ときには岩場の潮溜まりでカニやヤドカリを捕まえたり、遊び疲れたら海の家でかき氷を食べたり。
海から上がったら、海の中で砂だらけになった体を宿の外にあるシャワーで洗い流して、日焼けした体をヒリヒリさせながらお風呂に入れば、食事の支度が出来て料理が運ばれてきます。
これまたアットホームな、エビフライなんかの献立で、それがなんだか楽しかったりもしました。
もちろん大人たちは久しぶりに会った仲のいい女友達同士、ビールを何本も開けて楽しい時間を過ごします。

と、それは前置きのようなものかもしれません。
ちょっと長かったですね、すみません。
そうして毎年海水浴へ行くと、帰りは決まって京急油壺マリンパークに寄るのが定番のコースでした。
油壷は三浦半島の古い別荘地、といった風情の場所で、当時は城ヶ島から遊覧船なんかも出ていたりして、海水浴以外の観光をしてから帰りましょうか、という感じで帰りにみんなで寄りました。
水族館には大きな回遊水槽があって、魚への餌付けが見られたり、イルカショーやアシカショーを見られる施設もあったけれど、子どもの頃の私が好きだったのは、比較的小さめの水槽。
南の海のサンゴ礁を再現した、カラフルな小さい魚たちがたくさん泳いでいる水槽でした。
普段の生活では見ることのない、華やかな原色の魚たちが、サンゴやイソギンチャクの揺れる水の中で泳いでいるのを見るのがとりわけ好きでした。
まだ見たことのない、南の島の海に思いを馳せるのは、なんだかとても特別なことのように思えました。
でも、他のみんなはやっぱり回遊水槽とかが好きみたいで、すぐに先の方に行ってしまうので、ゆっくり見られたことがなかった気がします。

いつもは家族と行動するのが疎ましく感じていた私も、夏休みの海水浴のときだけは別で、毎年行くのを楽しみにしていました。
今思うと、そのときだけは母がやさしかったんです。
いつものようにヒステリックに怒鳴り散らしたりすることはなくて。
たぶん友達もみんな一緒だったからだろうなと思ったりするのですが。
そして、決まって水族館のお土産売り場で、思い出の品をと、好きなものを選ばせてくれました。
あるときは貝殻を詰め合わせたものだったり、またあるときは魚のぬいぐるみだったり。
そうしたものはその後、追われるように転居した際に置いてきてしまったけれど、今でもとっておけばよかったなとなぜか思っているのは、貝殻やフェイクパールをあしらった、いかにも昭和な感じのハート型の宝石箱。
なんでそんなものに未練があるのか、自分にもよくわからないけれど、子供の頃の私はキラキラしたものが好きだったから、そのせいもあるのでしょうね。
母は決まって桜貝の小さな瓶を買っていたなあ。
窓辺に下げておくと幸せがやってくるんだって、と話していたのを思い出します。
住んでいる部屋の窓辺には必ず、桜貝の小瓶がかけられていましたっけ。

話は戻って、水族館の話。
大人になって、2度の離婚をして、ひとりになってからというもの、水族館に足を運んでいないことに気が付きました。
行ってみたい水族館はたくさんあるんです。
山形の加茂水族館とか、沖縄の美ら海水族館とか、鳥羽水族館ももう1度行きたいし。
別にひとりで行くのが寂しいわけではなく、なんとなくチャンスがないだけで、そのうち水族館のための旅をするのもいいなと思ったりしています。
大きな魚が悠々と泳ぐさまは、やっぱりいいものだろうと思うのです。
ちなみに、今は趣味で熱帯魚を飼っています。
20代の前半に少しだけ飼っていた時期があったのですが、また最近、ふと思い立って、淡水魚を飼い始めました。
最初に飼おうと思ったのはベタという魚。
20代の頃にも飼った経験のある魚で、東南アジアあたりに生息している魚です。
気性が荒く「闘魚」ともいわれる魚なのですが、品種改良が進んでいて本当に見た目が美しいんです。
体を震わせるように長いひれをたなびかせながら泳ぐ姿は華麗そのもので、本当に見ていて飽きないし、癒やされます。
他の魚も飼っているんですが、ヤフオクあたりを探すときれいな子がたくさん売られていて、気がつけば部屋が水族館のようになっていました。
1匹ずつ別の水槽で飼わなければいけないので、水槽だけでもすごい数。
今年の夏の電気代は、電気代そのものが上がっているとはいえ、例年より1万円以上高かったです。
恐るべし水槽。ヒーターを使う冬の光熱費が今から怖いです。

魚を見るのが好きなのは、水に触れる心地よさを想起させるからなのだろうと、個人的には思っています。
海に体を浸して、泳ぐのでもなく、ただのんびりと打ち寄せる波に身を任せていると、すごくホッとするのです。
もしかすると、ある種の胎内回帰なのかもしれないですね。
羊水に浮かんでいた頃の、心地よさだけが記憶に残っているような。
そんな心地よさの中で力強く泳いで、自分の好きなところを目指して行ける魚たちは、自由だなあといつも思います。
もちろん、自然の中で生きて行くのは大変なことではあるけれど、そのたくましさも含めて、魚たちは美しいなと思います。
そんなふうに、美しさを感じさせるたくましさを身につけることが出来たら、自由になれたらと、子どもの頃からずっと考えている気がします。

思い出の場所でもある京急油壺マリンパークは、去年の9月に閉館してしまったけれど、気候が穏やかになったら、三浦海岸辺りまでビーチコーミングをしに行くのもいいかもしれないな、なんて思っています。
幸せをもたらしてくれる桜貝を探すのも、いいかもしれないですしね。
今夜は旅のプランを考えながら、お酒を飲もうかなと思います。


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