フォローしませんか?
シェア
田村 息信
2024年6月3日 13:59
日常、生活をしていて、問題が起きることがある。私なら、書く材料がなくなったという問題。文章を書きたい私にとっては問題である。そんなとき、そうならないためにはどうしたら良いかと考える。問題解決のための知的探究と言ってもいい。 西洋哲学では古代ギリシアのプラトン以来、知的探究を、探究対象の<想起>として理解しようとする哲学的な伝統がある。例えば、良い文章を書くためにはどうしたら良いかと考えたとき
2024年5月7日 16:02
今、同じ場所で、私が見ている赤いコップと、あなたが見ている赤いコップは、本当に同じ色だろうか。 対象の色を言葉でこれは「赤」と決めてしまっているから、同じ対象であると通じるのではないか。人それぞれの知覚に若干の個人差はあっても。この色の特定のように、認識とはある程度の幅のあるパターン(ルール)で人間の見方をくくっていることだと思う。言葉で。人の間の中での認識を。だから、同じ対象を他人と共有する
2024年2月6日 14:10
愛とは元氣づけることだと思います。自他共に対して。 例えば、恋人が風邪を引いたとします。恋人の風邪は自分の愛で治るわけではなく、やはり風邪薬で治します。ただ、その恋人の看病や身の回りの世話をして元氣づけることはできます。これが愛と呼ばれることではないでしょうか。看病して恋人が元氣になっていく姿を目の当たりにすると自分も嬉しい。 こんな話もあります。マザー・テレサの「死を待つ人の家」の住人達