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【エッセイ】私の死生観

 死とは宇宙の無限小に還るものだと思う。母なる宇宙に。身体の形がなくなるものだから。残された生きている人達に別れを告げ、影ながら見守る立場になる。また、今生きている生をいったんそこで区切るものでもある。有限の生。死を考えることは、生きることを考えること。死を考えることで、今の生が輝き始める。死は避けることができない。私だけでなく、総ての人達にも言えること。死があるから、掛け替えのない生となる。

 生の無限小に還る場所はへそ下の一点である。心身統一合氣道ではこれを「臍下(せいか)の一点」と呼ぶ。臍下の一点を無限小に縮小すると心が静まる。また、死があるから、生は有限になる。限られた生をいかに生きるか。一期一会というように今を大切に生きようと思えてくる。力まずに。自分が天寿を全うし、心静かに死ぬときがくるように。納得して安らかに眠れる日が来るように。そこから考えて、今何をするのか。今後どうしたいのか。それは各自の裁量に任されている。

 死は宇宙の無限小に還るものだとしたら、生きているときは、意識をへそ下の一点に二分の一、二分の一、と無限に縮小すればいい。そうすることで心は静まる。この習慣ができると、様々な場面でこれを生かすことができる。バスを待って退屈なとき、判断に迫られて迷ったとき、大事な場面に臨む前など。心を静めて事を起こせば、色々な利点がある。この臍下の一点は、力を入れる場所ではなく、心を静める場所である。無限小に。そうすることで事が上手く運ぶと思う。これは理想論ではなく、私にもできると思う。


【参考図書】
・藤平信一『心を静める』幻冬舎文庫、2012年
・藤平光一『氣の呼吸法』幻冬舎文庫、2008年

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