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遺品整理は”自分と向き合う”時間? ~介護と癒し~
納骨後も続く、遺品整理。
母が施設に入居していた2年間、1か月ごとに実家に帰省し、そこを拠点に介護サポートをしていたので、少しずつ整理はしていたのに、何のその。
「本格的に遺品整理にとりかかろう」と自然に体が動くのは、やはり亡くなってから。
不思議なものです。
とっかかりは着物からでした。
持ち家なので、すぐに片付けをしなくてはならないわけではありませんが、今やらなければ、また機を逃すかも・・。
タンスを始め、大きなものを引き取ってもらうのに、一体いくらかかるのか? ゴールデンウィーク中に、2社見積もりをとりました。
結局のところ、物量によってトラックの大きさが決まり、それによって支払料金が決まるため、タンスの中に"もの"が入っていようがいまいが、あまり値段に影響しないようです。
しかし、やっぱり自分の目で確かめて、それから依頼をしたい・・。(今年中を目標!)
すべて中身を確認している最中です。
あ〜、やっぱり捨てらんない!
事務的に手放せるものも多いですが、やはり「また今度!」と後回しにしてしまうものもあります。
■写真(特に古いものほど)
昔のアルバムは布製のものもあり、古めかしい香りが漂ってきますが、一枚ずつ丁寧に貼り付けられた愛情や気持ちを感じるので、逆に捨てづらい・・。
また、キャビネットの上の方に大切に保管されていた成人式の時の写真。
20歳の着物姿の母は、とっても可愛らしくて、私のお棺に入れてもらう1品になるのでしょうか?(笑)
■手書きのノート
時代だと思いますが、母はパソコンを使うことはありませんでした。
ノートやらファイルやら山ほどありましたが、日記(家計簿?)だけは年代順に置いてあり、これをいつ手放すか?
達筆な字が続いていたのに、介護サービスを受け始めたころになると、筆圧が弱々しく、「書いているうちに字が小さくなっていくの・・」と嘆いていたことを思い出します。
そのころから母は書かなくなりました。サインを求めても断られることが多くなりました。
だけど、そんな状態でも書き残してくれていた「文字」の一つひとつに、母の”ひたむきさ”や”賢明さ”が伝わってきて、その”存在”を強く感じます。
パソコンや携帯がメインになってしまうと、「文字」そのものから「その人の在りし日を思う」ということも、今後無くなってしまうかもしれませんね。。
■アドレス帳
亡くなって、約2か月。
そろそろ携帯の解約を検討しており、中身のチェックが終わろうとしていますが、正直すべてを把握することは難しいです。
郵送物で必要ないものは、1件1件電話をし、配送を止めてもらっています。
また、手書きのアドレス帳もありまして、、時期がくれば喪中はがきの準備などもあるため、しばらく手元に置くことになると思います。
遺品整理の時間、スゴク深いのかも?!
その方が大切に置いていたもの、手放しづらく結果的残っているもののなどを、私たちは遺品として目にすることになります。
ただ、その人の”存在”を強く感じるのは、「もの」そのものよりは、それがどのような形で残っているか?
そんな感じがします。
そして、整理をする人が、そこから何か感じることがあるとすれば、それは自分の人生における大切な”もの”や”価値観”とも重なりあっている。
「何を残して、何を手放すのか?」・・・決断の連続である遺品整理。
そこから生まれる「エッセンス」って何??
私自身が今後の人生において、「何を大切にしながら生きていくのか?」そんなことを問われているように感じます。
”亡くなった方”とも、”自分”とも向き合う時間。
「介護は最後の子育て」という言葉がありますが、「遺品整理」の時間は、それ以上に深いのかも・・(笑)
大切に過ごしていきたいと思います。
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