親戚との優しい時間 ~介護と癒し~
新幹線にのって、親戚お二人(私にとっては、祖父の妹さんの娘:Hさんとその娘さん)が、はるばる母の施設まで面会にやってきてくれました。
頻繁にお電話をいただく母の大学時代の友人の方がいらっしゃるのですが、母は面会に来てほしいとは言いません。
私がとなりにいる時に、「電話してみる?」と聞いても、「もう少し元気になってから」といい返事はもらえません。
「だって、〇〇さんは、歩けるやん」と何かしら引け目を感じているようなそぶり。
ただ、親戚のHさんに関しては、遠方のため、これまでも頻繁に会っているわけでもないのに、そういった抵抗がないのは不思議です。
「Hさんは、いつ来るの?」と何度か私に確認していました。「来てくれた時、写真とる」とも。
久ぶりの再会に・・
3人で母の施設に行き、まず私が部屋に入り、母の様子をチェック。
14時半ぐらいだったので、「寝ているかな~」と思っていましたが、ラッキーなことに起きてくれていました。
ありのままの母に会っていただければいいのだけれども、以前だったら気にしなかったようなことも、気になったりするものです。
Hさんは、97歳になるお母様の介護をついこの間まで在宅でされていたこともあり、対応も手慣れたもの。
Hさん「肌が白くてきれいね~。かえっこしてほしいわ。」
母「別に何にもしてないんよ。」
Hさんのお嬢さん(看護師さん)とは初対面だったものの、本当に優しく接してくれて、母も、とてもリラックスした様子でした。
母「手があったかいね~。何才になったの?」
お嬢さん「〇才です〜」
母「わあ、そんなふうに見えへんね~」
二人とも、母の手をにぎり、母の目を見つめて、時々話していることが分かりづらいこともあったと思いますが、うまく察して下さるので大助かり。
そして、お二人からお菓子をいただいた途端に、母の目がキラリ☆
こういった時は、相変わらずハンターのような目つきをします(笑)
いただいたお菓子の中でも、食べたいと言ったのが、
「秋こっこ」
しっとりとした生地にクリームが入ったマフィンで、あろうことか、2つも平らげたのにはびっくり!
私もそうですが、届けたものを食べてもらえるのは嬉しいことです。
「体によいもの」を食べることは大切だけど、「好きなもの」を食べる。それでOK!
3人で同意していました(笑)
コミュニケーションは「テレパシー」へ?
「以前より冴えてる感じがする」
母の部屋を出て、Hさんが開口一番にこう言いました。
確かに、母のコミュニケーションには、もう「本音」と「建て前」がなくなっています。
オブラートに包むことなく、自分が望むことを、端的にストレートに表現します。
うまく言葉にしなくなっただけで、まわりの「空気」や人の「こころ」を鋭く読み解くことにも長けていて、時に「ハッ」とさせられます。
そういう意味で確かに「冴えている」。
母の話が聞き取りづらい時、私は「もう1回教えて」と言います。
もう一度言い直しをしてくれる時もあります。
しかし、「もう1回」というと、
母「アホには分からんわ!(怒)」
私「あ~ん(泣)」
「言葉に頼る」からこういうことが起きがちです。
しかし、この前読んだスピリチュアル系の本には、
「これからのコミュニケーションは"テレパシー"になっていく」と。
そうすると、介護される側がうまく表現できずとも、介助側がその人の言わんとするところを「言葉を超えて」察知する。
介護される側は、やってほしい意図は明確にあるわけだから、こちらが察知さえできれば、どちらもストレスフリー。聞き返す必要もありません。
そんな時代になれば、「なんて、なんて、素敵♡」とできてもないのに、ニンマリしました(笑)。
そうすると、「私が腕上げればいいわけね!」。
言葉に頼りすぎるのではなく、自分のフォーカスするところ「意識」を変えていくこと。
チャレンジングですが、何となくワクワクします。
母に話せば、「さっさとできるようになり(怒)」で終わっちゃいますけど。
そして、言葉数が多くなくとも「豊かで優しい時間」。
久しぶりの親戚訪問に感謝×感謝でした。
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