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進化という魔法

昨晩家事をしていた時のこと。

息子が学校に持って行った水筒を洗おうと
中身を流しに出すと、
底に残っていた氷がジャラジャラと数個出てきた。

おや?と思い、息子に氷を入れ足したかを聞くと
何もしていないという。

なぜ私が不思議に感じたかというと、
その氷は私が朝5時過ぎに水筒に入れたものだったからである。

朝にする家事のルーチンの中に子供たちの水筒の準備がある。

特に火曜は学校が終わってからそのままサッカー教室に
直行するので、
水筒にはいつもより多めに氷を入れるようにしていた。

だが、何度も言うがそれは朝5時の話である。

昨日水筒を洗ったのは夜の9時。

実に16時間もの時間、水筒の中にあった氷が
溶け切らずに残っていたことになる。

ちなみに息子が使っているのはこの水筒。

夏休みにサッカーの試合が毎週末あり、
お茶が足りないと言うので買った大容量タイプ。

正直大容量だけがウリで、そんなに保冷能力はないと
勝手に思い込んでいたのだが、
どうやら保冷能力も抜群に優れているらしい。

流しに転がる氷を見て、「これぞまさに魔法瓶だな」と
思った。
(今はあまり魔法瓶などとは言わないようだが)

私が子供の頃には水筒を持っていく機会は
遠足に行くときぐらいであった。
当時は学校の水道水を当たり前のように飲んでいたので
今のように水筒を持参するという習慣がなかった。

だが、その分水筒に関する思い出も鮮明である。

小学校の遠足で奈良公園に行った時のこと。

それまで使っていたプラスチックの水筒ではなく、
魔法瓶の水筒に初めてお茶を入れて持参した私は
それが嬉しくて序盤ですぐにお茶を飲み干してしまった。

それ以降はお茶が飲みたくても、
底に残ったお茶の泡が口にはいるのみ。

比較的暑い時期に行ったので、
それ以降はとても辛かった記憶が残っている。

当時の魔法瓶は中が2重になっており、
外観のわりに容量が少なかったのであろう。

しかも、中に入ったお茶は比較的早い段階で
ぬるくなっていた。

それでも当時は名前に”魔法”とつけるぐらい
革新的なものだったのだろうが、
その当時の私からすれば今息子が持って行っている
水筒はリアルに”魔法”に思えたであろう。

これも技術の革新の結果である。

私が子供だった30年前から少しずつ進化を続け、
振り返ってみた時に”魔法”と呼べるほどの
変化になったのだ。

私達は魔法使いではない。

だが、小さな変化を積み重ねることで
魔法のような変化を起こすことはできる。

何だか、そんなことを水筒に教えられた気がした。

小さいながらも今日も進化をし続け、
数年後に魔法のような変化を得ていきたいと思う。

ちなみに私の妻は水筒を買うのが好きで
水筒を保管する棚には沢山の水筒がある。

細身の似たようなものばかりだが、
妻に言わせればそれぞれ特徴があり
入れるのに向いている飲み物があるらしい。

個人的には場所をとるので、
必要なものを1本だけ残して欲しいと思うのだが
妻の水筒好きの魔法は
なかなか解けてくれないらしい。

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