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心にトゲとして残る言葉

今日は3月31日。世間では年度末最終日である。

そして、今日は私が主催者の一人として
参加させて頂いている勉強会の最終日でもある。

共同主催者の方々は、企画立案者でもあるチェーンナーさん、
そして、shogoさん、雅樹(かつお)さんである。



まだこの方々の記事を読まれたことがないなら、
ぜひお読みいただきたい。
色々な気づきを得られる非常に学び深い記事を
沢山書かれている方ばかりである。

私はこの勉強会を通して、嫌な言葉とは何か
嫌な言葉を受けたときの対処はどうすべきか
嫌な言葉を発する人とどのように付き合うかなど
本当に今まで考えもしなかったことに気づかされ、
それを咀嚼する中で多くの学びを得ることができた。

そんな勉強会の最終日ということで
私としても非常に感慨深いのだが、
今日はその最終日ということで、
私の中で「嫌な言葉」ではなかったものの
トゲのように残っていた言葉について
書こうと思う。

その言葉は一体何かというと
「結婚は人生の墓場」という言葉である。

もしかすると一般的によく使われる言葉かもしれないが
少なくとも私は人生で一度だけしか
この言葉を人に言われたことはない。

そして、その言葉を私に投げかけたのは
私が行っていた理容室の店主である。

今から14年ほど前のこと。

私は前職の生産技術担当者として
当時マレーシアの工場に3年間の赴任をしていた。

当然3年間現地に行ったっきりではなく、
年に2回、2週間ずつの特別休暇が与えられ、
会社が渡航費用を負担して帰国する権利があった。

何回目の休暇だったかは覚えていないが、
その時私は休暇で帰国していた。

帰国したと言っても、一人暮らしの部屋は
赴任前に引き払ってしまっているので、
私は実家に帰った。

せっかく2週間もの休暇があると言っても
2週間のうち休日は4日しかないので、
平日に日本でやらねばならないことをやって
休日は友人たちと楽しむスタイルであった。

とある平日に、私は伸びた髪を切ろうと
実家の近くにある理容室に行くことにした。

その理容室は私が就職して家を出るまで
時々行っていた店で、
ご夫婦で経営されていた。

すこしヤンキー風な店長と、
同じく元ヤンキー風な奥さんの二人なので
髪を切りながらする会話も
どこかフランクな感じの店である。

私自身、別にそれが苦手というわけではないので
特に違和感を覚えることなくその店で
昔から髪の毛を切ってもらっていた。

とは言え、実家を出てから数年間その店には
行っていなかったので、
覚えていないだろうと思いながら訪れると
「おお、〇〇君(私の苗字)久しぶりやないか」
と迎え入れてくれた。

平日ということもあり、他に待っている客はおらず
私はすぐにカット用のいすに案内された。

準備をしながらも店長は、私の近況を尋ねてくるので
私は今海外にいること、そしてどんな仕事をしているのかを
説明していた。

そんな感じでカットをしてもらっていた時、
店長が私にとあることを聞いた。

「〇〇くんは今彼女いてるん?」

その当時私には彼女はいなかったのだが
海外にいると日本で誰かが待っていてほしいという
気持ちが私の中には当時あった。

なので、その気持ちを店長に伝えると
店長は笑いながら私に言ったのだ。

「〇〇くん、結婚は人生の墓場やで」

別に私の意見を否定されたわけでもないし
結婚の先輩としてのアドバイスだったのかもしれないが
どういうわけか私の心にその言葉は刺さった。

店長はその時、その言葉をそれほど深掘りするでもなく
結婚することでお金も時間も自由が無くなることを
少し私に説明しただけで、すぐに違う話題を続けた。

その時に私はなぜこの言葉に引っかかりを
覚えたのかを考えてみると、
その言葉を店長が発したときに
近くに店長の奥さんがいたからである。

ちょうど奥さんは隣の席でカットをしていた人の
シャンプーをしていたので、
その会話に参加していたわけではない。

しかし、私の中で奥さんの前でそのような発言を
してしまうことに驚きと戸惑いがあったのだ。

100歩譲って奥さんのいない場所で
そのような発言をするのならば
何となくわからないではないが、
奥さんがいる目の前で堂々とそのような発言を
してしまうことは、
奥さんに対して「自分は結婚という鎖につながれています」
と宣言しているのと同じである。

なので当時の私は戸惑ったのだが、
奥さんの様子を横目で見てみると
特に何も反応する様子はなかった。

もしかすると、この様な会話は彼らの間では
当たり前のやり取りなのかもしれない。

私はそう解釈して、そのままカットをしてもらい
店を後にした。

ところが、それ以降も私の心の中に
この言葉がなぜか居座り続けた。

マレーシアに戻り、単身赴任している上司が
奥さんに電話しに部屋に戻る姿をみて
この言葉を思い出したこともある。

そうして、トゲのようにずっとこの言葉が
残り続けながら、
私は帰任して、今の妻と出会い結婚をした。

結婚して妻と一緒に住み始めると
最初は色んな価値観のギャップを感じて、
それをすり合わせる中で時々喧嘩もした。

もともと他人として違う家で育ったのだから
これは仕方ない。

そうして反発を繰り返しながらも
お互いにすり合わせていくことで
家族としてのルールの様なものが出来上がっていく。
私はそう考えて割り切っていたのだが、
その時にも理容室の店長が私に投げかけた言葉が
時々私の頭をかすめた。

そして、結婚して数年が経ち、子供が生まれて
私は今の生活に慣れた。

そうして自分の人生を歩く中で
店長が私に投げかけた言葉が
私の中で少しずつ消えていった。

消えるというと忘れるように思うかもしれないが、
こうして記事に書けるほど
私の中でははっきりと記憶に残っている。

消えるとは忘れることではなく
私の中で咀嚼ができたということである。

ではなぜその言葉が咀嚼できたかというと
私の中でその言葉に対する
明確な答えが見つかったからである。

それは結婚とは自分個人としての墓場であり
夫婦として家族としてのスタート
ということである。

私がずっと心に引っかかっていたのは
墓場=終わりというニュアンスであったのだ。

まさに結婚することは地獄に落ちるような
ニュアンスを私は感じていたのだが、
実際に自分が経験をしてみて
それが大きな勘違いであることに気が付いた。

結婚は確かに自分自身として
自由にできなくなることかもしれない。
しかし、それは自分だけの人生から
自分たちの人生に切り替わっただけなのである。

それに気づいてから私の中で
店長が発した言葉を咀嚼して飲み込むことが
できるようになった。

この言葉は長らく私の中にトゲとして残っていたが、
それが抜けたことは私にとって一つの
ある意味で私の成長の証なのかもしれない。

今年のお正月に帰省した際、
私は子供たちを連れて実家近くの道を
散歩したのだが、
その時にその理髪店の前を通った。

すると、店の中は真っ暗であった。

実家に戻り母に聞くと、
あの店長は昨年若いながら亡くなったと言う。

そのままお店は閉店してしまい、
今はどうなっているのかわからないということであった。

店長にとって結婚とはどんなものだったのかを
自分が家族を持ったいま、聞いてみたいと
思っていたが、その願いは叶えられなくなった。

だが、店長は奥さんと結婚したからこそ
二人で共同経営者として店を運営し、
子供たちを育てるという大きなミッションを
達成することができたのだ。

きっと店長が本当に言いたかった
「結婚は人生の墓場」の意味合いは
私が持っている解釈と同じにちがいない。

そう思いながら、私は心の中でそっと手を合わせた。


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