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ランドセル通学は規則ではない

来年から小学校に上がる娘。

娘のランドセル選びに夢中な妻。

息子の時もそうであったが、
やはり娘のラン活は難航している。

私からすればどれも同じようにしか見えないし
セールスポイントを聞いても、
それはごく小さな差でしかないように見える。

しかし、せっかく高いお金を出して6年間持つものなので
真剣に選びたいという妻の意向で
色んなものを見ているのが今の状況である。

他のメーカーで見たのと差がわからないものをみて
「どう思う?」と聞かれたときには
何とか違いを見つけて返答せねばならないので
私にとってはなかなか辛い時間でもある。

そんなランドセル選びをしている我が家であるが
ずっと私の中で引っかかっていることがある。

「ランドセルで通学することは義務なのだろうか」

ご存じの方もいるかもしれないが、
最近はランドセル風のリュックが売れているらしい。

これはつまり、ランドセルでなくても
通学していいということの表れなのではないだろうか。。

そもそも、私たちは一度も小学校にランドセルで
通学しなさいというお達しを受けたこともなければ
明文化された文章も見たことがない。

息子が1年生の時はコロナ元年であったので、
4月から6月までが休みになったのだが、
その年は例外的に7~8月が通学になった。

本来夏休みは暑い時期で体への負担を
軽減するために休みにされている。

しかし、その時期に学ばなくてはならないので
この間は”置き勉OK””ランドセルじゃなくてOK”
というようなことが書かれたプリントを
息子が持って帰ってきた。

それを見て
「そもそも誰が毎日教科書を持ち帰ることをダメと言い
誰がランドセルで通学しろと言っていたのだ」
と不思議に思ったことがある。

よく考えてみれば私が子供の頃も
小学校5~6年生ぐらいになると
ランドセルで通学しなくなった女子たちが何人かいた。

その女子たちは少しマセガキだった記憶があるが、
言われてみれば小学校1年生と6年生では
体格も好みも大きく変わるのに
同じカバンを持つこと自体ナンセンスなのだ。

この記事を書くにあたり調べてみたが、
ランドセルでの通学については
やはり文部科学省などから明文化されたものが
出ているわけではないようである。

では、なぜ私たちは子供にランドセルを背負わせて
何ならそれを選ぶことに必死になっているのだろうか。

それは、暗黙のルールに縛られているからである。

誰も明文化していないものにも関わらず、
「ランドセルでなくてはならない」と思い込み、
いいランドセルを持たさないと子供が恥をかくという
勝手な暗黙のルールを心の中で
作り上げているのである。

冒頭にも書いたが、私からすれば
どのランドセルも同じようにしか見えないし
どれもそれほど性能に優位さがあるように見えない。

どれも昔に比べれば沢山入るし、
どれも夜道で光るし、
どれも留め具は勝手に閉まるし、
どれも軽くて背負いやすい形状になっている。

正直これ以上性能で有意差が出せない小さな部分を
無理やりにアピールし、
企業は子供に快適さをプレゼントするかのように
親に思い込ませて買わせようとする。

我が家もこの戦略に見事に乗っているのだ。

一つだけ勘違いしないで欲しいのは
私は決してランドセル業界を
批判しているわけではないということである。

すでに変更できる箇所が少ない中で
各企業がしている商品改良は素晴らしいし、
ブランディングや広告宣伝の仕方も
とても学ぶべきものが多いと思っている。

私が言いたいのは、自分たちが何かを
選ぼうとするときに、
何か余計なものに縛られていないかを
見つめ直すべきだということである。

小学生になるからランドセルを
選ばなくてはならない。

これが本当にそうなのかを一度
自分なりに考えてみて、
その上で判断すべきだと思うのだ。

これからAIがさらに日常生活の中に
浸透していくであろう。

AIに学ばせることで私たちの心理を
上手く誘導させて購買につなげることは
それほど難しくない技術である。

つまり、これからますます私たちは
モノを選んだり、買うときに
自分の意思ではない要素が強く働く時代になる
とも言うことができる。

それに任せてしまうことは
確かに楽かもしれないが、
それは本当に自分の人生なのだろうか。

私たちが生きるということはものごとを
選択し続け、道を進むということである。

生きる事とは選ぶことなのだ。

自分の選択は自分で考えてするべきもの。

それを誰かの考えに乗せられて
流されて選ぶのは人生の舵を誰かに
任せることと変わらないのである。

少なくとも私はそんな生き方は嫌である。

もちろん、こんな話はランドセルを選ぶ
妻と娘にはしないが、
少なくとも私は自分の中で考え、納得したうえで
ランドセルを娘に買ってやろうと思う。

ちなみに私が早くランドセル選びが終わることを
願っているのはここだけの話である。

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