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ヴィロンの森 第五章 バルコニーにて

そして三日後。
少女はいつものように目覚めると、侍女達に着替えさせられ、また髪を結わえてもらいました。そして、着替えなどが終わり、自分の部屋に戻ると、窓の外を見ました。
外はいつもの景色が広がっており、空は青々としています。
「今日はいいお天気になりそうだわ。ラルフも今頃、空を見上げているのかしら」
「ラルフ様とは先日、姫様がお話になられていた妖精の方の事でしょうか」
近くで編み物をしていた乳母がそう尋ねました。
「そうよ。今日、彼は宮廷の舞踏会に行くのですって」
「それは、とても楽しそうですね」
「えぇ。羨ましいわ。ばあやは舞踏会に行った事はあって?」
アリアンヌは乳母の真向かいの椅子に座りながら、尋ねます。
「えぇ。若い頃にですが」
ニコニコとしながら乳母が答えます。
「どんなものなの? 参考に教えてほしいわ」
「そうですね……、たくさんの方々が着飾って、それが非常に素敵でしたわ。憧れの方とダンスを踊ったり、美味しいお菓子、例えば、タルトやスフレやフランなどが沢山あって……」
「素敵だわ」
アリアンヌは舞踏会の様子を想像して、とてもわくわくしてきました。
「姫様も、あともう少しで舞踏会ですね」
「そうなの。待ち遠しいわ」
そう言うと、急に落ち着かなくなり、ぱっと立ち上がりました。
「ダンスはこんな感じかしら、皆、お上手なのでしょうね」
そう言うと、メロディーを口ずさみながら、少し踊ってみました。乳母が合わせて手拍子を打ってくれます。

笑顔を乳母に向けながら、軽やかな足つきで優雅に踊ります。ドレスの裾が少女の動きとともに揺れ、また朝の陽が柔らかく時々少女を照らしたため、その動きをより美しく見せました。

少しして踊るのをやめると、少し頬を赤くして、ふぅ、と息をつきました。
乳母が拍手をします。
「お上手ですわ。なんて優雅な身のこなしなのでしょう……!」
「ありがとう、でもステップがまだまだだわ」
「そんなことありませんわ。そうそう、姫様のお母様もダンスがとてもお上手だったのですよ」
「お母様、お上手だったの?」
「えぇ、王妃様が踊られる時は、皆ダンスをやめて王妃様のダンスを見入っておられましたわ」
「そうだったの。お母様の踊られているところを見たかったわ」
そう言うと、アリアンヌは少し悲しそうな顔をしました。

朝食を終えると、ピアノのレッスンがありました。
「よく練習されていますね」
宮廷の音楽家でアリアンヌや少女の兄弟にピアノを教えているジャンは、アリアンヌにある程度ピアノを弾かせた後、そう言いました。
少女は手を止め、先生を見上げます。
「しかし、ここのフォルテがピアニッシモのままでしたね。後、ここの小節も注意してください。一音間違えていました。あとはリズムがとれていないところがありましたね」
譜面の強弱記号や小節を指差しながらジャンが言います。
「そうだわ、ごめんなさい」
「いえ。それでは二十三小節目から始めましょうか」
「わかったわ」
そう言うと、少女は再び弾きはじめました。

しかし再び、同じところで間違えてしまいました。
「もう一回ですね」
「えぇ」
再び弾きますが、上手くできません。
「ゆっくり、そこのところだけ弾いてみましょうか」
ジャンにそう言われて、ゆっくり三回ほど弾くと、譜面通り弾けました。
「では、徐々に早く。そう」
ジャンの叩く手のリズムに合わせて、ゆっくりから段々とスピードをあげて弾いていきます。
「そうそう。できておりますよ。では、通常の速さで弾いてみましょうか」
ジャンが再びリズムを取ると、まず、少女はそれに合わせてリズムを取りました。そしてそのリズムに慣れたところで再び弾き始めたところ、今度はうまく弾けました。
「できたわ!」
少女は嬉しそうに言いました。
「よくできましたね、それでは全体を最初から弾いてみましょうか」
「えぇ、でも今のところを自分で何回か弾いてからでも良いかしら?」
「構いませんよ。そしたら私は席を外していましょう。30分くらい経ちましたら戻ってきます」
「ありがとう」
ジャンは一礼して、部屋を出てきました。
少女はそのまま立ち上がると、大きく伸びをしました。そして、再び椅子に座り直し、一息つくと、再び鍵盤に手を触れました。
先ほどジャンに注意されたところをゆっくり何度も弾き、それから早く弾きました。早く弾いた際に再びリズムが取れなかったため、リズムを自分の中で取ってから、また早く弾きます。
そんな繰り返しをして15分くらい経った頃、うまく弾けるようになったので、少女はピアノを弾く手を止め、再び大きく伸びをしました。

「そう言えば」
手を上にあげたまま、ふと、少女はあるフレーズを思い出しました。それは、先日ラルフが奏でてくれた、軽やかな曲のメロディーでした。
少女はそのフレーズをピアノで弾いてみました。
「そうだわ。確かこの音だった」
段々と音を思い出してきました。夢中になって弾いていきます。

「あら?」
何回か弾いている内に、ふと、ピアノ以外の音が聞こえてきたような気がしたので、少女は手を止めました。
しかし、しん、とした部屋の中では、風にそよぐ木の葉の音しか聞こえなかったため、
「今、何か他の楽器の音が聞こえた気がしたのけど……」
と、首を傾げながら、そうつぶやきますが、すぐに再び弾き直しました。

「あれ、でも、やっぱり……」
再び弾いていると、やはりピアノ以外の楽器がどこかで鳴っているような気がしました。
手を止めると、再び音が止みました。
少女は立ち上がり、辺りを見回しましたが部屋の中は自分しかいません。
不思議に思いながらも、椅子に座り直し、再び、鍵盤に手を伸ばしかけた際、ふと、聞いた事がある曲が窓の外から聞こえてくるように思いました。
「この曲……」
立ち上がり、そろそろと窓の外を見ます。すると、すぐそこの大木の枝の上に、少年の姿があるのを見つけました。
「ラルフ!?」
少年は枝の上に腰掛けながら、こちらを見ていました。そして、口に当てていた笛を下ろし、少女に笑顔を向けました。
「どうしてここに?」
少年に向かってそう叫びました。
「なんとなく、君が今日森に来れないのではないかと思って」
少年がそう言います。
「そうなの、今日許していただけなくて。ほんとごめんなさい」
アリアンヌは悲しそうな顔で、そう言いました。
少年は笑顔で首を振ります。
「いや、いいんだ」
そう言うと、ひらりと少女の部屋の下にある大きなバルコニーの上に飛び移りました。
「身のこなしが軽やかなのね!」
と少女が言うと、
「僕たちの一族は皆、体が軽いんだ」
と言い、
「良ければ踊らないかい?」
そう、続けて言いました。
「でも音楽がないわ」
「心配ないよ、演奏者を連れてきてある」
ラルフが先ほど自分のいた木の枝に目を向けました。アリアンヌが見ると、ラルフが先ほどまでいた木の枝とは別の枝に、黒髪の少年が座っているのが見えました。
黒髪の少年は立ち上がるとすぐ、ラルフのいるバルコニーに飛び移りました。
二人が並ぶと、
「従兄弟のロワールだ」
と、ラルフが紹介しました。
「ロワール、こんにちは」
少女が声をかけると、ロワールは少し恥ずかしそうにし、何も言わず、頭だけ下げました。
「こら、ちゃんと挨拶しなさい」
「いいのよ。楽にして」
「でも」
「いいのよ。待ってて。今そちらに向かうわ」
「いや、僕が」
ラルフはそう言うとひらりとバルコニーから、少女のいる窓のバルコニーに飛び移りました。
そして、さっと部屋の中に入りました。
「僕につかまって。お姫様」
そう言うと、ひょいとアリアンヌを抱え、窓から下のバルコニーに飛び移りました。
急に抱きかかえられたのと、少年の顔がすぐ近くにあったので、アリアンヌは甘酸っぱいような気恥しい思いを感じました。
軽やかにバルコニーに降りると、少年は丁寧にアリアンヌを降ろします。
「ごめんなさい、重かったでしょう」
「いや、全然だよ」
そう言うと、ひざまずきました。そして、アリアンヌの手を取り、口づけをしました。
ちょうど陽の光が、少年の頭髪を照らしたので、美しい銀髪がより輝きます。アリアンヌがそれに見とれていると、少年が顏をあげ、ちょうど目が合ったため、少女は思わず目を逸らしてしまいました。
「どうかした?」
少年が尋ねるので、アリアンヌは少年の顔に視線を戻しました。エメラルド色の瞳が先日よりも、さらに澄んでいるかのように思いました。
「その……」
何て答えていいか分からず、少年の目を見ながら言いよどんでいると、少年はアリアンヌの答えを待つかのように、黙ったままじっと少女を見上げていました。
二人はそのまま、しばらくそうしていました。

「ラルフお兄ちゃん、用意はいつでも大丈夫だよ」
待ちかねたロワールに声をかけられ、はっとして二人が彼に目をやると、ロワールは銀の笛を手にし、口もとにあてて、こちらを見ていました。
「あぁ、待たせてしまってすまない、ありがとう」
ラルフは顏を赤くしながら、そう慌てて言うと、少女の手を取り、立ち上がります。
「では、ダンスを」
と、左手を胸に当てながら、丁寧にお辞儀をしました。
アリアンヌも行儀よく、お辞儀をします。
「ロワール、それではよろしく頼む」
大きくうなずくと、ロワールは笛を吹き始めました

それは、雄大で、ゆったりとした曲でした。
右手をお互いの肩に置き、片手を真横に伸ばし、手を握りあうと少年の手がとても暖かく感じました。
今まで踊ったことがない調子なので、少女が戸惑っていると、
「大丈夫、僕に合わせて。まずは右足を前に」
とラルフが優しく教え始めました。
「そう。次は右足を後ろに、そして左足を……、そう! よくわかったね」
ゆっくりと練習します。
「段々、動きを大きく。そう、この曲に合うように!」
徐々に少女は曲のテンポについていけるようになりました。
「アン・ドゥ・トロワ……、アン・ドゥ・トロワ……」
二人は、曲の調子に合わせて力強く踊り始めます。
アリアンヌはふと、自分の体が勝手に動いているように感じてきました。曲の盛り上がりの部分で、不意に少年が手を離すと、少女は優雅にターンをしました。
「素晴らしい!」
少年が誉めながら再び少女の手を取ります。
「ありがとう!」
頬を赤くしながら、少女がそう言うと、すぐにまた曲の盛り上がりの部分がきたので、少年が再び手を離し、少女が美しく回りました。そして、少年の元に戻ってくると、ラルフはアリアンヌを抱え上げました。
それから、彼女を降ろすと、力強く踊り……。動くたび、少女のローズ色で薔薇の模様があしらわれた可愛らしいドレスが揺れ、また、美しいブロンドの髪が揺れました。

ふと、気付けば、周りには白い小鳥が数匹、地に降り立ち、二人を見上げていました。
「ラルフ! 小鳥達がいっぱい」
踊りながらアリアンヌが言います。
「僕の国にいる鳥達でミヤドリと言うんだ」
するとミヤドリ達が、チチ、チチ、チチチチ、チチチ。と歌うかのように曲に合わせて鳴き始めました。
「この子達は滅多に国から出ないのだけど、今日は特別らしい。彼らは音楽がとっても好きなんだ」
息をはずませながらそう言います。
「ごきげんよう、白い小さな小鳥さん達!」
少女が呼びかけると、鳥達が一斉に鳴きました。
「彼らもごきげんよう、と言っているよ」
少年はそう言うと、再び少女を抱え上げ、そして降ろしました。

ロワールの笛が、そこで止みました。
二人は息をはずませ、頬を紅潮させながらも向かい合います。少年は胸に右手をあて、少女はドレスの裾をつかんで、ゆっくりお辞儀しました。そして少年は少女の手を取り、再び、ひざまずきました。
「踊ってくれて、ありがとう」
「こちらこそ」
少年は、じっとアリアンヌを見つめました。その瞳は今までよりもずっと輝きを増しているかのように思え、またとても美しかったので、アリアンヌは胸の鼓動がより高まるのを感じながらも、その瞳から視線を逸らせずにいました。
「お兄ちゃん、もう一曲弾く?」
ロワールが再び、声をかけました。
ラルフは立ち上がり、
「いや、これだけにしておこう。これからまた、宮廷に行かなければならないし」
「そうだわ、これから舞踏会なのに申し訳なかったわ」
「いや、一番初めに君と踊りたかったから」
少年がちょっと照れながら、そう言いました。
少女はその言葉に頬を赤くして、言葉をどう返そうか考えていましたが、
「それでは、また、お姫様」
と、ラルフが言ったため、
「えぇ。また、近いうちに!」
と慌てて返しました。
少年は微笑んで、礼儀正しくお辞儀をすると、ロワールとともに歩きだしました。
その背中を見ながら見送っていると、アリアンヌは先日、ラルフにもらった金貨の事を不意に思い出しました。
そして、今ちょうど二人が、先程の大木に飛び移ろうとしていたので、
「待って! 金貨返さないと!」
と、慌てて声をかけました。
少年は振り向き、微笑むと、
「それは、持っていて。また舞踏会が開かれた時の招待状になるから!」
と言いました。
「分かったわ、ありがとう」
少女がそう言うと、少年は再び笑顔を向け、ロワールとともに木々にひょいと飛び移ったかと思うと、いつのまにか見えなくなりました。

少女はその姿が見えなくなっても、しばらくそこに佇んでいました。
                  【第六章に続く】


【注 釈】
スフレ: メレンゲに砂糖や小麦粉などを混ぜ合わせ、焼いて作る軽くふわふわした料理
フラン: タルト生地にカスタードクリームを流して焼くお菓子
見入る: じっと見つめること
譜面: 楽譜
そよぐ: 風に吹かれて木の葉などがかすかに音を立てて揺れ動くこと
首を傾げる: 疑問に思うこと
そろそろ: 静かにゆっくりと動くさま
目をそらす: 別の方向に視線を向けること
視線を戻す: 再び見ること
言いよどむ: 言いたいことを上手く言葉にできず、口ごもること
調子: リズム
テンポ: 曲が演奏される速さ
アン・ドゥ・トロワ:  1.2.3  フランス語  un, deux, trois
ターン: 回ること
あしらう: 色などを取り合わせること
滅多に...ない: まれにしかないさま