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【小説】死ンダ君モ愛オシイ 第27話

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 まだ午前中。今からホワイトメールにカチ込むか? 押し掛けたとして、どうすればいいだろう。茅野かやのしおりを尋問、脅迫。なんだか気が進まない。でもこれがアズサの意趣返しになるのなら、暗い手段に手を染めることもいとわない。あいつの駒になってもいい。今更、あいつのためにできることなんて残っていないのに、このUSBメモリーはそのチャンスを与えてくれたのだ。
 とはいっても、茅野と一緒に写っている男が何者なのかも知らないし、この写真を突き付けたところで、抜群の効果は期待できない。そもそも、このデータは本当に脅迫のためのものなのか?

 一矢いちやはPCを閉じて、キッチンに向かうと改めてコーヒーを入れた。アズサがよくそうしていたように、カップを片手に窓辺に立つ。結局、いつまでもあいつのことがわからない。金魚もどこかへ行ってしまったし、死んだあいつをどこまで追っても終わりがみえない。自分の手で終わらせることができないのだ。アズサや金魚のせいじゃない。心臓があいつを追っている。まるで首輪をつけられた犬のように。

 茅野に会って、写真を突き付ける意味はあるのだろうか。金を巻き上げるわけでもないし、それだけの価値があるのかすらもわからない。でも、アズサの意思を伝えることくらいはできるか。茅野にとって、従順な子どもではなかったということ。その気になればいつでも狙えたこと。あと、アズサの仕事についても問いただしたい。あの女からしか聞けない話もあると思う。

 行くか。

 一矢は名刺ケースから茅野の名刺を取り出し、連絡先を確認する。会社の連絡先しか記載されていなかったので、仕方なく会社に電話をかけた。恐らくメガネの男と思われる人物が電話に出て、茅野は不在だと抜かすから、緊急でプライベートな用事だということ、茅野にとっても大事な話だと思うが、と匂わせたらすぐにアポが取れた。夕方、指定されたK町の店に向かう。どうせ相手の庭だ。店だって安全ではないかもしれない。あらゆる可能性を考慮しつつ、一矢はアズサの部屋にあるプリンターで、例の画像をプリントアウトしておいた。正直、会うことによって事態が大きく変化することもない気がする。ただ、できることがあるからやる。それだけだ。

 静まり返った部屋。この家って、こんなに静かだっただろうか。雑音ひとつ聞こえない。アズサも金魚もいなくなってしまった。落ち武者も、ハリネズミも、アホカラスもいない。ひとりで暮らすには広すぎる部屋だ。落ち着いたら、手頃な部屋に引っ越そう。ひとりでちょうどぴったりの、余分なスペースのない部屋がいい。そうすれば、なにかが足りないことに気づくこともないだろう。アズサ。アズサ。アズサ。

 しばらく部屋の真ん中に立ち尽くしていたら、視界の端でカーテンが揺れた。
「アズサ!」
 不意に響いた自分の声に驚きながら、当然カーテンの裏には何もいなくて、そんなことよりなぜ窓も開いていないのにカーテンが揺れたのかとか、なぜその気配をアズサだと思ったのかとか、誰かが今の自分の様子をどこからか見ているんじゃないかとか、この部屋は実は異空間なんじゃないかなんて考えたりして、脳が動いているのか止まっているのかわからない。落ち着いて。大丈夫だから。誰かの声がする。誰だろう。アズサ。アズサ。アズサではない。

 夕方になるまでに、一矢の中で茅野栞がとてつもない悪党に仕上がっていた。アズサのことをボロ雑巾のようにき使い、死に追いやったのはあいつに違いない。嫌がるあいつに、人に言えないような汚い仕事を強要し、それを拒否させないための弱みも握っていたに違いない。なのに自分は母親面して、売った恩で慕われていると勘違いしていたのだ。だけど実際は、アズサは命を懸けても復讐したいと思っていたはず。その証拠に、自分にデータを託したのだ。これであの女を沈めてくれ。そういうことだろう。間違いない。

 久しぶりに来たK町。その気になればいつでも簡単に来られる場所だが、一矢はあまり好きな町ではない。日も暮れかかり、それでも夜にはまだ早いのに、既にギラついた店の並びや人々は目にも耳にも騒がしい。アズサはきっと、この町に頻繁に出入りしていた。生前はあいつの生息場所について、あまり考えることはなかったが、今はなんとなくわかる。どちらかというと、アンダーグラウンドに生きていたのではないだろうか。その気配はあったのに、自分はアズサの側面を直視していなかった。あいつに見え隠れしていたかげは、実体のあるものだったのだ。危険な目に遭ったりしていなかったか、なんて、死後に心配してどうするんだ。あまりにも愚かな自分に泣きたくなる。
 指定された店は、細長いビルの地下にあり、階段を下りていくとシンプルな鉄製のドアに「Watch Out」と書かれていた。嫌な店名だ。危険な場所に足を踏み入れる覚悟をしろというのか。こんな店を指定してくるなんて、やはりあの女は悪逆無道なネズミ野郎に決まっている。女にネズミ野郎はおかしいか? そうだな、極悪非道な化けネズミだ。
 仕方なく重い扉を引くと、予想通り不穏な空気が漂う暗い店内。予想外だったのは、時計モチーフの内装で、店名も恐らく由来しているのだろう。カウンター席と小さなテーブルがひとつ見えるが、ネズミ女の姿はない。マスターらしい太った男に名乗ると、奥の個室へ通された。

「わざわざお呼び出しいただくなんて、素敵なプレゼントでもあるのかしら」
 そこに待っていたのは茅野だけではなかった。いかにも手下らしい、卑しい顔をしたガタイだけいい男が、ドアの横で警戒心剥き出しにして睨んでいる。ブラックメールを隠すつもりもないのだろう。窓もない閉め切った空間に、シンプルなソファとテーブルが置かれているだけの陰湿な個室。
「せっかくだから、まずは乾杯でもしましょうか。なんでもお好きなものをどうぞ?」
 飲むつもりなど、ない。何が入れられているか、わからないからだ。疑心暗鬼と言われればそれまでだが、ここ数日かけて育ち切った茅野への不信感は、いくら警戒しても足りない程だった。推察、憶測、半分、妄想、半分。つまり、明確な証拠は何もないのだが、一矢にとって茅野は既に絶対的な悪で揺るがない。ついでに、ネズミ女は見た目的にはどちらかというと鳥っぽく、派手な鳥……クジャクか。だが、クジャクは悪口らしくないから、ネズミのままでいい。
 好きなものを選べと言ったくせに、勝手にテキーラがふたつ、運ばれてきた。それとドライフルーツ。
「乾杯する気はないのかしら」
 そう言うと、茅野はテキーラを飲み干す。その手には乗らない。冷静に、尋問するんだ。
「あんたたちはブラックメールで……アズサを利用していた。友達の正体は、どうせそこの男だろう! 脅迫して、脅迫させてたんだな。死に追いやるまで!」
「ちょっと……ちょっと待って。何を言ってるのかわからないわ。ブラックメールって何? あなた大丈夫?」
 煽られることには耐性がついている。こんなことで逆上したら負けだ。
「とぼけるなよ。もう全部わかっている。あんたの裏には黒い繋がりがあるんだろ? 表では不動産屋、実際は闇の興信所といったところか。アズサに撮らせた写真で恐喝でもして金を巻き上げてたんだろ」
「……どうしてそんなことを? なにか面白いものでも見つけたの?」
 挑発的な茅野の視線に、一矢は確信を持った。
「死んだ人間がいるのに、面白いものだって? あんたのことも面白可笑しい目に遭わせてやろうか」
 そう言いながら立ち上がった瞬間、一矢の横から腕が伸びてきて、張り倒された。気づけば、腕を固められている。本気で手を出すつもりなんてなかったのに、脳筋男はこれだから……。
「くそ……やっぱり友達はお前か!」
「悪いけど……どう見てもあなた達はお友達に見えないわよ」
 ガタイがいいだけの男は、もう十分と判断したのか、手を緩めた。一矢はその腕から抜け出して、乱れた服を整える。
「はあ……よかった……。想像した通り、あんた達がクズで安心したよ」
「酷い言われようね。それとあなた、妄想癖でもあるの? 所々当たっているから厄介だわ」
 妄想だと? 証拠がなくても根拠がないわけではない。自分の中では、しっかり裏付けされている結論だ。
「アズサを利用していたのは間違いない。写真を撮らせていたのも、裏の仕事だ。でも残念だったな。撮らせているつもりで、撮られていたみたいだが」
 一矢はポケットから折り畳んだ例の画像を取り出し、広げて茅野の前に投げた。ゆっくり身を乗り出して、その写真を確認する茅野の顔が引きつる。少なからず効果があったことに、一矢は安心した。写真に写っている男が誰なのかわからないが、それを尋ねたら効果が薄れてしまう。関係がバレたらマズい相手、ということはシンプルに不倫などを想像させるが、いかがわしい場所へ向かう場面にも見えないし、恐らく反社絡みだろうと一矢は考えた。つまり、身内にバレたら物理的に危険だとか。間違いない。
「あの子のデータは全て取り上げたつもりでいたわ」
 茅野が呟いた。もしUSBメモリーを取り上げたとしても、あの大量の写真の中からこの数枚を見つけることはなかっただろう。
柚希ゆずきはあなたのことを守りたかったはずなのに、あなたにこんなデータを残すなんてね。油断してたわ。あなたには仕事のことも知られたくなさそうだったのに」
 守りたいって言葉はあながち嘘でもなかったのか。それでもアズサが口に出すとは思えない。どうせ同居人の名前をチラつかせて脅していたとか、そんなところだろう。それで言いなりになったって? アズサが?
「いつから汚い仕事を強要していたんだ……」
「強要なんてしてないわよ。元々はあの子が他人の代わりにカメラの仕事をやるって言いだしたことだし」
「それって、今野こんのというカメラマンのことか?」
「意外だわ。知ってるのね」
「よく知っている」
 やはりそうか……。なんの因果だろうか。どうしよう、胸が苦しい。
「なんでアズサは死んだんだ。知ってるんだろ?」
「知らないわよ。なんでも解決してすっきりできるなんて思わないで。そもそもあの子は死にたがりだったんだから。私の男の車に飛び込んできたのが、あの子との出会いなの」
「えっ……」
 言葉が出ない。また知らないアズサが出現した。どういうことだよ。
「でも、あなたの会社にロゴを依頼したって知ってすぐに会社を辞めたし、その後に死んでるわけだから。私があなたに何かをするとでも思ったのかしらね」
「あいつはそんな馬鹿じゃない」
「馬鹿よ。死んでるんだから」
 まあ、それには反論できないか。
「ふ、あの子を飼い慣らしてるつもりだったのに、こんな写真を撮られるとは……」
「アズサにとっての『母親』ってやつを誤解してたみたいだな」
 一矢は吐き捨てるように言った。
 茅野は手元の写真を眺める。
「それで、あなたはどうするつもりなの? この写真がなにを意味しているのかも知らないくせに。なんの確証も無いのに呼び出すなんて正気じゃないわ」
 冷ややかな目でこちらに視線を投げる茅野を見返しながら、一矢は少し考えた。
「……どうもしない。ただ、俺はこれをネタにあんたを脅迫することもできるってことだろ。もしほんとに、あんた達に俺がどうにかされることをアズサが心配してたなら、このデータが俺を守ってくれたのかもな。だが、それは俺の知っているアズサじゃない。忘れるなよ。この写真はアズサからのプレゼントだ」
「なんのプレゼントよ」
「さあ……誕生日かな」
 一矢はそこまで言って、目の前のグラスを掴んでテキーラを飲み干した。他に、やるべきことは残っているか? もう、全ていらないな。帰ろう、アズサ。気分が悪い。
 立ち上がって、ガタイがいいだけの男を押しやり、ドアを開けようとしてから、振り向いた。
「それと、俺は同居人じゃない。恋人だ」

 帰ろう。俺のアズサ。おかしいんだ。周りの人間が知らないアズサの話をする。俺を騙そうとしているのかもしれない。みんなアズサのことを知っているふりをして、本当は会ったこともないんじゃないか? だって、おかしいだろ。俺ほどアズサを愛している人間はいないはずなのに、俺がアズサを知らないなんて。おかしいよな? 死にたがり? 守るために死んだとか。

 んなわけねぇだろ!!




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