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【小説】死ンダ君モ愛オシイ 第28話【最終話】

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 んなわけねぇだろ!!

 一矢いちやは大声で叫びながら、K町のゴミ溜め通りを抜けた。周囲のゾンビ達がチラッと振り向くが、彼らにとっては日常のことなので、驚きはしない。それどころか、ぼったくりバーの案内人が声を掛けてくる。うるさい。うるさい、うるさい! お前らもアズサの話で惑わせるつもりか? 知らないくせに。なにも知らないくせに!

 なんでこんなことになったんだ。あの女に会って、何をしようとしてたんだっけ。間違ってはいないはず。正気じゃないって? 何を飲ませたんだ、ボケネズミが!

 卑猥な路地裏を駆け抜ける。リンゴをチラつかせ誘ってくる霜降り魔女を追い越して、追い越して、長い長い坂を下って、細くて柔らかい階段を駆け上り、レゴでできた黄色い城が見えてきた。あの中にアズサがいる。助けに行くんだ。ここから連れ出せって、甘い声で俺を呼んでいる。ほんとに? アズサが?

 ヴーッ、ヴーッ、ヴーッ……。

 アズサから電話だ。スマホを尻のポケットから抜き出そうとして、取り落とした。慌てて片膝をついて屈みこみ、拾い上げたスマホを耳に当てる。

「アズサ?」
「一矢?」
「大丈夫、今行くから……。そこにいて」
「一矢! どこにいるの?」
「すぐそばにいるよ」
「待って、一矢。どこにいるのか教えて」
「うん、待っててね」
「どこに――」

 プツン。

 あれ、おかしいな。どこだ、ここ。アズサが待ってるのに。

 ――イチヤさん、こっち。

しおりさん? どこに行ってたんだ。俺を置いて」

 ――さあ、一緒に帰りましょう。

「でもアズサが……」

 栞さんはゆらゆらと先へ進んでいく。栞さんの周りだけ輝いて、他には何も見えなくなった。ついて行くしかないか。迷いなく宙を泳ぐ金魚の後を追っていく。鈴の音が聞こえる気がする。眠くなってきた。
 行き着いた先は、見覚えのある地味な扉の前。何の断りも無しに金魚は姿を消し、自宅の前に送還されたらしい。何をしていたんだっけ。これでよかったのか? ゆっくり扉を開ける。いつもの玄関。コーヒーの匂いがする。

「ただいま」

 オカエリ。

 一矢はリビングに駆け込んだ。

「アズサ!」

「おかえり」

 窓際に、アズサがコーヒーを片手に立っている。少し意地悪な顔で微笑む、自分の知っているアズサ。魅了されたように駆け寄って、抱きしめようとしたら腕の間から金魚が擦り抜けていった。息を切らして、金魚の姿を追う。手を伸ばしたけれど、金魚は瞬く星に隠れてしまった。

「アズサ……いや、栞さん? 返事をしてくれ」

 しかし、そこには静かに星が輝くだけで、声はひとつも聞こえない。宇宙に置き去りにされた気分だ。孤独、喪失、焦燥、放心、寂寥、希望、そして虚無。静寂の中、パタリ、と足元に何かが落ちる。ふと、気配を感じて顔を上げると、アズサが手を伸ばし、濡れた頬を拭っていた。
「間違いを、たくさん見つけたんだ」
 一矢の声は弱く、アズサには聞こえなかったかもしれない。
「みんな、間違ってて……知らないアズサだった。みんな間違ってるんだ。何も知らない」
「イチヤもね」
「そう、俺も」
 いつまでも瞳が熱く、無駄な潤いが止まらない。
「アズサ、お前は……一緒に死にたかったんじゃないのか? だからあの朝――」

 ねえ、ごはん、作ってあげようか

 ふわふわと宙を漂うアズサを見上げて、返事を待つが、ふふふ、と小さく笑う声が聞こえるだけだった。一矢が手を伸ばすと、その手をアズサが掴み、星空まで引かれていく。遥か上空、恐怖は微塵みじんもない。どこまでも連れて行ってくれればいい。夢みたいだ。気持ちよくって、意識が飛びそう。小さな星が無数に飛び散って、頬をかすめていく。吸い込んで、吐き出すだけで快感が全身に広がる。はぁあぁ、ふうぅぅぅ、はあぁぁ、ふぅううぅ……このまま星の欠片になれたらいいのに。宇宙の果てに、やっと、自分の居場所を見つけた気がする。ずっと、どこかに帰りたかった。アズサ。アズサがいる。
 ほうけた頭で手を引かれるままに漂っていると、アズサがゆっくり振り向き、強く抱き寄せられた。力が入らない体をアズサに委ね、息ができない程きつく締め上げられる悦びに、小さく震える。
「感情ってどこにあると思う?」
 一矢を抱きしめたまま、頭を優しく撫で、耳元に甘く囁く。
「動物は心臓でできているんだ。心臓で考えて、心臓で食べて、心臓で繋がる」
 そう言いながら、アズサはそっと一矢の胸の中に手を差し入れ、ずるずると熱を帯びた心臓を引き出していく。
「これは貰っていくね」
 大人しい一矢の頬に口づけをすると、右手で掴んだ心臓を満足そうに眺めるアズサ。こんな幸せそうな顔、初めて見た。もっと早く、くれてやればよかったな。頬に触れようと、伸ばした指先の震えが止まらない。そんな一矢の様子にアズサは目を細め、手の中で脈打つ心臓にゆっくり舌を這わせる。
「気持ちいいね、イチヤ」
 どうしてだろう。すごく悲しい。胸の痛みは、感じないのに。

 ――気持ちいいね、イチヤ。

 気がつくと、そこは星空の浮遊空間ではなく、薄暗い、懐かしいリビングだった。妖しい金魚が一矢の首の周りを一周する。不意に力が抜けて、膝をついた。がくがくと落ち着かない膝が情けない。
「栞さん? アズサ? お前はいったい――」

 ――私が誰なのか、まだ気になりますか?

「そうだ、お前はアズサの遺書。まだ聞いてないぞ。もういいだろ」

 ――おかしなイチヤさん。どうしても知りたいんですね。

 ――どうしても、聞きたいんですね。

 イチヤ、アイシテ――

「喋り過ぎだよ、この金魚は」
「アズサ?」
 膝をついたままの一矢の前に立つアズサは、金魚を乱暴に掴んでいた。アズサの手から逃れようと、跳ね回る金魚を、冷たく見つめている。立ち上がりたいが、未だに膝に力が入らない。
「アズサ、その金魚はお前が可愛がっていただろう?」
「そうだったかな。食用にね」
「食用だと?」
 びちびちとアズサの指の隙間から逃げ出そうとする金魚を、一度手放してから、すぐに掴み直した。
「……もういいか」
 そう言うと、アズサは金魚を口に放り込み、バリバリと咀嚼そしゃくする。口の端から美しいひれがはみ出して、助けを求めるように必死に舞っている。
「アズサ……」
 栞さんが、食べられてしまった。鰭の破片が、ペトリと床に落ちる。衝撃に言葉も出ない。
「アズサ、俺は間違い探しをしていたんだ。栞さんと、ゲームを……」
「そう」
 口の中が乾いて、一矢はごくりと喉を鳴らした。
「あれは、誰が望んだものだったんだ? アズサは間違いを見つけてほしかったのか?」
「おかしなことを言うね、イチヤ」

 ――あなたが作った世界。真実はどこ?

 食べられたはずの栞さんの声が響く。
「間違いを見つけてほしかったのは……」
 一矢が呟いた瞬間、目の前の全てが消えた。
「アズサ?」
 勢いをつけて踏ん張り、なんとか立ち上がる。暗闇。なにも、ない。
「行かないで、アズサ」
 ひとりにしないで。なにも、ないんだ。怖くて、足が動かない。とても寒いよ。

「はやくいけ! アホ!」
「ひと思いにいくんだ! まだ間に合う! アホ!」
「追いかけろ! 毒だ! アホ!」
「毒だ! 毒ネズミ!」
「毒目玉!」
「毒ネズミ!」

 騒がしい声に導かれ、薄暗いリビングに戻ってきた。コロコロ、と足元に小瓶が転がる。

 ああ、そうか。毒があったっけ。こんなの、子供騙しの玩具おもちゃだってわかっているけど、俺のための毒なんだろ? 一矢はゆっくり、屈んで、つたな髑髏どくろのシールが貼られた小瓶を拾い上げる。

 ピンポーン!

 アズサ、一緒に暮らそう。もう大丈夫。全部わかってるよ。何もかも、お前のものだ。最初から、最期まで。憎しみで繋がって、繋がれて、最高に幸せで。愛してるって、聞きたかったんだ。愛してる。愛してるって。ああ、あったかい。

 ピンポーン! ダンダンダン!

 毒? アズサの味がする。こんな甘いシロップで俺を殺せるとでも? なぜ玄関から俺を呼ぶんだ。鍵を忘れたのか?

 ピンポーン! ダンダンダン!

 慌てるなって。今行くよ。
 ああ……死ンダ君モ愛オシイ。



【了】




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