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「行政(政策)×デザイン」の試みは、なぜ成功して失敗したのか (3/4)

2017年7月から2019年夏頃までオーガナイザーとして動いていた「Policy Lab. Shiga」という滋賀県職員若手有志の取組みと顛末を、あくまで個人的な動機や思いに基づいて言語化する試みの、その第3回目。いろんな事情があって公開が遅くなってしまった。

提言までのロールプレイでは、業務をしていると何やら発生してしまう行政ならではの意思決定スピードの遅さや制約を最大限取っ払うことを意識して取り組んでいた。特に明確な指針があったわけではなく、行動しながら都度判断で決めていたのだけど、そんな動き方は結果的に普通の行政では出来ない、いわば実験的な試みだったのだろうと思う。

そこでこの回では、どの辺りが実験的だったのかを振り返る。前回(下記リンク)までの記事をもとに、あくまでいち当事者として解釈・整理したものなので、できれば「行政(政策)×デザイン」に関心のある方々からも(建設的な)フィードバックをいただけると有難い(本記事中の写真はすべて http://policylab.shiga.jp/ から)。

1. 行動意思決定の上下関係を排除することで、「発散」のプロセスを作りやすくした

前回の記事でも触れたが、Policy Lab. Shiga のロールプレイにおいて、各チームは最低限の Do Not 以外は最初のトレーニングで学んだことを踏まえていれば基本的に何をしてもいいことにしていた。つまり、誰かに「伺う」というプロセスを排除した

また、リサーチにかかる資金やその収支管理、コミュニケーションツールの選択等についても、全て各チームごとの裁量に委ねていた。独自にメンターを招き入れるチームもあったし、リサーチのために新幹線で名古屋まで行ったチーム、別事業の補助金を取りにいったチームもあった。

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オーガナイザーとしてはとにかくメンバー個々の考え・価値観を起点にしたチームビルディングを大事にしたかっただけなのだけど、そんな「行動意思の自由さ・フラットさ」が、結果として問題発見・解決発見における「発散」のプロセスを作りやすくしたのだと思う。

顧客開発にしてもUX デザインにしても、最初は着地点など見えない状態で進めることになるわけで、それ故に多様な方向性(選択肢)を見つけたりアイデアを膨らませる「発散」のプロセスと、そのためのチームビルディングが重要になる。

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提言書の一節で「部局を越えたチームで『◯◯さん』を幸せにする」と書いたけど、これが簡単そうに見えて行政組織で難しいのは、この「発散」のプロセスが欠けているからではないだろうか。これまでの仕事を振り返ってみると、本来発散にかけるべき時間が削られたり、組織内の上下関係や同調圧力等によって行動意思決定の自由さを奪われてしまう、そうした場面に出会すことがある。

Policy Lab. Shiga のメンバーらが約1年間のロールプレイで培ったのは、そうした行政特有の「縛り」からの解放によってこそ得られる「行政×デザイン」の素地だったのだと思う。

2. ジェネラリスト的にすべてを網羅しようとせず、デザインに対する「スペシャリズム」を追求した

Policy Lab. Shiga では特にリサーチするメンバー個人の意思を表出することを大事にし、かつリサーチしたい相手との信頼関係構築を大事にしていた。自分の思い抜きに「やらされ仕事」をしても良いサービスなんて生まれないし、また組織を超えた個と個との信頼関係がなければ、相手(顧客)の本音など絶対に引き出しようがないからだ。

でも意思を表出しすぎるがあまり自身の主観がリサーチの記録に入り込んでしまうと、それは思い込みや独り善がりの原因になる。デザインシンキングは「自分の意思」を持ちつつ徹底的な「客観視」が求められるものだと思っていて、定例会ではその二面性を意識してフィードバックするよう努めていた。「対話・共感・協働」なんていうけど、そんな当事者への共感を探るスキルとは極めて専門的なものであり、ジェネラリズムとは真逆の「スペシャリズム」なのだ

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一方で行政の仕事は、不思議ととにかくすべての視座を1部署だけで網羅したがる(或いはふりをする)癖があるように感じる。実際に我々の提言に対しても「公務員がデザイン思考だけ身につけてはダメだ」「マクロの視点を両方持ち合わせて政策を考えるべきだ」という指摘をしてきた職員が何人かいた。

確かに全ての公務員がデザイン思考の視座だけ持つ必要はないのだけど、一方でたった一人が全てを網羅する必要もないと思っている。二兎を追えればよいが一兎も追えていないのが現状だと感じるからだ。であるなら2人が一兎ずつ追っていけばよい。

「ビジネスするプロ」「データを扱うプロ」「デザインするプロ」それぞれで頭の使い方は違うはずで、デジタル・データ・デザイン、それぞれのプロフェッショナルが「分立」して一つの政策を見合っていくのが本来は望ましい姿なのだろうと思っている中途半端が一番良くない。Policy Lab. Shiga は、いわば「デザイン」に特化した特殊専門部隊を庁内に設置できるかを県庁という組織に問いかけるプロジェクトだったのだ。

3. プロセスをフラットに共有し続けることで、評価者ではなく伴走者を増やしていった

プロフェッショナルを追求するにしても、当然我々はデザインに対して初心者だし、見よう見まねでは必ずどこかで迷子になる。

そこで、前回の記事でも書いたけど、ある程度デザイン思考に対して理解のある外部の人たち(≠アドバイザー)から定期的にフラットなフィードバックを得られる機会(定例会)を作った。また、自分たちのやっていることが的を外していないか、必要に応じていつでも軌道修正できるよう、経過報告をブログとして定期的にアップし、誰でもウォッチできるようにしておいた。

行政がその執行過程をオープンにするのは、いわゆる市民に対する説明責任に応えるためだというけど、我々がリサーチのプロセスをブログや Facebook を通じて発信し続けた最大の理由は、リサーチにあたっている各メンバーが各々の模索を自由に相談したり共有しあえる「伴走者」、つまり仲間を増やしたかったからだ。ある程度フラットに腹を割って会話ができる関係を「定例会」を通じてつくり、さらに内輪でなぁなぁにならない適度な緊張感も「定例会の記録」をあげることでつくる。Policy Lab. Shiga はこの「プロセスを見せる」姿勢をもって伴走者を増やし、デザインに対する追求を続けることができた。

また Polocy Lab. Shiga という集団としてのブログだけでなく、プロジェクトに関わった一部のメンバーらが各々個人の Facebook アカウントなどで自分なりの言葉で活動をシェアしていたのも大きかった。これは別に彼らにお願いしたわけではなかったのだけど、堅苦しいお客様相手の言葉ではなく、またいい子ちゃんぶった綺麗な言葉ではなく、悩みや反省もこめた自分なりの素直な表現で、その模索を個々が表現しあっていたことが、結果的に仲間を増やす一因になっていたんじゃないかと思う。

記録を公開するにしても、そのメッセージが他人行儀だったり距離が遠かったりすると、「伴走者」ではなく「評価者」が増えてしまうものだと思う。当然褒めてくれると嬉しいのだけど、褒められたり貶されたりするその声しか聞こえなくなると、「こう書けばもっと褒められる」とか「こんなクレームが来たらどうしよう」とかいういわば邪念へと変わり、自分たちが本当にやりたいことや顧客が本当に求めているもの、いわば本質を見えなくさせる。そういう声に振り回されないような情報発信や受信を、Policy Lab. Shiga のロールプレイでは重視した。

まぁ提言を発表するやいなや実際にマウンティングしてきたり突然「行政というのはね」などと説教してくるような人たちも一定数いたことを思うと我々のアプローチも完璧ではなかったのだけど、、、振り返ってみればこうした模索も普通の行政にはない実験的な試みだったのかもしれない。

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この写真はロールプレイ後半に実施した、県内の様々な人たちを巻き込んだアイデアソンのワンシーンなのだけど、こういう場の空気を「県職員」がお手製で作ることができたことが、論より証拠というか、行政ならではの意思決定スピードの遅さや制約を最大限取っ払った、何よりの結果だったと思っている。

こうした学びを経て提言を行い、2019年、実際の県事業のなかでデザイン思考を活用した試みを行うことになった。が、それは全く上手くいかず、大失敗に終わった。最終回はその顛末と自分なりの整理を書き記す。