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能力・スキルにもうとらわれない。

「メリトクラシー」
メリトクラシーは、みんなが公平にチャンスを得られ、一番頑張った人や一番上手に何かをした人が報われる世界のことを言います。たとえば、学校でテストを受けたとき、一番勉強を頑張った人や一番正解を出した人が一番高い点数をもらう、それがメリトクラシーの一例です。


現代の僕たちの社会を支えているこのメリトクラシーという考え方。
僕はこの「メリトクラシー」、つまり能力主義からの脱却が「やりたいことを本気で遊ぶ」ための第一歩だと考えています。

生まれや身分によらず「頑張れば報われる」社会を形成したメリトクラシーはたしかにある意味平等をもたらしました。
ですが同時に「頑張らなければいけない」「能力を高めなければいけない」雰囲気を世界中に蔓延させてしまったと思います。

「頑張らなければいけない」「能力を高めなければいけない」
この考えこそが、今日勉強や仕事をつまらなくしている諸悪の根源です。

僕はもう「能力」「スキル」そんなものに人間はとらわれる必要はないと考えています。とらわれればとらわれるほど「俺は能力がない、だからお金が稼げない」「結局頭の良くない俺はこの社会では勝ち上がっていけない」「いっぱいスキルをつけなきゃ。そうしないと次のステップへはいけない」など焦りや不安を感じます。

そこに楽しさはあるのでしょうか?「能力」「スキル」にとらわれながら、毎日笑っていることができているでしょうか?
きっと不安に押しつぶされそうで、辛いと思います。

そんなメリトクラシー・能力主義をぶち壊してくれる存在が最近現れました。ChatGPTを代表とするAIです。

良く騒がれるのは「AIは僕たちの職業を奪うのか?」ということですが、極端なことを言うと僕は奪っていいと思っています。
正確には能力やスキルに関する部分はAIなどが代替わりしてもいいと思っています。
何故かというと、AIは「メリトクラシー」能力主義から人間を解放してくれる存在だと僕は思っています。

さんざん悩まされ続けてきた「能力」「スキル」「学歴」「点数」「結果」そんなものから解放してくれる存在としてAIは生まれてきたのだと思います。

そうなったときに、人間はもっと曖昧でざっくりで適当に生きていけるはずです。無意識に縛り続けてきたプレッシャーから解放されます。
そしてその曖昧から新しいものやアイデアを創出するのは人間です。AIなどは僕たちの曖昧さを形にしてくれるのを手助けしてくれます。
僕はそのような曖昧でざっくりで適当に生きていくことこそ、人間らしい生き方なのではと思います。幸せや喜びを感じるために僕たちは生きています。

もし「資格をとらなきゃいけない」「大学やスクールで興味はそこまでないけど仕事のためにスキルを磨かないといけない」「テストでいい点数をとらないといけない」そんなプレッシャーに押しつぶされそうな人はもう一度まっさらな状態からこれからの能力やスキルの意味について考えてみてはいかがでしょうか。


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