内なる子供との対話
幼い頃の心の傷は、その後の人生にあらゆる影響を及ぼす。20代半ばでそのことに気付いてから、傷ついた自分を癒すためのあらゆる手法を試してきた。
まず何が傷だったかを知るところから始まり、同じような形の傷に何度も出会いながら、少しずつ新しい経験をすることで、認めたり、手放したり、癒されたりしてきた。そして、まだそれは終わっていない。
「インナーチャイルド」という言葉がある。素直な感情、本音、本来の自分を象徴した子供のイメージであり、ありのままに生きられなかった傷ついた子供の姿。
先日、このインナーチャイルドの言葉を聞くために、なんとなく年齢退行をやってみた。そのときに出てきた言葉が印象的だったので、己を見つめるために改めて文章にしようと思う。
年齢退行は専門家の指導を受けたわけではなく、ほとんど自己流で行ったため、方法などは記載しないでおく。興味のある方は「ヒプノセラピー」「年齢退行」などで検索してみてほしい。
「おかあさんがいない」と泣いていた
まず、一番深い影響を及ぼしている年代に戻ることにした。どんどん戻っていった。すると、あるビジョンが見えてきた。
木の天井と、丸い蛍光灯を木枠で四角く囲った照明。おそらく実家だ。身体の感覚は、床に寝かされている。「わたし」はまっすぐ天井を見つめている。「わたし」に身体の感覚をあずけていると、ある言葉が出てきた。
「おかあさんがいない」
はじめはこの言葉ばかりを何度も繰り返し、いきなりボロボロと泣き出してしまった。
これはおそらく0歳頃の記憶だと思う。過去にいくつかの記事にも書いたが、うちの母親は私が生まれてすぐに働き始め、代わりに育児を担う祖母は、あまりにもよく泣く私のことを放置していたらしい。この辺りの経験が、今の私にとっていちばん古い心の傷だ。
記憶が無いこの時期のことが傷になっているということは、これまでカウンセリングなどを通して発覚していたので、このシーンが出てくるのは想定内だった。
その後も「おかあさんがいない」と泣きながら言葉を続けた。
「おかあさんがいない
いなくなっちゃった
おなかすいた」
「おかあさん
よんでもこない」
「ごはんはもらえるけど
ごはんより
ずっとそばにいて
だきしめていてほしかった」
私は、メンタルが不安定になると食事を摂らなくなるという習性がある。というか根本的に食事に対してなにかブロックがあると感じている。
祖母に育児放棄の意思はなかったため、ご飯を抜かれるといったようなことはおそらくなかったのだろうが、「わたし」にとっては食事が与えられることやトイレの世話をしてもらえることよりも、きっと抱きしめて貰えることのほうが、ずっとずっと大切だったのだと思う。
この下りに関しては、同じような内容をだいぶ前に記事にしている。
「わたしはいないほうがいい」と本気で思っていた
インナーチャイルドはそのまま泣き続けていたが、今度は見える風景が変わっていった。家で家族と話しているところや、幼稚園などでの記憶らしき風景が過ぎていく。年齢が上がってきたのだろう。5歳〜7歳くらいだろうか。
そこで話す内容が変わった。
「わたしのこと、だれもみてくれない
わたしのいうこと、だれもきいてくれない
わかってくれなかった
だれも、わかってくれなかった」
*ここでいう「いうこと」というのは「お願い、命令」という意味ではなく「話」というニュアンス。
確かに潜在的にずっと「誰にもわかってもらえない」という感覚はあって、私は基本的に他人に期待しないし信用しないところがある。親との関わりの中で深く根付いた感覚だったんだろう。
「だれにもわかってもらえなかった」彼女(わたし)は、次にどう思ったのか。
「だからわたし
いないほうがいいんだっておもった
いないほうがいい
いちゃいけない」
これも、ずっと自分の中に当たり前にあった感覚だ。居場所のない心もとなさ、生きていることへの罪悪感が心の底にこびりついていた。そういえば傾聴カウンセリングを始めた頃、初めて心の奥深くに潜れたと感じた時に出てきた言葉は「生まれて来なければよかった」だった。
身近な人達に「受け入れられなかった」と感じたわたしは「いない方がいいのかもしれない」と感じたのだ。私は、それを聞きながら、およそ年齢一桁の時点で「自分はいない方がいい」と判断し自我を押し込めるその絶望が、どれほどの苦しみだったのだろうと思って悲しくなった。
「でも求められたかった
見てほしかった」
「だから、求められるわたしになった」
「わたし」は「求められる」ために、周囲が望む人間になろうとした。自分を表現することよりも、理解されず、見捨てられることの方がずっと怖かったから。
この「求めてもらえるわたし」というフレーズは、何度も繰り返していて、かなり強い執着が感じられた。
「ほめられたし
よろこんでもらえた
でもわたしは全然嬉しくなかった
だって
そこにわたしはいないから」
確かに、保育園でも「おりこうさん」という言葉を何度聞いたかわからないし、小学校に入ってからも優等生だった。「求められるわたし」は、大人に対してのウケはとてもよかった。ただ、家族からは褒められなかった。日本人特有の謙遜もあるかもしれないが「外面だけはいい」「家では本当に聞かん子で……」と言われていた。
「求められるわたし」は褒められたい人には褒められず、そして「求められるわたし」はずっと受け入れて欲しい、話を聞いて欲しいと願っていた「わたし」からは程遠かった。
だから、ほめられても、嬉しくない。
そんなだから、ずっと、ほめられることは、空虚さとセットだった。
「わたしはいらないこだから
いちゃいけないこだから
そのままのわたしはきらわれるから
だから、いないことにした」
しかしどれだけ空虚だったとしても、悲しかったとしても、受け入れてもらえなければ「わたし」は存在が許されない。その悲しみすら、認めることが許されない。(許していないのは自分自身だったとしても)
「自分の存在が許されない」というその苦痛に耐えられないから、自分の存在を、はじめからなかったことにした。
それでも、なかったことになんてできなかったから、今こんなにも苦しいのにね。
「だれもきいてくれなかった
だれもわかってくれなかった」
冷静に「いないことにした」と言いながら、それでもずっと辛かった、悲しかった気持ちは、そこに在り続けたんだろう。この言葉を何度も何度も繰り返しては、顔をくしゃくしゃにして涙をぼろぼろと流していた。
おそるおそる対話を試みる
同じ言葉を何度も繰り返すので、たぶんここが問題の核だと悟り、対話を試みた。
『だれもわかってくれなかったんだね』
そう声をかけた。事実がどうだったかなどは問題じゃない。彼女がそう感じたことを受け止めることが大事なのだ。
するとインナーチャイルドは言った。
「ほんとうはそのままでいたかった
そのままのわたしがよかった
わたしのままで」
私はここ数年、「ありのままの自分で生きること」を目標に、「自分とは何者か」ということをずっと考え続けてきた。受け入れられるために身を削ることをどうにかやめて、その上で、受け入れてくれる人に出会うために生きている。その為に、出来ることを色々と試してきた。
私は更に言葉をかける。
『そのままでいいんだよ』
しかしその言葉は、どこかふわふわと宙を舞うような感じだ。きっと私自身が心の深い所ではそう思っていないからだ。
私はまだ「わたし」の「そのまま」をちゃんと知らないし、理解しきれていない部分もあるのだろう。「ダメな自分」と否定している部分に「そのまま」が含まれている可能性だって大いにある。
「わたし」は黙ったままだ。
根気よく、インナーチャイルドの言葉を待つ。
浮かんでくる感情を、感じ取ろうと努めると、不安と、恐怖という、じつに馴染みのある感情が浮かんできた。
私は彼女に「言葉にしていいよ」と許可を出すと、おそるおそる言葉を紡ぎ出した。
「でもこわいよ
そのままのわたし
もとめられるわたしじゃなくても
いいの?」
彼女は確認するように尋ねる。その言葉には、疑い、恐怖、不安、そしてかすかだが、その向こうにある希望に対する期待が含まれていた。
『私はあなたを楽にするために
あなたを自由にするために
ここまでやってきたんだよ』
私は「これまで抑え込んできてごめんね」という気持ちと「もういいんだよ、出てきてもいいんだよ」という気持ちで向き合った。どこか説得するように、そして祈るようにこの言葉を発した。
それに対し、インナーチャイルドは、短くこう言った。
「わたしがそのままだと、
みんないなくなる」
これはまさに、私の中の見捨てられ不安そのものだ。
私は自分が自分のままでいることよりも受け入れられることに重きをおいてしまい、不安から自分を押し殺すという悪癖がある。そしてそういうときは、決まって上手く行かないのだけど、何度も繰り返してしまう。それだけ、この思い込みは根深いのだ。
『いなくならない人もいるよ
いるでしょ』
事実、私にはほぼすべてをさらけ出しても受け止めてくれる旦那がいる。まだ付き合いが浅いが、noteやTwitter経由で出会って、今の私でも友達でいてくれる人がいる。その人たちのことを思い浮かべながら、ていねいに、インナーチャイルドに問いかける。
それでも彼女は不安げだった。いつかいなくなるかもしれない、という恐怖は、そう簡単には消えてくれない。私は更に続けた。
『少なくとも、私はそばにいる
あなたのそばにいる
あなたの声を聞かせてほしい
あなたを自由にしてあげたい』
他人は離れていくかもしれない。けれど、私は死ぬまでそばにいる。これだけは確かだ。
私はずっとインナーチャイルドと仲が悪いというか、意思疎通が出来ていないと感じていた。私自身、彼女に信用されていないんだろうな……という感覚があった。というか、この退行で感じたのは、むしろ私の気持ちは、彼女に届いてないのかもしれないということだった。
私は心からの思いで言った。あなたの声を聞かせて欲しい、と。私はあなたを求めている、と。
「求められるわたしじゃなくてもいいの?」
インナーチャイルドは私の言葉に、反応してくれた。私はそのまま続けた。
『いっしょにいてくれる人はいるよ
私もいるよ
ここまでやってきた
手に入れたものはあなた(わたし)の中にある
安心していいんだよ
もう大丈夫、大丈夫』
そう声をかけると、「わたし」は声を上げて泣いた。
このときの涙が一番すごかった。退行中、自分自身とインナーチャイルドの言葉が区別がつく程度には自我が保たれていたが、このときはもう、感情が濁流のように押し寄せて、今の自我がどちらか区別がつかないくらいに溶けて、言葉も何も浮かばず、まるで、身体ごと泣いているようだった。
そして、しばらくして少しずつ波が落ち着いてきた頃合いを見計らって「今」に戻るように声をかけ、深呼吸をしながら意識を戻した。
退行をしてみて感じたこと
退行をしようと思ったきっかけは、アクセスバーズのクリアリングでかなりコアな部分に触れてしまったがためにひどい好転反応が起きたからで、幼い頃の心の傷は、壊すより癒やすほうが安全なのでは、と思ったからだ。
そして退行を実際にやってみて感じたのは、これまでカウンセリングで原因を特定したり、内省や感情の解放などをやってきたが、未だに根深い感情が染み付いているんだな、ということだった。
思いの外、私の言葉は届いていない。潜在意識との意思疎通が出来ているような気がしていただけで(全く出来ていないわけではないだろうが)、きっとまだ、ひとりぼっちの「わたし」はずっとそこにいたのだ。
今回はその「わたし」に出会えた気がする。
ちなみに、このときの体験を数日後のアクセスバーズで話したときは、当日の記憶も曖昧だし、思い出すのもかなり体力を使う話なので、バーズが終わってからゆっくり話そうと思っていた。にもかかわらず、バーズ中に話題を振られたとき、かなりスムーズに言葉が出てきて、なおかつ動悸が激しくなり、背中が低温やけどするのではないかと思えるほどに熱くなった。(話が終わったら治まった)
核心に触れる話題を話すと、強く反応するという話は以前の記事でも記載したが、かなり深い核心に触れていたのだと思う。
後日談 インナーチャイルドは癒やされたのか
ちなみに、この退行をしたのはおよそ1ヶ月前。結局バタバタしていて記事にするのがこんなにも遅れてしまった。ただそのまま出すのもアレなので、せっかくなので後日談を書こうと思う。
私は専門家ではないので、このやり方で正しかったのかはわからない。ただ、出てきた言葉や感情はまぎれもなく私のものであったし、「わたし」のものであった。それだけは確かだ。
そして、私があのときインナーチャイルドにかけた言葉で、すぐに彼女の意思が変わったかどうかは定かではない。当日の夜は感情を開放したせいで不安定になり、過去の怒りが湧いてきて衝動的にツイートをしたりもしたし、拒絶に対する怒りや不安、恐怖は変わらずある。
つまり、はっきり「退行の効果だ」と実感できるようなことはあまりなかった。
しかし最近、少しずつ自分の過去の「受け入れられなかった」という記憶を覆すような出来事が起き始めている。具体的には後日記事にしようと思うので概要だけ触れておくと、同じ状況において、周囲にいる人達の反応が以前と違ったりしている。
そもそも以前とは付き合うメンツが違うので、反応が違うのは当たり前なのだが、自分の周りにいる人は自分の思考や潜在意識の反映なので、つまるところ自分自身が変わって、経験を上書きしてもらえる、つまり癒やされる段階に来ていると考えられる。
また、こちらは嬉しいことばかりではないが、自分の中で「ダメだ」と思っていた部分を、認めざる得ないが、そこを認めれば楽になれるという道が示唆されはじめているのだ。
退行をしてからこの記事を書き上げるまで、2回アクセスバーズを受けているので、退行だけでこの結果が得られた、とは言いにくいのだけど、あのとき私が彼女に「安心していいよ」と声をかけたことで、癒やされる方へ向かい始めている、きっかけにはなったのかもしれない。
*
人の心の傷の形はきっとそれぞれだ。これを読んでいる人にも何かしらはあるのだろう。けれどそれは一生付き合っていくにしても、癒やしたりぶつかったりしながらもその関係をよくしていくことはきっと出来るはず。
もちろんタイミングは人それぞれ違うだろうから、焦る必要はない。けれど、私がこうして対話をしたプロセスを公開することで、なにかのヒントになればいいなと思う。
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