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古代日本は多民族共生?(葉脈盆地3)

巨大台風からの渦巻く風が、南の瀬戸内側の山を越して叢雲が、葉脈状の盆地を飛び過ぎて行く。四方が山で、一山越すと内海という大動脈。まさに古代吉備は大動脈と毛細血管に富む有数の回廊だったろう。日本語との、否定不可能な合致を無数に持つ他言語の研究から、100%その他民族達が、日本語創成の頃、日本列島の通過者でなく、世紀をまたぐ居住者だった事は否定不可能だ。

大野晋氏のインド・ドラヴィダ言語と古代日本語の研究からは、のり(法)日本語=規則・法令・方法ドラヴィダ語や、ヤマトトトモモソヒメ(第七代孝霊天皇皇女。箸墓古墳、大物主神神婚譚)=ヤマトのtoto(蛇)霊を崇拝する姫、ドラヴィダ語など。

さらに有名な日ユ同祖論によると数百の言語意味一致がこれまた否定不可能だ。日本語、アッパレ=ヘブライ語、栄誉を得る。日本語、アラ・マー=どうしたの?、ヘブライ語。日本語、オニ=ヘブライ語、私を苦しめるもの。日本語、スケベ=ヘブライ語、肉欲的に寝る、など。

さらに黒潮に乗って、太平洋側にやって来ていた海の民族達。日本語、浅間山(あさまやま)=インドネシア語、灰。日本語、駿河(するが)=インドネシア語、天国、など。

古代日本は、統合シャーマンによる合衆国だった?

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