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ポジション −マガジンタイトルについて-

2019年の始まりにその1年の抱負のような文章を書いた。

タイトルにもあるように、「ポジションをとるんだ」と意気込んでいた大学院での最後の1年。年が明けるとあれからちょうど2年が経つ。

あの頃の思惑とは違って、いまの僕は
「ポジション、はっきりと取りたくないかもしれない…」

とよく考えている。


***

子どもの頃にサッカーをはじめて、大学・大学院でスポーツや体育を専攻し、現在は子どもたちのサッカーコーチとして仕事をしている。

それだけ見るとすっかり「サッカーの人」、「スポーツの人」だ。

2年前に「ポジションを取るぞ」と言っていたのは、そういった「〇〇の人」だということを世間に認知され、そのコミュニティの人たちとコネクションを作れたり、仕事が舞い込んできたりを目指してのことだった。


その1年で、Twitterでサッカーやスポーツについて投稿することは増え、noteでも意識的に「サッカーコーチ」としての発信をしようと、セルフ監督インタビューなるものにトライしてみたりした。

そして縁あって今年から、フルタイムのサッカーコーチとして仕事をいただいている。着実に「サッカーの人」として、社会的なポジションをとりはじめているといえそうだ。

しかし一方で、「サッカーの人」と見られないようにしたいという気持ちもどこかあるのだ。自分の中に矛盾がある。

問題の所在は“におい“だ。


「サッカーの人」や「スポーツの人」というカテゴライズには強い”におい”のようなものがあると感じている。初めて会った人からすると、体育会系の人ってこういう感じだよね、というステレオタイプが、他の、例えば銀行員や証券マン、メーカー勤務みたいな職種よりもずっと生まれやすいのではないだろうか。

この“におい“は、同じ”におい”をもつ人たちと出会うのにとても役立つ。そのコミュニティの中にファンをたくさん作っていくのに、”におい”がわかるようにブランディングしていくことは最近のSNSの定石とも言える。


しかし僕自身としては、その強い“におい”の扱いを慎重にしたい、時には邪魔だなと感じることさえあるのだ。

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***


サッカーには他のものより少し長い時間をかけてきたから、いま有難いことにそれで仕事をしている。ただ、「サッカー」や「スポーツ」というのは僕を構成する側面のひとつだ。

本当に”におい”の強い人たちは、その側面を徹底的に磨いて第一線で活躍したり、活躍することを目指していて、それこそがプロフェッショナルともいえるのだけど、自分自身はそういうタイプではないことを自覚してしまっている。


まず社会があって、地域があって、その中にスポーツ文化や環境があって、さらにその中に僕らの現場であるサッカーがあるという捉え方を自然としていることもあってか、


サッカー以外にも同じくらい関心があるものがたくさんある。

地域づくりやコミュニティ、教育、場づくり、ファシリテーション、組織論、さまざまな社会課題にも関心があるし、音楽やデザインや、エッセイのような文章を書くことにも興味がある。

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誰かとそういう話をする時、特に相手との関係がまだ浅いと、「スポーツの人」という“におい”は相手に「スポーツのこと以外はあまり知らなさそう」と思わせるのか、話の解像度が下がることがしばしばある。

これが厄介で、「〇〇に関心がある板谷隼」、もっといえば「板谷隼」という個体としてみてもらいたいところが、「サッカーコーチ」というラベルで全部隠れてしまうことがあるのだ。

僕はサッカーコーチとして役に立ちそうなものを得たいのではなくて、僕自身の心が動くような話を知りたい。サッカーコーチとして発信したいのではなくて、今はそれを仕事にしている「板谷隼」僕自身として伝えたいことがあるのだ。


そんなことを考えて、オンライン・オフライン問わず自分の見え方をできるだけニュートラルにもできるように、その“におい“の扱いには気をつけたいと思っている。


***



ここまで書いたことを全てひっくり返すようだが、このマガジンのタイトルには「サッカーコーチ隼の『仕事と生活のあいだ』」には「サッカーコーチ」とはっきりと記されている。サッカーの話をどれだけするかも怪しいのに、「サッカーコーチ」というポジションを取りにいっている。


これにはたくさん悩んだ。


実はこのマガジンには前身があって、自分の思考を売り物にできるかという実験も兼ねて、似たようなコンセプトで2ヶ月間、週に1−2本のペースで頭に漂っている思考の欠片を文章にしていった。

その時のマガジンタイトルは、「だいたい週刊 ひとり議事録」
このタイトルについては、大いに反省があった。


ありがたいことに購読してくれる人が4−5人いたのだけど、全員が実際の知り合いの方で、その理由を考えたのが上の記事。

『大いに反省です。本当に反省です。
まず僕は有名人じゃないので、何の属性も見せていない人の「思考のかけら」に興味を持つ人が少ないですね。
そして「ひとり議事録」という説明が必要な=わかりにくい言葉をタイトルに押し出している。
結構悩んだんですけどね、どんなタイトルにするといいか。ちょっと捻りたかった。でも自己満足で「売る」ということについては逆効果ですね。』


内容と、そして誰が書いているか。
このどちらかあるいは両方がはっきりしているから、興味を持ってもらいやすい。

僕の名前だけでは「誰が書いているか」がはっきりしないから、「サッカーコーチ」という今やっていることの名前をかりざるを得ない、というのが結論。

悔しさ少しあるが、現状としては当然のことではある。


「誰」というのを名前だけで表せたり、ポジションを曖昧にできるのは、その人自身の名前にネームバリューとか拡散力とか、書き手として多くのファンがいるとか、そういう力のある人なのかもしれない。
先述のnoteのなかではそういう例をいくつか紹介している。)


自分にその力はまだないから、まずは「サッカーコーチとして」、サッカーのこともスポーツのことも、それ以外のことも、その視点から綴っていこう。“におい“の強さに気をつけながら、サッカーコーチによるサッカーコーチらしからぬ視点を自分のポジションにしていければ、それも理想的かもしれない。


そしていずれは、「あいつ、サッカーコーチだと思ってたのに、あんなとこにも、こんなとこにも顔を出してくるのか!?一体ほんとのポジションはどこなんだ!?」

と言われるような運動量のあるプレーヤーになって、いろんな人からパスを受けられるようになるのが目指したい姿だ。

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ちなみにこのマガジンのタイトル、当初は「サッカーコーチ隼の よもやま話とエッセイ、時々サッカー」だった。

上のnoteでも紹介しているのだが、愛読している林伸次さんのマガジン『bar bossa林伸次の毎日更新表では書けない話と日記』を参考にして内容もポジションもわかりやすさを求めようとした。


でも、どこか踏ん切りがつかなかったところ、「仕事と生活のあいだ」という言葉とトピックが降りてきた。

少しわかりやすさは落ちたかもしれないけれど、これはちょっとした意地なのだと思う。 自分の感性は大事にしたいという、ささやかな意地だ。


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※定期購読マガジン「サッカーコーチ隼の『仕事と生活のあいだ』」は2022年4月に廃刊になりましたm(__)m

無念。

またリベンジします!

アーカイブ用につくった無料マガジンはこちら。当時の収録記事をまとめてます。


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