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祈り

2011年 3月 11日 金曜日 16時 48分 18秒

当時、中学1年生。
あの時の衝撃は今でも忘れることができない。

東日本大震災が起きた時私は教室で友達と過ごしていた。愛知県でもかなり揺れたのを覚えている。誰もが予想などしていなかっただろう、東北であんなにも大きな被害が出ているということを。

家に帰ってからというもの、テレビをつければどの局も同じニュースが流れたいた。忘れもしない光景。津波のように心に押し寄せてきた感情を整理することもできず、ただただ食いつくようにテレビを眺めていた。

自分の無力さを知った

正直なところ、信じられなかった。信じたくなかった。なにがなんだか分からなかった。自分は何ができるんだろうか。被災地を思いやることしかできないのか。中1の私には募金をするので精一杯だった。それも、お小遣い出でもらったお金を。悔しかった。辛かった。でもそんなこと言っちゃいけない気がした。本当に辛いのは現地の人々で、何もできていない自分が、軽い気持ちで口にしていけないと思った。

高校生になった。被災地の為に何ができるのだろう。何か少しでもいいから関わることができたら。ほんの少しでもいいから力になりたいと思っていた。ただ、相変わらず募金をすることしかできなかった自分の無力さを痛感していた。

大学生になってもその思いは変わらず、ボランティアができるゼミに入った。ある日何気なく先生に、東日本大震災のボランティアはないんですかと聞いた。すると、知り合いがいるから聞いてみるよと言ってくださり、その知り合いの方と繋がることが出来た。その方が紹介してくださった復興・支援インターンに参加することを決め、大学3年生の夏、1ヶ月もの間「宮城県石巻市」に住み込みでインターンを行った。月から金はお仕事であまりお話をする機会もなかったが、お休みの日には色んなところに足を運んだ。そして、たくさんの人からお話を聞くことができた。

7年越しに訪れることができた

当時の話を真剣に、ときに笑顔で話す人々は、どこからそんなに力が湧いてくるのか不思議だった。自分の中にいろんな思いが込み上げてきて自然に涙が出た。遅くなってすみません。やっとこの地を訪れることができました。現地の方々のお話を、目で、耳で、鼻で、口で、肌で、頭で、心で感じることができた。テレビで見るだけでは味わうことの無い空気感、実際に自分の目で見ないと視えてこない世界がある。


きっと私ができたことは、ほんの一欠片かもしれない。けど、みんながみんな力を合わせあって生きている。誰かの穴を埋めるように、欠けている部分を補うように、手を取り合って生活している。1人じゃ生きていけない。本当にその通りだと思う。不謹慎かもしれないが、震災やなにか大きなことが起こらないと人々は気づくことができないのかもしれない。当たり前が当たり前じゃないということを。今、生きていることがもう既に奇跡であって、ご飯を食べて、学校にも行けて、帰ってくる場所もある。こんなにも素晴らしいことがあるだろうか。


別れがあって初めてその出会いが素晴らしかったと気づく。

何かを失うことで初めてその有難みがわかる。

誰かが亡くなって初めて命には終わりがあると知る。

いつ、どこで、何がどうなるか分からないこの世の中。私達は生かされているということに感謝しなければならない。今こうして息をしていることに幸せを感じなければならない。その1日が人生で最後の1日になってしまうかもしれない。その人と会うのがその日で最後になってしまうかもしれない。そうしたらもっと、自分の見ている世界が変わると思う。色んな人に、ことに、ものに優しく、感謝をして生きる。いつ終わりがきてもいいように。それが本当に大切なことだと。

それが、「今を生きる」
っていうことなんじゃないのかなって思う。


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