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当事他者探究

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「当事他者」についての探究
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当事他者探Qその8

 友人より横道誠さんが「当事者」を「経験専門家」としても捉えていると教えてもらい、ヒントになりそうなので考えてみましょう。考えるにあたって、「経験」と「専門家」とを分けたいと思います。

 これまで「経験」を「体験」と区別してきました。「体験」はある出来事に直面することとして、「経験」は体験した出来事を他者と分かちあえることとすると、「当事者」を「体験」と、また「当事他者」を「経験」と結びつけて考

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当事他者探Qその7

 当事者の体験を、当事他者と言語化して経験にすることを、ベンヤミンの言語論に沿って考えてみましょう。

 ベンヤミンは「言語一般および人間の言語について」という論考において、言語は人間以外の事物にもあるけれども、それは音を持たない沈黙の言語だとしています。それに対して人間の言語すなわち言葉は、事物を認識して音声にすること、つまり事物を名づけることを本質としています。当事者の体験を経験へと言語化する

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当事他者探Qその6

 「当事者」が「問事者」であることから、「当事他者」も「問事他者」であり、やはり「問う」という能動的側面と、「問われる」という受動的側面があります。

 「当事者」が出来事との間で「問う/問われる」関係を持っていました。一方「当事他者」は、「事に当たる」という、出来事を「問う」能動的側面を間接的には持ちますが、「問われる」という受動的側面は、出来事とは別に「当事者」から受けることになるでしょう。

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当事他者探Qその5

 出来事の不確かさを受け止めて問いを開始する「問事者」には、二つの側面すなわち受動と能動の側面があります。まず一つには、出来事を受け止める、逆に言えば、出来事に問われる受動的側面があり、またもう一つには、出来事を問う能動的側面があります。

 「問事者」は、まず出来事を受け止めて、次に問い始めるといった順序を辿るように思えますが、必ずしもそういうわけではなく、むしろ問い始めることで、出来事を受け止

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当事他者探Qその4

 前回の「共同存在」について述べた際、「現存在と他者」を「当事者と当事他者」に置き換えました。それはいわば「現存在」は「当事者」であると言っているようなものです。しかしそれはあながち外れていないのではないかと思います。

 「現存在」という言葉を、前回はとりあえず人間の意味で使いましたが、実際にそれが言わんとするのは、存在を問う人です。存在といっても、あまりにも漠然としています。存在を問う人にとっ

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当事他者探Qその3

 当事他者の存在の前提に当事者がいるように、当事者にも当事他者がついてまわる。当事者と当事他者とは、切っても切れない関係いわば「共同存在」という言い方ができるかもしれません。

 「共同存在」は、哲学者ハイデガーの『存在と時間』に由来します。ハイデガーは、「現存在」(とりあえずのところは「人間」の意)はすでにつねに「他者との共同存在」であるとして、次のように書いています。「現存在の存在には、他者た

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当事他者探Qその2

 「部分的」につながるとは、「分かち合う」ことであり、哲学者ジャン=リュック・ナンシーが言うところの「パルタージュ(partage)」です。「パルタージュ」は、『声の分有』(1982)のキーワードとして登場し、「分割=共有」の意味で「分有」と訳されます。
 「パルタージュ」の意味について、伊藤潤一郎さんの整理するところでは四つの意味があります。「分割」・「部分」・「共有」に加えて、「出立」の意味も

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当事他者探Qその1

 「当事者(party)」と「当事他者(partner)」との、つながりは「部分(part)的」です。それには消極的理由と積極的理由があります。
 消極的な理由として、「部分的」とはまず「全体的」ではありません。「全体的つながり」とは、「当事者」の日常の手助けから資産管理まで何もかも、あるいは空間的にも時間的にも四六時中かかわっているような、つながり方です。

 「全体的つながり」において、一つに

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「当事他者探Q」宣言

 とりあえずの「当事他者論」の構想について思いつくままに。

 「当事他者論」は二部構成で、第Ⅰ部は「非当事者研Q」、第Ⅱ部は「当事他者探Q」と題してます。第Ⅰ部の「非当事者研Q」は「非当事者」の検討から「当事他者」の提案までで、内容はすでに書いたようなものです。
 そして第Ⅱ部の「当事他者探Q」は、「当事他者」から連想できることやインスパイアされたことについて考えながら、「当事他者」としての構え

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