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【ブックレビュー】鳩子、仔鳩期に読んでいた本を紹介するの巻

なんとブックレビューが好評らしい。
noteには、いい本に出会いたい人が多く集っているのだろう。よくわかる。本好きは常にいい本を探していたりする。noteでもそういった本好きが納得する読書体験がもっと気軽にできるようになる日は来るのだろうか。とにかくハードルが高過ぎて、こちとらもう飛べませんからね。なんちって。
なんてことを書いてはいるが、今日はそんな本好きな皆様をガッカリさせる記事になるかもしれない。鳩子が仔鳩だった頃に読んでいた本を紹介するが、しょうがない、読んでたんだから。
あっ・・・・・・、と思ったら、すぐさま画面を閉じて下さいませ。

仔鳩は、まず図鑑期を迎える。
最初に自分の意思で買った本は恐竜図鑑だった。弱肉強食を随分早い段階で知ってしまった。ジオラマ風の写真がリアルだったのを覚えている。おそらく小学校低学年の頃だったと思う。恐竜好きは、現在の鳥好きの要因でもあると思う。鳥というのは、ずっと見ていると恐竜に見えないこともない。特に歩き方や横顔などはそうだ。
なぜ鳥が好きか聞かれた場合は、フォルムが綺麗だからとか、ありきたりな返事をすることにしている。なぜなら、祖先を辿れば恐竜だったわけだが、そんなこと言われてもねぇ、ってことだから。

その次が、水木しげるさんの妖怪図鑑だった。確か『百物語』っぽい題名だったなと思って検索したところ、なんとまだあった。『水木しげる 妖怪百物語』として、初版ではないもののまだ入手可能だ。名作は残るということだ。
水木さんの妖怪は、とにかくバラエティが豊富だった。昔の人は、なんだか説明のつかないことは妖怪のせいにして済ませてしまおうということだったのかもしれないし、いつの世も人は見たいものを見たいようにしか見ないという傾向があったことに起因しているのかもしれない。そういう点では、数年前に流行った妖怪ウォッチも同じだと思う。じゃあもう妖怪のせいにしとこう、それでいいじゃん、という解決方法は今も昔も変わらずあったということだ。
各妖怪にはエピソードがあって、大抵は人気ひとけのない山道で旅人をぞっとさせるとか、枕元でやかましくされる程度だ。極悪非道な妖怪もいなくもないが、そこまで多くない。迷惑ではあるが。

図鑑期と並行して、仔鳩は伝記期にも突入する。
漫画で読むシリーズの中から厳選して、ヘレン・ケラーとファーブルを入手した。ちょうど夏休み中に祖父母宅を訪れ、駅前の本屋で見つけたが、たとえヘレン・ケラーであろうと漫画なんて読むんじゃないと言われていた鳩子を見かね、祖父が買ってくれた。今となっては日本の漫画もアニメも市民権を得ているが、学校の図書室にあった漫画は『はだしのゲン』ぐらいという漫画不遇の時代もあったということだ。高学年ともなると、学級文庫に小説なんかも並んでいたが、ちょっとアニメっぽい挿絵が入ると、またたくまに排除されていた。これは中学に入ってからも同様であったと記憶している。いわゆる管理教育というやつだ。ではどうしていたかというと、本好き同士でコソコソと貸し借りしていた。しかしこれが見つかり、表現が年齢不相応であると疑われると、先生はあっという間に職員室に持っていってしまう。大事な本が連行され、関わった本好き立ちは、待ってくれよとその後を追う。さて、職員室では本の内容の精査が行われる。関わった本好き達は固唾を飲んで見守るのが常であったが、時には直談判も行った。しかし先生様に勝てはしない。禁書は取り上げられる運命にあった。今思えば、本好きの中には口達者もいて、先生も苦労したことだろう。
話しを戻す。さすがにもう入手できないと思っていたら、なんと当時の伝記もまだあった。
ヘレン=ケラー 奇跡の人 (学研まんが伝記シリーズ)
学研まんが 伝記シリーズ こん虫の探検者 ファーブル

ヘレン・ケラーとファーブルは、今でもロールモデルになっていたりする。子供向けに書かれた伝記にはがっかりするような裏話もないし、すでにこの世にいない人物について書かれたものだから、尊敬しやすいというのもあったと思う。
無理かもしれないと思う時は、ヘレン・ケラー。学生時に全科目の課題提出が重なってヨレヨレになった時などは、目も見える、耳も聞こえる、ゆえに話すこともできる私ができないと言うのはたぶん違う、ヘレンは三重苦にもかかわらずやったんだから、と乗り切ったりもした。
ファーブルからは、探求方法を学んだと思っている。また、食用として殻のまま茹でられそうになるカタツムリ(たぶんエスカルゴ)をどんどん逃がしてやったり、七面鳥の眠らせ方であったり、ファーブルの生き物への接し方に影響を受けて、小学校時代は基本生き物係だった。不人気な係だったからなり手は少なく、手を挙げればほぼ確実になれるという、果てしなく続く真っ青な海ブルーオーシャンだった。
本自体がボロボロになって処分する際に気づいたが、ヘレン・ケラーの表紙裏には『つぎによみたい本 ファーブル』と書いてあった。書いたことすら忘れていたが、その後ファーブルもゲットしたわけだから、書き出すことは案外大事だったりする。二冊とも処分はしたが、何度も読んだから内容は映像として覚えている。だから何ら問題はない。これは漫画の良さだと思う。二作ともよこたとくおさんが描いているが、まるっとした感じが好きだった。
この後、ナイチンゲールとキュリー夫人もちらりと読んで、鳩子の伝記期は終わりを告げる。

漫画を読んでもいい年頃になると、仔鳩は漫画も読んだ。
少女漫画部門と少年漫画部門から一つずつ、今でも記憶に残る二作を挙げることにする。

少女漫画も、一応付き合い程度にささっと通った。多数派を占めるマーガレット派同級生の圧に屈することなく、リボン派を貫いた。といえば聞こえはいいが、単にマーガレットのノリがわからなかっただけで、貫いたと言ってもたかだか1、2年のことだ。
この頃、リボンで連載されていた柊あおいさん(注1)の『星の瞳のシルエット』を読んでいた。物語の鍵となるのが『星のかけら』というキラキラアイテムなのだが、そんなものが空から降ってくるわけもないのに、なぜか降ってくるような気がしなくもない。なんなら降ってきたらいいな。ええ!星のかけらペンダントが来月号の応募者全員プレゼント? ってことは、あの星のかけらが手に入るってこと?と、読者に思わせてしまう世界観があった。今思えば、主人公の香澄かすみちゃんはモタモタしているし、香澄ちゃんが思いを寄せる久住くずみ君はクズとまでは言わないがハッキリしない男じゃないかと言われても、違うとは言い切れない。しかし、即決するような男であったら、さっさとかたがついてしまうわけで、そうなると連載も続かない。そういった大人の事情にも薄々気づきながらも、見ない振りをして読んでいたのかもしれない。あんなにはまって、手に入れたレジン製の星のかけらペンダントは一体どこにいったのだろうか。見る影もない。今思えば、作中の星のかけらに比べて形が整い過ぎていてリアリティに欠けるという理由で、入手しなかった気もしないでもない。ちょっと記憶が曖昧ではある。
星の瞳のシルエット連載終了をもって、仔鳩の少女漫画熱は急速に冷めていった。

いつの頃からか、家にマガジンが転がっていた。
その中から『激烈バカ』という四コマ漫画は結構チェックしていた。いくつかキャラは出てくるが、中でも「なんちゃって野郎」はインパクトが強かった。徹底したバカっぷりはプロフェッショナルでもあった。なんちゃって野郎はスーパーヒーローという設定で、かとうれいこ号というバイクに乗って颯爽と現れたりもするが、大して何も解決していなかった。だいたい三コマ目か四コマ目で「なんちゃって~」というキメ台詞ぜりふとともに、三角眼鏡でキメポーズをとるという流れだ。最初こそ一秒間に三、四回であったはずだが、やがて四回半、とうとう五回に到達したのだから、相当な努力家であり挑戦者でもある。なんのことか詳しくは書かぬが。とにかく、なんでもかんでも「なんちゃって~」で済ませるところがブレていなかった。
三角眼鏡を持っていなかった私は親指と人差し指でメガネのレンズを作り、手の平を逆さにしてメガネを作ってみたりしたわけだが、滅多に伸ばさない前腕屈筋群がつりそうになって結構痛かった。なんちゃって野郎になりたかったわけでも、なる必要もなかったが、簡単になれるわけでもないということを知った。私があっちでもこっちでも「なんちって」と書いているのは、この影響かもしれない。恐ろしいことだ。
『激烈バカ』には、同時期に連載されていたシリアス系医療漫画『スーパードクターK』をパロったスーパードクターYKKというキャラもいたが、原作者もよくOKを出したと思う。
しかし、おおもとのスーパードクターKにもツッコミどころはあった。ブラックジャックと北斗の拳を足して2で割ったとでも言えばいいのだろうか、医者にあれ程の筋肉が必要かと問われれば、たぶんあそこまでの筋肉はいらなかったと答えるだろう。
仔鳩はここでマンガ期を終える。マンガを読んでいたのはこの頃までだったと思う。

この中から何を読むか、一切読まないかは、読者の皆様に委ねようと思う。
現在の鳩子の仕上がり具合をみて、よくお考えいただいくことを強く推奨し、ペン(注2)を置くことにする。

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注1 柊あおいさんは、ジブリのアニメ作品『耳をすませば』の原作を描いた漫画家。

注2 実際はシャーペン。

潜っても 潜っても 青い海(種田山頭火風)