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聖なる単純:私たちが叩きたくなる時

チェコの宗教革命家であるヤン・フス(Jan Huss)が火刑に処された時に、死ぬ寸前に、懸命に火に薪をくべる老婆を見て発した言葉。

「“O, Sancta simplicitas”(おぉ、聖なる単純よ)」

フスの火刑を傍で担った(燃え盛る火に薪をくべた)老婆は、敬虔なカトリック教徒だった。老婆は、フスを悪魔だとみなしていた。カトリック教会が言うことを真摯に信じて、火に薪をくべた。そしてフスは殺された。

老婆は、カトリック教会が言うこと、することは「全て正しい」と信じていた。

「正しい」をかざす人々と正当化される暴力

フスは、当時カトリック教会が十字軍遠征のための戦費を賄うために、信者に免罪符の購入を強要している、と批判し、教会改革を提唱した人物だ。カトリック教会に破門にされ、コンスタンツ公会議にて有罪とされた。その後の公判にて「自らの主張が誤りである」ことを教会に宣誓するよう求められたが、拒否。そのまま世俗の勢力に引き渡され、公判が行われたイタリアのロンバルディア州(故郷に帰れなかった)ローディの広場にて火刑に処された。

チェコの英雄で、今でも彼の処刑された7月6日はチェコの祝日になっている。国民にとって大事な存在だと言う。

フスは幾度の教会裁判の間ずっと自分の言っていることは、「聖書」の通りだと主張していた。今21世紀の日本にいる私が、客観的に見ても、「十字軍」という「異教徒を倒す」戦争の費用のために、免罪符をカトリック信者(裕福な者だけではなく貧しい者も)に強制的に買わせるのは、「聖書の通り」とは言えないし、合理的ではないと言える。

でも、14世紀のヨーロッパでは、「聖書」ではなく、「カトリック教会」という組織が「ルールブック」だった。唯一、カトリック教会が聖書への「解釈」を許された時代だ。

そこに、フスが現れて「間違っている」と指摘した結果、殺された。

私にとっての大きなポイントは、「実際に」フスを「直接」殺した人だ。それは、ローマ教皇でも、その後公判を行ったフランシスコ会の司祭でもない。それは、武装した「世俗の人」であり、薪に火をくべ続けた敬虔な老婆だ。

主義主張の権化である、「国」も「〇〇党」も「〇〇教」も、「実際」殺さない。それを真摯に信じる人達が、実際に殺すのだ。

旧約聖書・モーセの十戒に「汝殺すなかれ」と書かれていることは、クリスチャンではなくとも、知っている人は多いだろう。キリスト教にとってはそれほど、「殺す」という行為はタブー視されているし、米国を除く多くのキリスト教国では死刑制度がない、か廃止されて久しい。

だが、遥か昔から、何なら旧約聖書の時代から、「神」の名において、多くの殺人や虐殺が行われている(しかもそれが旧約聖書(ダビデのペリシテ人との戦争の話等)にしっかり記録されている)。

正しさを心に握っている人は、カトリック教会が当時、戦費調達のため信者に売りつけたかった免罪符よりも強力な、自分は「正しい」という確固たる免罪符を持っていたのだと思う。だから、この免罪符により、殺人は殺人と認知されない。虐殺は虐殺と認知されない。何故なら、「自分は正しい」という確固たる無意識が、本人に微塵もそう思わせないからだと思う。

複雑な正しさと単純な正しさ

では正しさとは何だろうか。

老婆は、カトリック教会の言うことが正しいと思った。フスは、カトリック教会の免罪符の売りつけが間違っている(=正しくない)と主張した。

Sancta Simplicitas(聖なる単純)。

私は小学校の頃、歴史を勉強するときに、先生が、「この人はいい人」「この人は悪い人」と言って教えてくれた時に、その人物像がすっと頭に入って来て、とても分かりやすかったことを覚えている。

一方で、先生が昭和時代の「天皇」について歴史の授業をするとき、人物像がまったくすっと頭に入って来なかった。何故なら先生が、クリアに「いい人」か「悪い人」か言ってくれなかったからだ。なので、私は昭和天皇の顔と戦争の時の天皇だった、ということだけしか覚えられなかった。

今振り返れば、先生は自分の考えと教科書の教えとを上手く分けられず、葛藤しながら説明しようとしたのかもしれない。

物事や人物に「複雑性」が見え隠れする瞬間、その物事や人物の「善悪」基準も一緒に複雑になる。つまり、Aという側面では正しいが、Bという側面では正しくない、という複数の真実が浮かび上がる。単純な善悪だけでは、語れなくなると思う。

小学生の私は、物事や人物を「認知」する手段として、「1側面の善悪」という「単純性」に頼る傾向がとても強かった。

何故なら、私は、海軍と昭和天皇の関係を知らなかった。昭和天皇が、陸軍に不信感を抱いていたことを知らなかった。昭和天皇が、米国との戦争を回避するために、東条英機を首相に選んだことを知らなかった。そして、それを日本語の言葉として、小学生の私に教えてもらっても、それが何を意味するか、分からなかったと思う。

小学生だから当たり前だが、歴史のコンテクスト(文脈・背景)を理解する力がなかった。物事と物事を繋げて考えること、それがどんな意味を持つのかを把握する力、物事が起こった背景にある時代の流れに関する知識。。。こうしたものが圧倒的に欠けていたことから、「誰か」がその「コンテクスト(文脈)」を「意味ごと」まとめて、「これは良かった」とか「これは悪かった」と、解釈を与えてくれるのは、助かった

だが、後になって、小学校で教わった「1側面の善悪」(「良い人」と「悪い人」)の意味と解釈がひっくり返った事例もたくさんある。

例えばリンカーン大統領。彼は、奴隷解放宣言をした人で、「人民の人民による人民のための政治」という言葉を残し、民主主義の象徴のように日本でも語られる。

民主的に言えば、人民派のいい人。黒人差別の観点では、平等主義者。American Heroのイメージだった。

しかし、歴史を調べて見ると、彼の人種差別的な発言がはっきりと残されていることが分かる;

I am not, nor ever have been in favor of bringing about in any way the social and political equality of the white and black races, [applause] ... I am not nor ever have been in favor of making voters or jurors of negroes, nor of qualifying them to hold office, nor to intermarry with white people; and I will say in addition to this that there is a physical difference between the white and black races which I believe will for ever forbid the two races living together on terms of social and political equality. (私は、今もそして未だかつて、一度も、社会的にも政治的にも白人と黒人の平等を、いかなる方法によっても齎すことに賛成したことはない。(拍手)...私は、今もそして未だかつて、一度も、黒人(英語では差別用語negroesを使用)が有権者や陪審員になるようなことに賛成したことはないし、政権に奴らがつくことに賛成したこともない。また、白人と黒人の人種間の結婚にも賛成したことはない。加えて言うと、私が永遠に信じるように、社会的、政治的平等の中で共に生きる人種とは言えない程、白人と黒人の間には、身体的な違いがある)- リンカーンーダグラス論争。第四回のチャールストンでのディベートにて。*訳 by Hatoka Nezumi

当時のアメリカ社会から見ると、この発言は「政治的に正しかった」のだと思う。でも今、BLM運動があるアメリカで、「正しい」と言う人はかなりの少数派だろう。

単純な正しさであればある程、時代によって変わる。複雑な正しさは、その複雑性ゆえ、普遍的な価値となる傾向があると思う。*チェコでは事実、カトリック教徒の老婆ではなく、フスの方が国民の休日として偲ばれている。

単純な正しさに固執するとき

歴史も人間も物事も、単純に語れるものはほぼないと思う。あるとすれば、その複雑性ゆえ、普遍的価値に昇華されたものだと思う。ex)愛、希望、親切など。

なぜ、私たちは単純な正しさに固執するのか。

私は、ここはむしろ宗教や正しさの問題ではなく、メンタルヘルスの問題だと考えている。

自分を信じられないことを埋め合わせるように、何かを信じる行為は、簡単に依存や固執を生むと思う。

そして、自分を信じられない度合いが深ければ深い程、極度の単純化、ひいては、複雑の余地の排除を求める傾向に向かってしまうのだな、と思ったことがある。

東京の都知事に毎回立候補をされる方で、真剣に在日の外国人を排斥しようとされている方がいた。当時、私は真面目だったので、政治家になってまで訴えたいことであれば、私も有権者として知っておきたい、と思って、その方の主張や根拠など、丁寧に調べた。演説も近所でやっていたことがあったので、耳を澄ませてみた。

だが。いくら聞いても、調べても、「事実」というより、彼自身の「認知」と「感情」に基づいた主張(もはや政策ですらない)にしか聞こえなかった。事実に基づかない、彼の作り出した「憎悪」という感じだった。彼の主張を聞いたり、見たりした後は、私がHighly Sensitive Personだからかもしれないが、心が異様に重くなり、気分が悪くなった。

彼は、ネット(某2ちゃんねる)で調べて、どれだけ在日の外国人の方が、日本に害を及ぼしているかを確信したと言う。私は、会社や周りの在日の外国人の方に彼の疑惑について聞いてみたが、私が良く知っている彼らは、本当に良き市民で、義務を守っていた。彼が言っているような害悪なことをしている人を、見つけることは出来なかった。*勿論、日本人の犯罪者と同じくらいの割合で、在日の外国人の犯罪者もいると思う。国籍ではなく人の問題だと思う。

私は、彼の主張が、どこか執着的だなと思った。

「自分を信じられていないこと」から目を背けたい、と思えば思う程、執着の度合いが高まり、自分が作った「べき」の世界に固執している感覚。

私は長い間自分を信じることが出来なかった。頭では、自分を信じていると思っていたし、自分を好きだと思っていた。でも、私は常に、自分を信じられないことを埋め合わせるように、「学生なら〇〇すべき」とか、「クリスチャンなら〇〇すべき」とか、「成功するなら〇〇すべき」という「単純な」考え、「自分が正しいと」と思う考えに固執していた。

私は、体調が悪くなったくらいなので、その彼のような極度な方向にはいかないと思うし、私は差別は一切したくない、と勉強をしてきたので、彼みたいな考えになる、とは一切思わない。

でも、彼の「執着的な憎悪」は、当時、自信がないことに目を背けて、「自分の作った正しさ」に固執する「私」が覚えた感覚に、似ているような気がした。その時に、これはもはや、主義主張の中身でも、差別の問題でも、宗教がどうのということでもない、と思った。

単純に、彼は自分に物凄く自信がないのではないか。その自信がないことを隠そうと必死になればなるほど、彼の執着的な憎悪は、深くなっているのではないか。それが、極度な単純的な彼の正義を生み、ひいては、複雑な側面を排除するかのような見解に依拠していくことに繋がる。

私自身、振り返ると、自分に自信がない時程、「べき論」をかざしていた。

差別がだめとか、主義主張の検証をするとか、宗教がいいか悪いかの以前の問題で、こういう精神的な部分が由来である場合、「合理的な見解」は彼らへの反駁材料にはならない。何故なら、こういう憎悪を振りまく行為や誰かを叩く行為自体が、彼らの「自分を信じられない」心の闇の治療になってしまっていると思うから。彼らへの反駁材料は、「自分をなぜ信じられないのか?」という問いからしか始まらない気がする。

私は、「自分の作った正しさ」に固執して、沢山の人を傷つけた。それにも関わらず、見捨てずに、ずっと見守ってくれる人達にも恵まれた。

私が、正しさに固執していた時、私の彼らに関する認知は、私の作った「単純」な正しさを、打ち破るかもしれない脅威だった。彼らは、私の正義によって『助けてあげるべき対象』で居続けてほしい存在だったのだ。

でも、「私の作った単純な正しさ」を手放した時、彼らは本当にただ優しくて、私の正しさよりも、ずっと心地良い「ありのままの私」を教えてくれた。助けられたのは、他の誰でもない私だった。

ありのままの私は、その複雑性ゆえ、私にとって普遍的に価値があると、他の誰でもない「私」自身が思えた。



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