Hatoka Nezumi

東京の金融・コンサル業界でキャリアを積むも、組織に忖度して働く会社員生活から脱すること…

Hatoka Nezumi

東京の金融・コンサル業界でキャリアを積むも、組織に忖度して働く会社員生活から脱することを決意。「働かない生き方」を探求中。フリーランス+投資家+αで生計を立てる。スイスの安楽死団体と登録手続き(質疑応答)実施中。

マガジン

  • 安楽死:オピニオン

    安楽死に関する私の考え方、スイスの団体とのやり取りなどをまとめます

  • フィロソフィア:哲学する

    哲学者が何と言ったかではなく、私だったらこう思えるか、を重ね合わせます。

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【偶像の黄昏】信じたいものを探した先には、ミイラしかいなかった

言葉は自由で、生きている。 「私」は、無意識に、自由で、生きている「誰か」の言葉を切り取って、「私」が信じたいように解釈する。「私」の心が助かりたいように、受け取る。 この瞬間に、言葉は、「偶像崇拝者」がしたように、「私」にミイラにされてしまうのかもしれない。 生きていた言葉たちが、「私」によって概念にされて、「私」の手から逃れられなくなった。 「それで「私」の心が救われるならいい」 これもきっと真実。 でも、私は、相手の言葉を「生きた自由な言葉」として、私の言葉

    • 「伝わる伝わらないは、ルールの向こう側にある」

      アニメ「ちはやふる」で、主人公の千早ちゃんと同じカルタ部の、かなちゃんが、後輩のすみれちゃんに言った言葉。 短歌が5:7:5:7:7の句で編まれたからこそ、1000年もの時を経て残った。伝えたい思いを、言葉を、ただぶちまけるではなく、ルールに乗せて伝えたからこそ、短歌は残って「今」の私たちにも伝わった。 これは青春真っただ中のアニメ・漫画の高校生限定の話だろうか。 私は、社会人になった今でも「私はちゃんと言いました」、「メールしました」、「ちゃんと〇〇さんに伝えました」

      • 私の欠片:表にも裏にも埋まっている

        This is USという米国のドラマがある。 シーズン3の18話(最終話)。主人公の一人ケヴィンと姪の会話で、「自分とはだれか」についてのやり取りに、感動した。 同性愛であることに気付いた、姪と主人公の一人ケヴィンの会話だ。彼女は、自分が同性愛であることを親類に告げた。以下は、姪が、卒業パーティに来ていく服装に悩んでいる時の抜粋(訳 by Hatoka Nezumi); - Do you remember when I told you that I was gay?

        • 陳腐化したジャーナリズム:価値基準から「なぜ」の提供へ

          『マスゴミ』という言葉。字面だけを見ると、マス(民衆)をゴミ扱いしているので、本来ネットを中心に叩かれている方々が意味する所とは少し異なってくる。私は、最初この言葉の意味を知らなかった。*ネットでニュースを叩いている方々の自虐かと思った。 色々調べて、ジャーナリズムというここ一世紀に台頭した伝統的なメディア媒体が、ネットを中心に「マスゴミ」と呼ばれている(ディスられている)ことを知った。 この字面(ゴミになった民衆)自体は、古代ギリシャの時代に、民主主義を「低俗」と嘆いた

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        【偶像の黄昏】信じたいものを探した先には、ミイラしかいなかった

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        • 安楽死:オピニオン
          6本
        • フィロソフィア:哲学する
          4本

        記事

          老人と喧嘩:主義主張ではなく政策を

          "He has no plan" "He don't know"" He is totally irresponsible"(彼には何のプランもない。彼は何も知らないんだ。彼は全く無責任だ) "Well so far we have no problems whatsoever" "I've done one of the great great things in history"(今のところ何であろうと我々に何の問題もない。歴史上我々はすごいすごいことをしてきた)*訳

          老人と喧嘩:主義主張ではなく政策を

          いのちの電話にはきっと電話しない

          「皆さんも一人で悩まないで、命の電話に一本相談してください。どうか誰かに話して下さい」 ニュースを見るとこうした言葉が溢れている。事実こうした電話で救われる方々もいると思う。そしてこれ自体は、素晴らしい取り組みだと思う。 私は、20代の時死にたいと思ったことがある。命の電話の事は勿論知っていた。だが、電話したいとか、しようとは微塵も思わなかった。 それは、あの心持ちの時に「行政的なやり取り」も、「事務的な会話」もしたくなかった。何より、「私を知らない誰か」からの的外れな

          いのちの電話にはきっと電話しない

          男らしさと女らしさ:それだけなのか?

          「泣くな男だろ」、「男なら我慢しろ」、「男ならこういう時興奮して当たり前」 「女のくせに口答えするな」、「女ならもっと優しくしろ」、「女ならこういう時感じて当たり前」 私は男性が泣いてもいいと思うし、男性が我慢をしなくてもいいと思う。男性が、興奮出来ない時があってもいいと思う。 同じくらい、私は、女性が空気を読まずに発言をしてもいいし、女性がぶっきら棒でもいいと思う。女性が、気持ち良くなければ感じる必要もないと思う。 性別は男と女だけではないように、「私」や「あなた」

          男らしさと女らしさ:それだけなのか?

          愛し方の癖:浮気や不倫はだめなのか?

          フロイトは恋愛について、幼い頃の親との無意識な関係の繰り返しと捉えた。 私たちは素敵でロマンチックな映画に感動し、キュンとする普遍的な共感力を持っていると思う。しかしだからと言って、必ずしも、一人一人の「愛し方」が、映画やドラマのように「同じ」であるとは限らない。 何故なら、一人一人の親との関係、そしてそこから得た「関係の捉え方」や「愛」の定義は、一人一人で異なるからだ。 魂を抉る不倫・浮気:愛している人から差し出される全自己否定私はこの記事で決して不倫や浮気を肯定した

          愛し方の癖:浮気や不倫はだめなのか?

          民主主義でも自由でもなく・・

          「 今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。」 1970年の市谷駐屯地で起こった三島事件の際、ある新聞記者に渡された最後の檄文にあった言葉。三島由紀夫さんの最後の言葉の一つだ。 彼の繊細さ、一生懸命さ、真っすぐさが伝わってくる。 右翼の誰であっても、左翼の誰であっても、個人的に、政治的な主義主張はとても苦手だ。だが、この檄文の言葉には、何故「政治的な主義主張」に人は拘りたくなるのか、というヒントが見える気が

          民主主義でも自由でもなく・・

          意味作りを頑張ること

          意味がないと思うこと。人生に意味を与えること。 自分に役割があると信じること。自分が無力であるということ。 全て真実になれるし、全て見方次第。 革命家になった人、大統領にった人は、意味や信念を求めてきた。 それが、一面では政治的な恐怖を、他方では社会的な改善を生んできた。 恋愛や結婚。子供を産んで、家族を作る。 こういう「自分」の意味作りもある。 意味を求めるこの世界で、意味を作らないで生きることは出来るのか。 生存戦略用の「私」のストーリーは胡散臭い相手を使って、寂

          意味作りを頑張ること

          "Baby we are born to run"

          真面目に自分の良くないところを必死に直そうとしたり、心が痛くなる原因を必死に探るのは、よりよい自分になりたいため。 よりより心持ちでいたいため。 でも....... 良くなくても、心が痛くても、そのままでいいんだって教えてもらった。 Blinded by the light. 「良いもの」、「よりよい自分」っていう青い鳥に目を奪われていた。 光に目のくらんだ(Blinded)私も受け入れてあげる。 そうやって努力してきたから、今の仕事、人との接し方、努力の大切さを

          "Baby we are born to run"

          少子化と労働問題≒女性の活躍?

          『女性の役員のパイを増やしていきます』 そういっている会社の役員たちは、全員60過ぎの男性。自分の妻たちは皆専業主婦。 好きに転勤して、単身赴任して、好きに仕事に全てを捧げてきたから、何で役員の女性のパイ自体が少ないか、言及しなかった(頭にも浮かばなかった)のだと思う。 女性が、彼らの妻が、今60過ぎの男性役員と同じことを、3、40年前にしていたら、彼らは、そもそも子供を誰に預ければいいか分からないし、好きに転勤も、単身赴任も、がむしゃらな残業も出来なかったと思う。 そも

          少子化と労働問題≒女性の活躍?

          #8月31日の夜に

          夏休みの終わりはいつも憂鬱でした。 今はコロナもあり、「夏休み」と「学校の始まり」の意味合いが、いつもと違う気がします。 大人が言っている、コロナ禍での「学校生活はこうしなさい」は正しいのか。 今年受験なのに、学校の授業や今後のスケジュールの全体像が全く見えない。 元々学校が苦手なのに、コロナ禍で学校も混乱していて、学校に行きたいと思えなくなった。 就職活動しなきゃいけないのに、コロナのせいで今まで普通に出来ていたことができないし、会社の求人も減った。 いつもと違

          #8月31日の夜に

          壁の正体:「自分が嫌い」という布団

          自分をスポットライトに当てること。 「他者」ではなく、「自分」にスポットライトを当てること。 長い間、したことがなかった。私は、私にスポットライトを当てるためには、私が「勉強で一番になる」、「人気者になる」ことが必要だと思っていた。大人になった時は、「仕事で成果を上げる」、「大人として成功していることをする」、「人にすごいと思われる人になる」ことが必要だと思っていた。 スポットライトは、いつも私以外の周りから照らされるものだと思っていた。 人生の舞台の真ん中にはいつも

          壁の正体:「自分が嫌い」という布団

          恋が連れて行く場所と愛が教える軸

          私は、「恋」をするとき上手くいかない。 私の容姿や年齢のせいだとずっと思っていた。 「もっと美人だったら」「もっと可愛かったら」「もっと大人だったら」「もっと若かったら」「もっとスタイルが良かったら」 でも気づいた。「恋をする」時は、私がいくら「美人ですね、可愛いですね、大人ですね、若いですね、スタイルが良いですね」と、いい感じの男性に言われても、やっぱり上手くいかない。付き合ったとしても。 それは、他でもない、恋をする原因にあった。 ここではないどこかへ:私ではな

          恋が連れて行く場所と愛が教える軸

          私がアメリカで黒人に差別された時

          Black lives matter. 歴史を見ても、アメリカに住んでいても、感じるのは、この言葉の重さ。 振り返ると、私はアメリカの南部のド田舎に住んでいたが、一度も「白人」に差別されたことはなかった。本当に一度も。むしろ、いい思い出しかないくらい、とても良くしてもらった。家族や学校だけではなく、見ず知らずの方からも、お店の方かたらも。 それは、ド田舎故にアジア人が全くいなかったためにいい意味で、珍しがられたこと、また、私がクリスチャンで、「白人」の家族と一緒に教会に

          私がアメリカで黒人に差別された時