”公平な自意識”への懐疑が、生き急ぎに拍車をかける
これが今朝のツイート。
Twitterでは、140文字という制限の中で、いかに起承転結を織り込んで、それっぽいことを言うかに命を懸けてる。
とは言っても、あくまで趣味。思いついたことを、淡々とツイートしてる。
だけど、現時点で137の”いいね!”をもらっている今朝のこのツイートに、今の心の動機が全て圧縮されている気がして、ここに記録することにした。
打算的な情報発信と、素の自分を発揮する情報発信
僕には到底無理な話だけど、10万人を超えるフォロワーを抱えるような大きなアカウントの運営者は、一貫性のあるコンテンツを高頻度で発信している。
コスメ系アカウント、筋トレ系アカウント、ダイケット系アカウント...
今僕は、何を発信しているだろう?会計系アカウント??
どうしても、一つのコンテンツに染まることができない。
発信している情報のうち主要なコンテンツとして、会計系の情報を発信している。
プロフィールに公認会計士試験合格と書いているので、会計系の役立ちそうなことを呟くと、たちまち拡散され、フォローしてくれる人が増えてく。
僕はこの類のツイートを、”打算ツイート”と呼ぶ。打算ツイートは、フォロワーのニーズや性格を反映していて、ある意味でフォロワーの心に刺さりやすく共感を呼びやすい、”いいね”を得るという損得感情に起因することで発信する内容だ。
僕がこのままフォロワーを増やしていきたいと思うのなら、この類の打算ツイートをし続ければ良いのだろう。
しかしながら僕は、その本筋とは外れたぜんっぜん関係ないツイートも発信する。
これは個人的に好きな内容で、読者が決して好きなコンテンツではないかも。
ちなみにこういうツイートをすると、フォロワーが減っていく。
「おおおーホントに減ってく〜」と、わりかし無感情にアナリティクスを眺めている。
フォロワーが減ることについては拘らないようにしている。
なんでかというと、
打算ツイートをするとSNS疲れするから。
あくまで打算的である以上どうしても、いいねの数やフォロワーの増減に目がいってしまう。そればっかり気になって夜も寝れなくなってしまう。その数字なんて特に意味をなすものではないのに...
それに、その数字に操られている気がして、本来の”すやき”でいられない気がするのだ。
僕のTwitterのコンセプトは、下の記事の最後にも偉そうに語ったが、
すやきという生き方を発信することだ。
すやきという、一風変わった会計士試験合格者という、しょうもない人間の性格や考え方を発信して、
ちょっと人とは変わっていることに違和感と孤独を感じる人の、唯一にして最大の共感者になること
を目指している。
一般に会計士系含め、資格や受験系統の発信者は、華々しい業績や成績を持つという、”前提のステータス”を持つことから出発する。
だけど僕は、れっきとしたギリギリ滑り込み合格者で、仕送りをもらわないゴリゴリのアルバイターだったという、”異色のステータス”から出発する。
ここから共感者を一人でも増やしたい。
それに共感できない方は、上の非打算的ツイートより、離れていく。
本当に共感してくれる、ちょっとだけ変わった人たちが残ってくれている(と信じる)。
僕の見える景色と自意識は誰にもあるものなのか
潜在的に恐怖に思っていることがある。
自分の自意識は世界にたった一つしかなくて、目に映る他人には各々の自意識は存在しない。世界は自分のためだけに創造され、世界には実は自分しか存在しないんじゃないか。
こればかりは、他人の自意識を、他人の体の中に入って覗くことができないから、証明する方法がない。
だけどどうにかしたい、そこで僕は何を考えたか。
気を衒ったことをして、存在すると信じるべき他人の自意識の、感情の振れ幅を確かめようとしている。
Twitterで、共感してくれそうな打算ツイートをすれば、数字という形で返事が返ってくる。
非打算ツイートをして、応答のなさを確かめる。
Twitterに限らない大きな視点で見れば、慶應大学の生徒がやらなさそうなルートを選んだ。
どうにかして普通じゃない人を目指すことで、”他人の自意識の存在仮説”を立証しようとしている。
だけどだめだ。
この方法では”他人の自意識の存在仮説”を証明できない。
数学的帰納法で、n=1の証明をした後にn=2,3,4までの証明をしただけで、n=k,k+1の存在を帰納証明できていないのと同じだ。
ダメと分かっていないと知っていながら、他人の自意識の存在仮説の証明は続く。
冒頭のツイートには全てが凝縮されていると言った。
「短答」という言葉を入れて、会計士受験生の共感を呼びたかった。
そこに、スティーブ・ジョブスの名言を織り交ぜて、会計士受験生だけじゃない多くの夢追人の共感を呼びたかった。
さらに、うつ状態の死にかけた話を混ぜて、今苦しい人々の共感者になろうとした。
不特定多数の何者かの共感者になる。そこでいろんな感情の振れ幅を知れれば、世界は自分一人だけのものではなくて、各々の自意識があって回っているものだと確信できるとでも思っている。
無駄な徒労に終わるかもしれない。
監査論でいうところの、
量的証拠を満たしても、質的証拠を満たさなければ、
十分かつ適切な証拠とはなり得ないからだ。
♪ヨルシカ「藍二乗」
one careerでライターをされてる方が紹介してくださりました、ありがとうございます。⇩
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