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③45坪のオールウェイズ第二章「私のパリ(トーキョー)便り」①  夢翔

写真 2020-08-31 21 19 55

人形 奥山恵介氏

 続きをお話しする前に、憧れのパリ(トーキョー)に上京後すぐ演劇学校に入り、2年程して風景に馴染み始めた頃書いた文章がありました。便りというより、当時の私の心情を書き留めたその文面から始めましょう。

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午前零時!               巨大な墓標のようなビル群は、やがて妖しげなネオン輝く男と女のメルフェンの世界へと豹変していく。

しかし、今や彼等にとってやり場のないエネルギーの燃焼は、生に対する確証でありながら、苦渋に満ちた逃避でもあるのだろうか。

K氏は、今夜も現実のページを開かねばならぬと私に言った。二人で見上げる空に星の輝きはなく、もはや窒息寸前のうっ血する血液の緊迫感すら覚えはしない。

 まるで排水溝の油溜まりのようだ!

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彼は、カフェより握り持って来たマッチで火をつけようと10本くらいは無駄にしていた。

そそり立つビル群は通風口のように風を送り込む。苛立つ風でもなくK氏は、なおも試み、やっとタバコに火を付ける。           これがまた言いようのない、孤独な戯れであったかのごとく微笑んで、粋にくゆらすのであった。

K氏が初めてこの街にやって来た頃は、全てが刺激的でご多分にもれず、金、権力、名声に憧れていたのかもしれない。現実はこの手の男のロマンをゾクゾクさせるに充分であった。

夢は現実を飛び越え、未来を己の手に握ったと錯覚する程魅力的であった。

やがてつまづき、挫折、拒絶、多くの若者がそうであったように、不器用なK氏も絶望の中で孤独を楽しんだ。そして耐えていた。耐えて待った。待って蓄えてもいたのである。しかし、同時に己のひ弱さをひしひしと感じていたのでした。

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K氏は、よくパンクもどきで詞っていた。

人は生きるために、自分の目を刳り 

人は生きるために、自分の耳を削ぐ

人は生きるために、自分の舌を抜き

人は生きるために、そんな自分の顔を売る

一山いくらの人の耳

一山いくらの人の舌

日干しにされた人の目に、涙はもう流れません。

塩漬けされた人の舌、夢の言葉は語れません。

丸ごと買うのは高いので、二つに割った人の顔、

道化顔して並んでる。

ニコニコ顔の呼び子たち

舌、耳、顔に日干しの目

今日も市場は混みまする。 今日も市場は混みまする。今日は更に混みまする。

詞い終えるとK氏はいつも照れ笑いを浮かべながら、“今日もかろうじて、この日本一の繁華街で生きていることを感謝するよ”と言っていた。

さて生きているはずのK氏と見れば、先ほどの用心深さはどこへやら。いきなり赤信号交差点のど真ん中に飛び出した。 そして“君達!今は正真正銘真冬なんだ!ちっとも冬らしくねえなこの街は!”そう言ってもう一度、こぶしを空に突き上げた。

その瞬間、今更ながらこのロックするカントリーボーイ氏の中に、雪に埋もれた故郷の山、川が生き続けていることを思い知らされるのである。

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これは上京して何年か後、故郷の母校の季刊誌に都会の暮らしの原稿を頼まれて書いた文章の一部である。 

青さ剥き出しの、田舎者のワクワクする気持ちはそのままに、なぜか戸惑いと満たされない気持ちを抱えながら、一気に書き上げた気がする。             

そして世の中、高度成長へと一直線。

大気汚染、サリドマイド等薬害問題も含め世間を騒がせ始めた時代であったのである。

物語の続きに入ろう。

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さて無事に再会した私達は、大田区大森山王にある姉の家にやってきた。

大きな門灯のある古い洋館風の家で、中に入ると出窓に庭木が影を落とし、かすかに揺れている。

その夜は姉の手料理をご馳走になったのだが、なんと兄の紘一郎も姉の世話になっていたのである。このまま兄弟二人で迷惑をかけてもと、住み込みのバイトを探し始める。

すぐに世田谷上野毛の朝日新聞販売所で、住み込み可の求人広告を見つける。そして早々と翌日の面接アポを取り付けたのでした。

朝9時半、上野毛駅に到着。駅舎を出ると此処は田舎風の田畑が残っている。見慣れた風景である。但し人通りはそれなりに賑やかではある。

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10時に会う約束した販売所に近づく。少々緊張して来た。悪いことにいつもこんな時、ある癖が露呈する。頭はガマン、ガマンと言うも、下はするな、するなの攻めぎあい。

野菜畑では、あまりに見晴らしが良すぎて身を隠す場所もない。やがて歩き方が徐々におかしくなり、最後は足踏み、小走り、せわしさ激増。

こんな時は、田舎の山、川の草木が茂った自然の解放区が懐かしい。すれ違う人たちの好奇な目線に耐えながら、やっと木々の生茂る窪地を見つけた。

滑り降り、なんとか間に合った。ギリギリの生理的解放感を味合うも、先ほどから背後でジッと見ている誰かが居る。ドキッとしてハッとしてすばやく振り返ると・・・。

なんと田舎でも同じ制服の国家公務員。

テキは自転車に股がり、少し足がとどかないのか、ツマ先でバランスをとりとり、コッチへ来いと手招きしている。これが“私の憧れのパリ!トーキョーのおまわり゙なのであるのかな・・・!

窪地から這い上がった私をジロジロ品定めしながら、おっしゃるにばここは私有地、不法侵入罪゙になるらしい。    

しかし、こんな時に持ち主探して、お借りしますなんて悠長な事言って、堪えられる訳もない!ましてこっちは、これから時間厳守の面接に行かねばならぬ身でもある。ア、アしかし、いくら説明しても交番まで来い・・・。の一点張り。

又、いつか来た道を駅に向かって戻るはめになり申した。

着くと彼は、早速嬉しそうにノートを取り出し、やる気満々詳しく聞き始める。生理現象の一部始終をせつなく話をするカントリーボーイ。黙って聞いていた国家公務員、話しを聞きながらまずぺンが止まる。さぁお巡りさん、こんなこと調書に書くのかな!・・・?彼、ペンを置く。

そして、ぶっきらぼうに「なんだ○○か!!」

ー何とも投げやりでデリカシーのない、私のパリのおまわりさん。訛りまじりのそのお言葉。ー

彼はそう言って何も書かずノートを閉じた。長い人生最初で最後の職質であろう。彼はと見れば、かなりガッカリのご様子である。そしていきなり

「それで面接は何時だ!」

「10時です!」

「過ぎているじゃないか!」

「はい!」

少し責任を感じたのか、はたまたお互いヤケクソなのか。

「よし、自転車でゆくか!歩けば20分かかるしな。」の独り言。そしてここの主人はよく知っているということであった。

今ではとても考えられぬ事。さわやかな五月晴れ、風を切ってキャベツ畑の砂利道を走る相乗り自転車。その姿は暑苦しくも、なぜかのどかな時代の、のどかな光景であったのかしら?

この場合中身を知れば、ほとんどマンガではある。

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30分遅れで到着する。私のパリのおまわりさん、待っていた主人と2、3分話をして「まあ、頑張れや」と肩を叩いて、初老男の、愁い?の片燐を漂わせて帰って行った。    私といえば、店主履歴書もみず、即採用。明日から働いてくれという。

私にしても多分彼にしても、何かしらとても、とても調書には残らずも、消すに消せぬ記憶に残る不思議な1日であったのでありました。

以後彼とは、配達時よくスレ違ったものです。勿論お互いなぜか旧知の間柄のように親しみを込めて挨拶したのを覚えている。            つづく  

★(4)「第二章私のパリ(トーキョー)便り」(2)―は私の操作ミスで削除されました。再寄稿しています。申し訳ないです! 目次より続けてお読みいただければ有難いです。

夢翔(むしょう、あるときはゆめかける)私の造語です。

(凄まじいコロナ禍!俳優時代からのんびり語る予定でしたが、次回ラママ時代から始める事に。話しがかなり飛びますのでご了承の程。)

去っていった彼を思いだして、レナード コーエン、Dance Me to the End of love(哀しみのダンス)を後半からフェードアウトしながら聴いてみたくなる。勿論彼が歌い踊りながら去るのが一番、、、😢あがた魚森氏どうしてるかな?ふと思いだす。        

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