レコード会社勤務_見返したい気持ち

引き続き、レコード会社勤務の時の話。

前々回に書いたセクハラの話について、知り合いから結構反応をもらった。特に当時は話してもいなかったし、上辺の謝罪を受け入れなきゃいけない時点で、そういうものなんだ、と思って周りに話しても無駄なんだと思った。納得したフリをして、引きずってないフリもした。

と同時に、パワープレイを獲った時のようなまっすぐな気持ちでいたかったけど、正攻法が通用しない、自分のエゴと立場を利用した動きをする人も一部いる事も知った。

とはいえ、自分から仕掛ける事は引き続きない。どう頑張っても、自分で自分の容姿を利用したり、女を使ったりする事はできなかったし、そういう行動で獲ってくる仕事をしたら最後、それしかできないような沼に陥る気がして絶対嫌だった。

ただ、そのセクハラの経験から、勝手に利用されそうな場合もある事を学んだ。少し話はズレるが、オゾン・スパイラルではこういったズルいセクハラのような小狡いやり方をしてくる男の人はいなかった。ルールがあるからかもしれないけど、そうじゃなくても漢気のある人が多かった。小狡いやり方をする男がいない、恵まれた環境だったのだと痛感した。

私にとってその経験は糞味噌に悔しい経験だったし、若い女だからとバカにされた気がした。やられたら倍返しの半沢直樹よろしく精神を持っていた(る)私は、この経験を泣くだけで終わらせてはいけないと思い、対抗策を練った。オゾン・スパイラルの時みたいに、引きずり出すわけにもいかない。

私はポイントを整理した。隠しきれない自分の容姿と、相手から見えている自分、自分の利益、相手の脇の甘さと、相手の弱点。細かく書くと嫌味にもなるし、謎の講座みたいにもなるので、淡く書く。相手は私の若い年齢を見てやってきているので、そのフリをしてあげつつアウトラインを超えそうになった場合に、相手が思っている”無邪気”なフリでニコニコと、軽いショックを受ける言葉を放った。自分がしている事もあるから、私に対して強く否定もできないし、相手がどこに訴えるわけにもいかない事を分かっていた。いけそうな時は、ひるんだ瞬間に仕事の話をねじ込んだ。いつも使わないけど、そういう場合だけ使う作戦が完成した。

柔よく剛を制す、嘉納治五郎先生の精神だ。

そして、こんなおじさんに構けている時間が、22歳の私にはもったいなかった。作戦を編み出した後は、何の利益にもならないから考える事を止めた。


地方でプロモーターをやっていると、名古屋・札幌・福岡は1人しか担当がいない事もあり、とても孤独を感じた。そして地方は優先度が低い事を勝手に感じて、勝手に悔しい思いもしていた。

そして、私はバイトだったけど営業所にいたプロモーターの先輩は2/3が東京から転勤で来ていた正社員だったから、人事異動で東京に戻っていく事も多かった。通常プロモーションではない何か特殊な宣伝施策を成し遂げて戻っていく先輩もいて、横で見ていた。

私も先輩と同じように、通常プロモーションだけじゃなくて、自分が考えた特別な宣伝施策をやりたくなった。どうやら東京に行くとチームの一員となるから、そういった事も出来づらくなるらしい。地方ならでは、の特権のようだった。それなら、やらない選択肢はなかった。もちろん第一にはアーティストをより宣伝する為に、そして東京への悔しい思いを払拭する為にも、セクハラする事に現を抜かすオヤジの力に頼らない為にも、独自の宣伝施策にチャレンジする事で、よりパワーアップする事が自分にとって最善だった。


当時、ラジオ局の担当を持っているプロモーターの一番の仕事はオンエア回数をいかに多く稼ぐか、だった。今の時代では考えられないかもしれないが、それが一番求められた。

私はいかに派手に施策をやったって、基本ベースができていないやつがやるのと、基本ベースを十分にできているやつがやるのとでは、その受け取り方が違うだろうと思った。派手にやるなら、ぬかりたくなかった。

その年にデビューが決まった、あるアーティストの宣伝施策を一から練った。

とりあえずオンエア回数に関しては、東海地区が全国の担当で一番になる、と決めた。メジャーデビュー前の楽曲から、プロモーションを始める事にした。楽曲を渡す人も私が決めた。ある局に限定して、絶対にそのアーティストを好んでくれそうな人だけに先行して渡した。すると、自動的にその人が持っている番組枠で毎日オンエアされるようになった。見込みは正しかった。そもそもで、その局の特性に合ったアーティストだった。その後周りが少しざわざわしてきた段階で、デビューシングルのプロモーションを全方位で始めた。そこからどんどんオンエアされていくまでに、さほど時間はかからなかった。結果、その局のチャート1位をデビュー曲で獲った。周りの局も自動的にオンエア回数が積まれていった。全国のオンエアでももちろん1位だった。お金は、一切使っていない。接待も一切しなかったと思う。

みんなからどうやったか聞かれた。新人の中ではあまりにオンエアされたので、お金を使っていないと言う事も憚られるようになった。説明する気もなかったけど、うまく説明できそうにもなかった。一つ言えるとしたら、クサいかもしれないけど、プロデューサーから指令があってオンエアするわけではなく、現場のディレクター自身が選曲して推そうと思ってくれた気持ちだと思う。あとは、補足として先日のセクハラの貸しもここで十二分に返してもらった。

合わせて、店頭も含めた施策も考えた。ラジオのオンエアだけで、満足してはいけないと思った。ラジオはプロモーションの一部だ。ラジオを含めて、パズルのように一般ユーザーに刷り込んで、この新人アーティストをより知りたくなる・知っておかないと損だ、と思える後押しが必要だった。メディアの他にも街と人が推している、という実績が欲しかった。全くお金をかけないで、会社にあるものだけを使って、何ができるか考えた時、チラシしかなかった。営業と話して、タワーレコード名古屋パルコ店で全ての商品販売時に同封してもらうチラシの展開の確約をもらった。でも、ただのチラシだと面白くない。

そこで私は営業と一緒に、名古屋が誇る変な本屋ヴィレッジヴァンガードの名古屋パルコに一番近い店舗へ向かった。欲しかった街の推しだ。飛び込み営業で、商品を置いてもらえないか?という事と同時に、チラシの展開の話をしてレコメンドコメントが欲しいと頼んだ。飛び込み過ぎて最初は戸惑われたが、コメントをもらうだけではアレなので、お店の宣伝を一緒に入れますと伝えた。結果了承をもらえて、飛び込んだ名古屋中央店からコメントをもらえる事になった。営業と、店外にあった瓶のコーラで乾杯した。

そして、今までの人脈を今使わずしていつ使うべきか、と思い、オゾン・スパイラルで知り合った名古屋で有名なDJとダンサーにもコメントをもらった。もちろんその人達の告知も盛り込んだ。

そして、トドメにお世話になっているラジオ局のプロデューサーのコメントも入れた。先方にとってもCD店舗で配布されるチラシにラジオ局の名前が入る事は悪くないだろうし、こちらにとってもメディアのお墨付きをもらえる。そして何より最後の一押しとして共犯者になってもらって、逃さない策でもあった。(喋りすぎ)

結果、CDリリースに関しても東京と同じくらいか少し劣るくらいの数だった。

私はこれに飽きず、別のアーティストでも、タワーレコード名古屋パルコ店と施策を組んだ。それはバイヤーさんがその名古屋出身のアーティストのファンでいてくれた、という事が一番大きかったが、一緒にオリジナルの「No Music,No Life」のポスターを作って名古屋パルコ全館に貼ってもらえる事になった。しかも、「No Nagoya,No Life」に変えて。

後々、箭内さんの許可が正式に取れていなかったらしく、少し問題になったりもしたけど、それは施策が終わった後の祭りだったので、施策は一瞬の伝説のような形で無事終えた。少々肝が冷えたけど、そのトラブルがなかったら実行できなかった施策なので、そのトラブルにも感謝している。


ここまで、意気揚々と軽々とこなしてきたように綴ってきたけれど、全くそんな事はない。

この施策の前には、別のアーティストでオンエア回数0を叩き出してめっちゃくちゃ怒られたりしていた。そして、チラシのデータ制作もお金がないので自分でやるしかなかった。元々PCできなくて泣いていた私がチラシ作りをするのだ。イラレとフォトショの機能のほんの一部を何とか駆使できるようにはなっていたものの、毎晩のようにPCと格闘した。イライラして機械にあたって、先輩に怒られたりした。全体のレイアウトをして、もらったコメントもレイアウトして、告知に伴うデータを裏面にレイアウトして、各所確認して、プリントアウトの時の余白がわかんなくて頭抱えて、、、みたいなのの繰り返しだった。店へのチラシ納品に間に合ったのもなかなか奇跡的だった。

やりたい事だったし、やるって決めた事だから、諦められなかった。そして、苦しかったけど楽しかった。

結果、この独自施策が大きく功を奏し、社長が上に掛け合ってくれ、この1年後に東京の宣伝に呼ばれる事になった。


ハタノ




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