喜多川歌麿《當時三美人》

はじめまして。
浮世絵大好き@hataettiです。

小さい頃から、着物が大好きで、特に歌舞伎の女形
坂東玉三郎さんが憧れでした。

現在、「美人画研究会」という
浮世絵をはじめ、絵画、版画、イラスト、写真、アニメやマンガ、
などを対象の研究発表をしているサークルを主宰しています。

その内容は、美術の研究にとどまらず、顔の研究、歴史的背景の研究科学的的なテクノロジーなど、様々な分野からアプローチするものです。

今回は、noteのアカウントを作ってから
最初の投稿です❣️

「美人画」というと喜多川歌麿のこの浮世絵を
思い浮かべる方が多いみたいなので、
まずこの作品から紹介したいと思います♪

この作品、初摺のものには、
題名の「當時三美人」と、
女性たちの名前
・富本豊ひな
・難波屋きた
・高しまひさ
が書いてあります。

しかし題名と彼女たちの名前が入っているものは
世界に少ししかありません!
浮世絵本の中には
この題名と女性たちの名前が削れてしまっている
作品(写真2)も多く見られるのですが、
なぜでしょうか…?

それは、この歌麿の作品が刊行された
寛政5年の時は「寛政の改革」の真っただ中で、
浮世絵の題名に一般の女性の名前を入れて
しまってはいけない法令が出されたからです!

そのため、名前を削れ、ということで
まずこのように、女性たちの名前を削り、
やがて、このタイトルも消えてしまいます。

このような事情もあり、
「当時三美人」という名前と
三人の名前を削ってしまったものは、
世界中に多く残っています!

タイトルが入っていない作品には、
「寛政の三美人」や「高名(こうめい)三美人」
などとついていたりしますが、 題名がついたものが残っていますので、これは「當時三美人」が正しです。

ちなみに、ここに描かれた美人の順番は、
書かれている順番を見ると、
・富本豊ひな
・難波屋きた
・高しまひさ
という順番になっていますがそうではありません。

桐の紋が入った団扇を持つのが、「難波屋おきた」
左の三つ柏の紋が「高島おひさ」
そして上の桜草の紋が「富本豊雛」です

難波屋おきたと高島おひさは、茶屋娘。
富本豊雛は、富本節の吉原芸者。

歌麿は役者絵の紋のように彼女たちを特定できるように描いていますね。

歌麿は、この作品で、役者絵で用いられていた、
大首絵と呼ばれる上半身のクローズアップの技法や、          似顔表現も美人画に試みます!

この歌麿の美人は、美人画ですが、
「似顔」にちゃんとなっているんですっ

彼女たちの顔は一見、同じように見えますが、
顔をクリーズアップして見て見ると、
眉毛の太さや、目の大きさ、鼻の形などを
それぞれ描き分けています。

例えば、おきたは、切れ長の目に鼻の高い鷲鼻、眉も吊り上がり気味、おひさはつぶらな瞳の眼に、やや低めの鼻、眉毛も三日月形、とよひなは手前の二人よりもバランスの取れた顔立ちで描かれています。

しかし、この歌麿の美人画は当時、爆発的な人気であったことから、美人画に対して禁令が出され、実在する一般の女性が描けなくなり、
この似顔表現は一時的なもので終わってしまいます。

しかし歌麿は禁令にも屈しない精神で美人画を描き続けるのです。


最後に、歌麿の美人画は、当時流行のヘアスタイルも
わかるのですが、そのことについて触れたいと思います❣️

当時はその美人のヘアスタイルを見て、
その人がどのような人であるかわかるように、
様々な髪型がありました。

この髪型は「燈籠鬢(とうろうびん)」
というもので、
主に安永~寛政頃に流行しました!

鬢が横にピンと張った髪型です。

向こう側が透けて見えることや、
燈籠の笠に形が似ていることから
「燈籠鬢」と名付けられたといいます。

また、「燈籠鬢」は、鯨の髭や鼈甲でできた
半円型の鬢張りを鬢に通して作ります!

鬢から鯨の髭でできた半円形の
鬢張りがでているの見えますでしょうか。


今回はここまでにします(^^)/

また次回、この作品の続きを書きたいと思います。

@hataetti 

 ※「美人画」という言葉は明治以降に作られた
言葉で(明治40年の文部省美術展覧会より)
江戸時代は、「美人絵」、「女絵」などと呼ばれていて、
「美人画」と書いてある浮世絵も「美人画(ゑ)と呼んでいます!
ここでは、今日一般的に使われる「美人画」に統一しましたっ

美人画研究会の情報は
ホームページご覧頂ければ幸いです。

◆美人画研究会ホームページ https://bijingakenkyukai.jimdofree.com/

◆畑江麻里ホームページ https://hataemari.jimdofree.com/



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