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母の旅立ち、私の見送りへの道 入院編② 2/4~2/9 (静脈カテーテル手術、口の中と味覚に変化?) 第15回/全35回

この記事は母が旅立つまでの道のり、私が母を見送るまでの道のりを綴ったものです。

母の入院生活が始まって5日以上が経過。状態は比較的安定傾向にあるも、徐々にではあるが変化を見せつつあった時期。それでも十分に会話は出来たし、家に居た時の状況を思えば全然余裕はあった(母も私も)と思う。



2月4日 日 S病院 入院6日目

13:20 

入室

13:50

持参のリンゴゼリー食べさせる(少量)

14:10

うがい(介助)

14:20

点滴開始(吐き気止め)

15:00

車いすに移乗(看護師さんと共に介助)最上階の展望台へ

15:30

部屋に戻って、ベットに戻る

16:00

アイパッチ交換、顔と首(リンパの傷跡)にクリーム、テープ貼り替え

16:20

退出

【2/4補足】

この日から私の介助つきでうがいをする事に。母は口の中や喉の乾きを再三訴えるも、効果的な解決方法が見当たらない。口腔ケアのティッシュなどで凌いでいるようだが、本来はうがいで一番マシになるそうだ。ただ看護師さんには頼みにくい(忙しそう)なので私が介助する形でうがいをする事に。まあ家でもやっていた事なので慣れているし、母も私が相手なら頼む事も躊躇はしないだろう。

この日はS病院の看護師さん(Sさん・母の担当看護師)に進められて、車いすに移乗して最上階の展望台へ行ってみる。車いすへの移乗も看護師さんの他にリハビリ師の方も手伝ってくれた。事前に吐き気止め(酔い止め)を入れてくれたので、母は終始気分良さそうだったのは幸い。

個室の病室からもある程度外の景色は見れるが、上の階から見るとまた違った風景になる。母にとっても気分展開になったと思うし、外の景色を見つつ色々とお話し出来た事が良かった。

部屋に戻ってからもM病院やO病院でのお話をする。O病院の先生(形成外科)には恨み節炸裂(1月編で少し書いたが)。その他には母上の過去のお仕事の話をしてくれた。今まで聞いたことが無かった話も多々あって、この機会に聞けて良かったと思う。

2月5日 月 S病院 入院7日目

13:30 入室

入室と同時に室内でエラー音(警報音)が鳴り響いている。
母は私が残していったIPODから音が出ていると思って、必死に格闘中。
しかし実際には点滴(安定剤?)のエラー音。看護師さんを呼んで解除してもらう。

14:15

トイレ(大)、車いすで移動(私が介助)

14:30

ポカリスエットを飲ませる

15:00

顔、首、手足にクリームを塗る

15:40

ガリガリ君(アイス)を食す
このガリガリ君を食した事が母にとって自力で食した最後となる

16:15

退出

【2/5補足】

母のトイレ移動時は看護師さんも部屋に居たが、私が介助するのを見て「お願いします」と言って出て行った。看護師さんも忙しそうだ…。

ただ車いすの移乗しての移動も結構しんどくなってきた(母が)印象。もちろん紙オムツもしているが、介助付きでも行ける内はトイレでした方が良いだろう。

明日2/6は朝から静脈カテーテルの手術予定。その事について「頑張って」と伝えて退出。手術担当の医師は相当腕がいいと看護師さんからも伝えられていて、一発で決めれば10~15分で終わってしまうとの事で、母も手術に関してあまり心配して無さそう。

2月6日 火 S病院 入院8日目【静脈カテーテル手術】

午前

静脈カテーテル手術

13:50

入室。
母は気持ち良く寝ている…。

14:50

担当医(T先生)より静脈カテーテル手術の件の報告あり

15:20

蒟蒻ゼリーを1個食す(ぶどう)。

15:30

乳液クリームを顔、首、手足に塗る

16:15

退出

【2/6補足】

この日は午前に静脈カテーテル手術の日。しかし本来は太もも付近に器具を付ける予定が、連絡ミスで鎖骨付近に付ける事になったと担当医から謝罪される。ただ全く機能的にも問題ないし、手術そのものは一発で成功したとの事。

母と少し話したところによると、最近は夜になると吐き気や痛みがキツくなる傾向にあるとの事。ちょっと心配だな…。

2月7日 水 S病院 入院9日目

午前

お風呂、歯科検診

14:50

入室

15:00

乳液、クリーム、首テープ(リンパ手術跡)貼り替え

15:10

ポカリスエット少量、飲ませる

15:20

気持ちよく寝る

16:20

寝ているので黙って退出

【2/7補足】

午前中にお風呂と歯科検診があった様子。
お風呂でサッパリした影響もあってか常にウトウトしている感じ。
いつもより1時間以上来訪が遅れた事、眠たがっている事からも会話は少な目。でも僅かな会話が嬉しい。

2月8日 木 S病院 入院10日目

13:30

入室

13:50

白桃ゼリー(持参)を食す

14:00

いろはす(水)、いろはず(桃)、午後の紅茶(ストレートティー)飲む

14:30

うがい(介助)

15:00

母とお話し

16:00

退出

【2/8補足】

以前から何を飲んでも甘味と苦さが残る…と母が言うので、売店でいろはす(水)、いろはす(桃)、午後の紅茶(ストレートティー)を買って来て飲み比べ。いろはす(桃)は比較的さっぱり感があるらしいので、いろはす(桃)をメインに飲ませることに。

白桃ゼリーを食す時に母は「もう食べさせて貰う気満々」と冗談っぽく言った。ちょっと前までは自力で食べようとしてた時もあったが、もう私が食べさせてくれる事が当たり前となっている自身を皮肉っぽく言ったのだろう。逆にこっちとしては食べさせる気満々なのだが。

今日は母と過去の思い出を語り合う時間を得た。グチも含めてだが共通の思いと感情を持っている事が嬉しい。また昨日は寝てしまった事を気にしているようで、今日はとにかく私と話そうという感じが見られた。母上はもう話す事も結構しんどいはずなのに、私にまで気を使ってくれた。ありがとうね。

2月9日 金 S病院 入院11日目

14:00 

入室

14:10

持参のみかんゼリー1/3ほど食す、ポカリスエット飲む

15:00

いろはず(桃)飲む。
うがい(介助)

15:30

S病院、受付の事務員の方が1月分の請求書を持って来てくれる

15:40

母上とお話し

16:20

退出

【2/9補足】

今日は私の来訪を待っていた様子で、入室するなり病室入り口の扉閉める(暑いのを考慮してか出入口の扉を開放してある)、カーテン閉める(直射日光で部屋が暑い)、水を飲ませるなどをした。

もう自力で出入口の扉やカーテンは閉めれない(自力で立ち上がれない)ので、この辺りは看護師頼みではあるものの、看護師は忙しそうで頼めないとの事。母上はもう少し自分本位になっても良いと思うが、そうやって人に気を使って生きて来たのが母上。私には素直に頼めるのだから、これからはやはり病院へはもう少し早く来ようと思った。

入院費の請求(1月分)が来た。1月はたった2日だけの入院だが、請求額が!?という感じ。個室だし高いのは分かってはいたのだが、改めて突き付けられると…。ただここまで来るともう費用が高いだの安いだのと言ってられない。母が最期に向けて快適に過ごせるのであれば、金額は関係ないと思っている。

【2/4~2/9 まとめ】

この期間は静脈カテーテル手術や口内(味覚)の変化などもあったが、母との会話は十分に出来るし容態としては依然安定傾向にあったと思う。各種薬の影響もあって眠くなってしまうという面はあったが、それでもこの時期は痛みを抑える事が十分に出来ていた。

入院生活も10日目を超えるとまた色々な面が見えてくる。母自身もそうだが、看護師さんもある程度慣れて来たのか、母も結構ほったらかしされるケースも目立ち始める。何かにつけて全て看護師さんを呼びつけてお願いすれば済む問題ではあるが、母の性格上それが中々難しい感じではあった。

ただこの時期にナースコールの配線が根元から取れているのを発見している。おそらく入浴等でベッドごと部屋を移動する際に配線を繋ぎ忘れた為、もしくは敗戦の接続方法が甘くて外れてしまったと思われる。ただし後日もう一回同じケースが生じる事になる。これでは看護師を呼びつけて…という事自体も不可能だし、万一の事態にも対処できなくなると感じた。

病院内で不測の事態…というのはこういうケースも含まれているのだろうなと思えた出来事でもあった。

【注意事項】

この記事を書いている私は医療に関しては素人なので記事の中で間違った認識、表現、名称を記述している可能性は高いです。さらに一部で感情論に走っている面もあると思いますが、なにとぞご理解と温かい目で見て頂けるとありがたいです。


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