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母の旅立ち、私の見送りへの道 11月編 3/35

この記事は母が旅立つまでの道のり、私が母を見送るまでの道のりを綴ったものです。

今回は首リンパの手術後からの病院通いの中で、今後治療をしない事の決断と家族に伝えた事、さらに痛みとの戦いの日々始まった11月の母の日記から紹介します。



11月

11月1日 O病院 【皮膚科で治療しない方針を伝える。整形外科には不信感?】


O病院 整形外科
整形外科で腰骨のレントゲン。
レントゲンでは何も分からないと言われる。何故レントゲンを撮るのだろうか?
更に来年2月にMRIで検査と言われる。そんな先の頃に私はまだ無事なのか?

皮膚科 検診
担当医師に免疫治療はしないと伝える
今後について親身になって説明を受けた。
首と顔の痺れを訴えると痛み止めの薬を出してもらえた。
治療はしてもしなくても後悔するのだろう
内出血部分を見てもらったが関係ないもの…と言われる。

【補足】

整形外科(形成外科との書き間違いの可能性もある)で言われた事に強い不信感を抱いた様子。後に訪問医師の先生が(1月)カルテを見てMRI検査までの間隔が開きすぎている事を指摘したが、本当にその通りだと思う。
また後に母が後に語ってくれた事だが、この整形外科の担当医は年老いたジジイだったそうだが、治療の意思が全く伺えなかったと言っている。とにかく人の話(母の話)を聞かないし、最後までいい加減な対応をされたと言っていた。

それに対して皮膚科の医師は免疫治療をしないと伝えると、親身に話を聞いてくれたそうだ。若い男性医師だったらしいが、母の目を見てじっくりと話を聞いてくれたそうだ。

患者にとっては医師の対応力に因る所は非常に大きいと言える例だろう。

11月2日【内出血発見】

昨日出してもらえた痛み止めでよく寝れた。
左肋骨部分に内出血発見。
打ち身など記憶にない。

11月7日【新たに内出血発見、再び痛みとの戦い】

右太ももに痛み。11/2の内出血部に小さなしこりを確認。
左肩にもしこりと内出血を発見する。

11月10日

朝から左胸が痛い。さらに時々右足付け根部分が痛む。
首の痺れが強くなった印象あり。
体重37.4kg

11月11日

朝目覚めるたびに身体中が痛い。
今日は歩いて少し遠目のお買い物。
往復で3800歩。まだまだ歩ける。

11月13日

朝目覚めてから左胸と左胸下のしこり部分が痛む。この痛みが翌朝まで続く。

11月14日

右肩前にしこり2か所発見。

11月15日

目覚めてから右股関節の周りが痛い。一日中痛みが続く。

11月16日

右ひざを曲げる時痛む。
さらに1日中右股関節痛み、寝る前には左胸が痛くなる。

11月17日 【家族に治療しない事を伝える】

家族に治療をしない事を含め、今後の事を伝えた。

【補足】

私が母から治療しない方針である事聞かされた日。正直9月に骨盤にがんが転移しているという事を聞かされてからは、ある程度の覚悟をしていたつもり。でも面と向かって言われるとちょっと現実を直視できない感じに。母にとっては「ちゃんと真面目に聞いてくれない」と思ったかもしれないが、私からすれば真面にこの話を受け入れる事が出来なかったのを覚えている。
ちなみに母は最終的にはホスピス行きになる…という所まで話してくれた。もう最期に至るまでの道筋をある程度描いていたのだ。

11月18日

今日は特にどこも痛みが無く快適な一日 ◎

11月19日 

左わき腹ぽのしこり痛い。ズキズキと痛んで翌朝まで続く。
また股関節痛が再び始まる。

11月20日 O病院 形成外科

検診。身体の変色があっても順調ですよと言われるが安心できるのか?
背骨飛び出ているしこりが大きく、当たるとかなり痛い。

11月24日 M病院【M病院診察(最終)】

M病院 検診(大腸がんの定期健診)
前回以降、O病院の紹介状を貰ってから今までの事を報告。
次回検診は1/26。
寝る前に胸が痛くなる。

11月27日

股関節痛が本格的に。歩くと痛みが増して、いよいよ杖が必要になりそう…。体重36.6kg

11月28日 O病院【O病院 耳鼻科最終】

皮膚科
しこりなどの進行が見られるとの事。
12/1にCT検査が決まる。
また今後の事についてがん支援センターを訪ねるように言われる

耳鼻科

予約は10:30なのに実際には3時間待ちの13:30から診察。
案内された待機室での椅子に座って待つのが辛すぎて、待合室のソファーで待ちたいと伝えたものの、看護師さんにかなりの塩対応を受ける。
病人なのに3時間も待たせて硬い椅子になんて座ってられない。
さらに医師は担当の医師では無く、あっさりとこれで終わりと言われる(耳鼻科の検診はこれで終了という事)。

11月29日 【杖の使用開始】

薬局とコンビニへお買い物。ついに杖のデビューでお買い物へ

11月編 まとめ

11月に入ると身体の痛みが顕著に表れるようになるのが日記の内容からわかる。正直この時点で母がここまで痛みを抱えているとは知らなかった。ただ11月も下旬になると私の目から見ても痛みに耐えかねる様子は見て取れるレベルに。もう無理はさせられないな…と感じた時期である。

まあ私に心配させたくないという思いからなのだろうが、よくもまあ表に出さずにここまで我慢したもんだと思う。それにしても11月は痛みに加えて日に日にしこりと内出血が増えて行った様子。かなりの不安を抱いたまま生活をしていたのだろう。

母が「治療をしない」と医師に伝えたとされる11月1日の日記には「治療はしてもしなくても後悔するのだろう」という記述がある。正直その通りだとは思うが、「治療をしない」という決断をした背景には、9月27日に出た整形外科での骨盤の両方にガンが転移しているという診断と告知にあると思う。整形外科の医師が治療に積極的でなかったのはこの辺りの理由があるからなのだろうか。

【注意事項】

この記事を書いている私は医療に関しては素人なので記事の中で間違った認識、表現、名称を記述している可能性は高いです。さらに一部で感情論に走っている面もあると思いますが、なにとぞご理解と温かい目で見て頂けるとありがたいです。


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