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母の旅立ちへの道 【気付きと感じた事③】(訪問看護)第26回/全35回

この記事は母が旅立つまでの道のり、私が母を見送るまでの道のりを綴ったものです。

母の旅立ちと私の見送りの記事は終了しました。
ここからは母の旅立ちと私の見送りで道のりの中で、気付いた事や感じた事を紹介していきます。
今回は訪問看護(訪問看護師)について話してみたいと思います。


【当初は訪問看護師さんとの関係も薄いが…】

前回の記事で訪問診療についてあれこれと語り、訪問診療の先生はすごい…という話をしたが、実際にその訪問診療で本当にお世話になったのは自宅に訪問して頂いた看護師の皆さんである。

当初は母のまだそこまで体調が悪化していなかったので、訪問看護師をリビングで迎えて面談と軽い検診を受ける程度(1/6~1/16)。訪問間隔も4~5日間隔とまだまだ余裕の診療だった。実際にA看護ステーションの看護記録を見返して見ても、当初は殆ど何もなく平穏だったことが分かる。

【訪問看護の有難さを認識】

ただ1/22の深夜に容態が急変した時に真っ先に看護師さんに助けを求めたのだが、その際に飛んできてくれた事に感謝している。ちょっとその際の対応に少しだけ不信感があるのだが(1/22の記録を参照)、それでも深夜の呼び出しに対応して頂いた事、その後の処置に手を貸していただいた事に非常に感謝している。

翌1/23にI訪問クリニックのI先生の指示のもと、母の部屋の病室改造計画が始まる。同時に看護師さんにも呼び出しがかかったようで、看護師のOさんが駆けつけてくれた(Oさんとはこの時が初対面)。そして大きなバッグを持参されて中には大量のお薬が…。

結局この際に薬の大幅な変更があり、その際に丁寧に薬の使用方法についての説明をしてくれた。オプソだのランソプラゾールだのセレネースなど…。あげくには麻薬だというフェントステープだの…。フェントステープな大きいタイプだと常人が迂闊に触れると失神するよと言われて恐れおののく事に(笑)。

【想像以上に時間を掛けて診てくれた】

その後は母が入院するまで毎日のように訪問してくれて、新しく母を看護してくれるTさんとも初対面。すごく丁寧な人で母の話や私の話もよく聞いてくれたし、時間を掛けて母の様子をみてくれていたのが印象的。

正直、訪問看護なんて10~15分で処置してさっさと帰る(次の患者さんのところへ行く)と思っていたのだけど、40分~1時間くらい時間を掛けて母の様子を見てくれた。まあ点滴の滴下の具合を見ていただけなのかもしれないけど、それでもよく診てくれているという印象を持った。

【夜中の呼び出し対応についてお話を聞くと…】

後に我が家に来てくれる担当の訪問看護師さんと少しお話しをする機会を得る事に。その際に以前夜中の急な呼び出しの件があったのでその事を尋ねてみた(その夜中に来てくれた看護師さんでは無い方に)。「気にしなくていいですよ~」「問題ないですよ~」と言ってくれたが、夜中の呼び出しについての舞台裏を少し話してくれた。

何でもシフトで夜中の呼び出し対応(オンコール待機と言うらしい)はシフト制で、当番になると専用の携帯電話を渡されるそうだ。お世話になった訪問看護ステーションでは2日連続で当番になるらしい。

何気ない会話の一部だったので正確には覚えていないのだけど、夜中の当番になった日も普通に日勤があるような事も言っていたような気がする。その話が本当なら訪問看護師も楽な仕事ではないよな…と思う。

また我が家はマンションの最上階でエレベータは途中までしかなく、その後は階段…というちょっと特殊な環境。その中を毎回最上階まで登って来てくれて、看護師の皆さんには本当に大変な思いをして頂いたなと思っている。

【訪問看護師さんは体力が必要かも?】

その後訪問看護師さんについて独自に調べることがあったけど、やはり訪問看護の方々は大変な仕事をされている様子。我が家に来る看護師さんは総じて若い方が多かったが、この職業はちょっと体力的にも若くないと…というのがあるのかもしれない。

先述のように我が家の特殊な環境のところに、毎回大きなバッグ(点滴や薬、診療器具が入っている)を抱えて来られていた。毎回玄関でお出迎えをしたが、訪問してくださった看護師さんは心なしか息が切れていたようにも見えた。

【ギリギリまで自宅で診てもらえた事に感謝】

最後の訪問看護は母が入院する前日。もう入院が決定していたし、これが最後の訪問看護となるのは分かっていた。最後はお世話になった看護師さんにご挨拶を…と思っていたが、最後に訪問して頂いた看護師さんは初見の方だった。担当というか、毎回のように来て下さった顔なじみの看護師さんではなかったのがちょっと残念。それでも最後の1週間は毎日のように訪問して頂いた事に母と一緒にお礼をした。

母も最後はもう自分の身体の事で精一杯だったと思うが、それでもか細い声で「ありがとうございました」と何度も看護師さんに言っていた。母の大好きなこの家で事情が許すギリギリまで自宅に居れたのは、母自身にとって一番良かったと思う。それは訪問診療を受け、さらに訪問看護師さんに手厚く看護してもらえたからだろう。


【改めてご挨拶とお礼の品を持参するも…】

数日後、訪問看護ステーションの事務所にもお手紙とお礼の品を持参してご挨拶に行った。看護師さんとの会話で何となくの事務所の場所(地元なので何となくわかる)を聞いていたのだが、本当にこんな所にあるのか?と思えるような雑居ビルの一角にその事務所があった。

訪問の際には担当していただいた看護師さんに会えないかな~?何て思っていたが、当然のように会えなかった。まあ若い女性看護師さんに最後に一目会いたかったな…という裏の事情はさておき(笑)、1月間の一連の出来事に対して改めてお礼を申し上げた。

【母と私の見た訪問診療、訪問看護の世界】


こうして母と私の訪問看護師さんとの関係は終わる。

訪問診療の先生と同様に、悲しいお別れで終わる訳ではない。
S病院の緩和ケア科への入院まで…という目標を達成してのお別れである。

母が受けた訪問看護、私が見た訪問看護はある意味で最高の形で終えることが出来たのは幸せだった。

その最高で幸せな形で終えることが出来たのは、我が家に来ていただいた訪問看護師さんの皆様のおかげである。

看護師さんは先生の指示を受けたから…と言うであろうが、正直私自身は毎日のように(時には1日2回も来てくれることもあった)来てくれた訪問看護師さんの方が馴染も親しみもあった。私にとっても母の身体の些細な事、薬や医療の事なども聞くことが出来たし、何気ない会話で気が紛れる事も多々あった。たった一人で母の看護をしている事も知ってくれていて、私の身体を気遣ってくれたのを今でも感謝している。

次に訪問診療、訪問看護師さんにお世話になる…としたら、それは私自身の時ではないだろうか?などと何気なく思う事がある。それは10年後なのか20年後なのか…。その時には訪問診療、訪問看護の世界はとんでもなく人手不足だったり、需要が多すぎて私のところまで回ってこないのではないかもしれない。はたまたその時の私には訪問看護を受けるほど経済的に余裕はあるのだろうか…?などという事も考えてしまう事もある。

【注意事項】

この記事を書いている私は医療に関しては素人なので記事の中で間違った認識、表現、名称を記述している可能性は高いです。さらに一部で感情論に走っている面もあると思いますが、なにとぞご理解と温かい目で見て頂けるとありがたいです。


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