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虫捕りっ子(子育て×自然体験で幸せ時間)

2週間前

中学の面談が5分で終わった修業の本日。本州を思い出すような湿度80%。二男は喉が痛くて声が出せず。感染症の再来でないことを願う!スーパーで一夜干しを購入。「美味しそう、この個体。」とホッケを選ぶ長男。一夜干しで個体って。笑 確かに美味しいそうなんだけどね。制作の手際の良さは父似。

「微妙なニュアンス」というものが自分の中ではかなり重要なのだと感じた日。微妙な違いが私には大きな違い。洗濯物を干していると、ウッドデッキを勢いよく飛び越えて行くトノサマバッタ。自然界は微妙な差異で溢れているのだろうなぁ。それにしても、トノサマバッタはいつも堂々としていて格好良い!

賑やかにエゾハルゼミが鳴き始めた。よく見ると、羽化したばかりの蝉は薄っすら緑色。「体液が緑色だからね。」と長男。羽根の隅々まで行き渡る彼らの体液が美しく、生きるってこういう感じだ、と心が震えるような感覚を覚える。命を繋ぐために鳴く彼らは美しい。色々あっても世界は美しいのだと思う。

「虫とゴリラ」養老孟司さんと山極壽一さんの対談本を読書中。共感する部分が山盛り。〈自分でコントロールできるものばかりと付き合っていると共鳴が生まれない〉自然の中に身をおくことで、子どもたちは、自分でコントロールできないものがあることを感じ知っていく。そうやって大きくなる。うん。

学校に行かないという選択。「人間は多様性の初心者だ。」

昆虫の世界は、まさに多様。 ナナフシといっても、たくさんの種類がある。koedananafusiさんのような、可愛いナナフシだったり、オニカレハナナフシの様なごっついナナフシだったり。 生き物の世界は、本来は、理屈抜きで多様なのだと感じる。 人間もそこに含まれるはず。

夫の治療を受けに来てくれている近所のおばあちゃん。「これ、上の息子さん、生き物が好きだから、好きかと思って。珍しいから。」はて?何の虫?と思って、大事そうに包まれたティッシュを開いてみたら、そこには、豆粒大のシュルツェマダニが。「ダニか。そうとう血吸ってんな。」と長男。冷静だな。

学校に行かないという選択。「センス・オブ・ワンダー」

子どもたちとTV番組「ダーウィンが来た!・オオスズメバチ特集」を観た。 【女王蜂が、巣を作り始める貴重な映像】 その映像と同じ作り始めの巣が庭に〜! 夫が女王蜂が戻らないうちに急いで撤去。 同じ母として申し訳ない気もしますが、他の場所で巣作りしていただけたら助かります。

夏には夏の、夏の味わい方があり、 秋には秋の、味わい方がある。 今日は、秋晴れ山探検。 長男が、トノサマバッタを捕まえた。 トノサマバッタは、 手を離すと、あっという間に青空に向かって真っ直ぐに飛び立った。 飛ぶ姿が、潔く力強い。 トノサマバッタ、格好良いな。

秋が、はじまる。 空の雲も 風も ぜんぶが 夏から秋に入れ替わる 秋はすべてが静かになっていく その静けさに ふわりと 浮かぶ

長男が、「オレの魂」と呼んでいる、帽子と虫捕り網。帽子は彼と共に、毎日おひさまにあたり、森をくぐり抜けてきた。生地が薄くなり、破れては繕い繕い使って来たが、生地が裂けてどうにもならなくなった。その様子にやっと納得して、次の帽子へと代替わり。共に過ごした帽子は、彼の部屋に飾られる。

やなぎだけいこの店。#19「バカなおとなにならない脳」。

家族で、やや街中に出かけたときのこと。食事をし、車の往来や人の流れを一通り眺めた長男が、「・・・そろそろ、森へ帰ろうか。」と。・・・ナウシカ?!いや、姫姉サマは、生き物にもやさしいが、人間にもやさしい。しかし、こちらの兄サマは、生き物には、親切だが、人間には、辛辣で容赦がない。

学校に行かないという選択。その1。

十九紋てんとう虫が家に入ってきていた。長男が、餌を調べ「しばらくは砂糖水でいいみたい。」と虫籠を用意し、「自分が飼いたいわけではないんだけどね」というので、「弟妹のどちらかが飼いたいって?」と聞いたら、「違う。飼うことは運命だから。」と。イタリア人か。君は。