神吉晴夫

03「薄利多売の仕掛人」①神吉晴夫の巻
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03「薄利多売の仕掛人」①神吉晴夫の巻

●本の薄利多売はいかにして始まったか。高価で堅牢な造りのハードカバー書籍に対して、簡易な製本で安価なペーパーバック式のソフトカバー書籍が生まれたのは、19世紀初頭の欧米だと言われている。ドイツのライプチヒでレクラム出版社を創立したアントン・フィリップ・レクラムが 1867年に創刊したレクラム文庫(写真)は、それまで高価だったハードカバーによる書物を、造本を簡易化・小型化して大衆向けに安価に提供することで、爆発的な人気を博した。黄色い表紙に文字だけが印刷された徹底的に簡易な装丁

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やりたいことなんてなくていい。プロの編集者とは「機能」にすぎない

やりたいことなんてなくていい。プロの編集者とは「機能」にすぎない

(前回からの続き) 神吉晴夫が出版界に遺した3つのもの ――ここで今さらだけど、ちょっと神吉晴夫個人について詳しく聞きたい。そもそもこの記事の読者は、神吉さんのことを知らないと思うから。 柿内 もちろん、そうですよね。出版業界の人でもよく知らないと思うし、ぼくくらいの世代で知っている人は、まずいないと思います。 神吉晴夫とは、ひと言でいうと「戦後最大の出版人」ですね。もともと講談社の社員でしたが、敗戦直後の1945年10月に光文社が創立されたときに出向して、そこから光文

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苦しいときに神吉イズムをとことん学んだから、大ベストセラー『さおだけ』を作ることができた

苦しいときに神吉イズムをとことん学んだから、大ベストセラー『さおだけ』を作ることができた

(前回からの続き) 仕事から逃げて逃げて逃げて出会った、カッパと神吉イズム 柿内 メルマガに返事書くのにも飽きてきたので、新しい「仕事をしたふり」がないか必死に探したんですけど、そうしたらすぐ近くにあったんですよね。運良く、「アレ」が。 ――アレ? 柿内 わかりません? 資料室ですよ。光文社新書編集部と同じフロアには、会社の資料室があって、そこに行っていればまるで仕事をしているように見えるじゃないですか! ――ああ(笑)。 柿内 「東京大学〇〇先生 直帰」みたいに

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新人編集者時代の柿内芳文が悩みに悩んで「神吉晴夫」にたどりつくまで

新人編集者時代の柿内芳文が悩みに悩んで「神吉晴夫」にたどりつくまで

柿内芳文さんは、言わずと知れた『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』『嫌われる勇気』『漫画 君たちはどう生きるか』…など、数々の大ベストセラーを世に送り出した編集者。今回のインタビューは、光文社新書のOBである柿内さんに、現編集長の三宅が「神吉晴夫」についてお話を聞きにいくものとして企画されました。インタビュー中にも出てきますが、2人は10年近く机を並べて新書編集部で働いていただけでなく、三宅は入社当時の柿内さんの指導社員でもありました。インタビューは、そんな気のおけない2人の間

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