『死ぬ練習』を読む

『死ぬ練習』を読む

南直哉『死ぬ練習』を読んだ 南直哉師の本は複数もち読んでいる。本書は題名も題名。デス・カフェもオンラインで開催している立場でもあるので読まねば、ならない本かな?と思って手にとった。 内容は死と向きあい方とそこから生じる生のあり方を論じている。 仏教という考え方を用いて、死と向き合っている。そこには、輪廻や来世の問題を否定し、信の問題も数行だがかかれている。 南師の特色として信とはカケという立場がある 私個人は、信と信仰を分けているし、来世があることを希望し、輪廻をな

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桜の花は、散りゆく時に後悔するのだろうか

桜の花は、散りゆく時に後悔するのだろうか

一冊の本を読み終えた。 私は本が好きだ。本を見るとき、「タイトル」「はじめに」「あとがき」「目次」を見れば、名著かどうかは判断できる自信がある。 「名著」は主観が伴うもので、好みの問題もある。 この本は、2009年に発売され、日韓で30万部を売り上げたという。 著者の大津秀一さんはまだご健在だ。調べてみたら、ブログ※←リンク までやっていた。(驚いた) がんの患者を数多く(それこそ、1000回以上、いや、もっとだろう)看取ってきた著者が、この本を営利目的で書いた

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藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 最終回 仏教を「する」こと

藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 最終回 仏教を「する」こと

この記事は無料です。  イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談も、いよいよ最終回。 第十二回は「マインドフルネスとは何か?」という疑問から始まります。その答えは、仏教が探求しようとしていること、その営みを我が身に引き受けるとは? という、“宗教と私”の本質的な関わりについて語られます。 対談/藤田一照×伊東昌美 「生きる練習、死ぬ

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藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第十一回 死に対する構えを変える

藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第十一回 死に対する構えを変える

この記事は有料です。  イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第十一回は死に立ち会ってもなお、燃え尽きることのない身の処し方について。「GRACEプログラム」を例に、自分自身のコンディションの整え方のヒントが提示されます。 対談/藤田一照×伊東昌美 「生きる練習、死ぬ練習」 第十一回  死に対する構えを変える 語り●藤田

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藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第十回 「今を生きる」ことはできますか?

藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第十回 「今を生きる」ことはできますか?

この記事は有料です。  イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第十回は「今」の捉え方について。輪廻転生はあるか、ないか? という探求から始まったこの対話は、「全き生があって初めて、全き死がある」という生と死の本来のあり方へと、深まっていきます。 対談/藤田一照×伊東昌美 「生きる練習、死ぬ練習」 第十回  「今を生きる」こと

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藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第七回 「苦しみ」と「幸せ」の方程式

藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第七回 「苦しみ」と「幸せ」の方程式

この記事は有料です。 イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第七回は死ぬまでにおこなう“練習”について。苦しむか幸せになるかは、“あること”をするかで異なります。それをしない生き方を、死ぬまでに練習するのです。 対談/藤田一照×伊東昌美 「生きる練習、死ぬ練習」 第七回  「苦しみ」と「幸せ」の方程式 語り●藤田一照、伊

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藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第六回 苦悩の正体を見きわめる

藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第六回 苦悩の正体を見きわめる

この記事は有料です。  イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第六回は苦悩のカラクリについて。苦悩を叩き潰すのでもなく、忘れさせるのでもなく、慰めるのでもない、仏教の説く「苦悩の乗り越え方」を学びます。 対談/藤田一照×伊東昌美 「生きる練習、死ぬ練習」 第六回  苦悩の正体を見きわめる 語り●藤田一照、伊東昌美 構

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藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第五回 「私」に見えているのは、何?

藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第五回 「私」に見えているのは、何?

この記事は有料です。 イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第五回は物を「見る」という行為について。物を見ている「私」と、それ以外の「物」との間に、境界線はあるのか? 前提を疑うことから、世界との関わり方が変わり始めます。 対談/藤田一照×伊東昌美 「生きる練習、死ぬ練習」 第五回  「私」に見えているのは、何? 語り●

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藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第四回 「所有」のモードを変える

藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第四回 「所有」のモードを変える

この記事は有料です。 イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第四回は「所有(having)」と「存在(being)」の違いについて。所有した物を手放したくない、という思い(執着)が、死への恐れにつながる経過について語ります。 対談/藤田一照×伊東昌美 「生きる練習、死ぬ練習」 第四回  「所有」のモードを変える 語り●藤

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藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第三回 私という一人称の「死」

藤田一照×伊東昌美「生きる練習、死ぬ練習」 第三回 私という一人称の「死」

この記事は有料です。 イラストレーターである伊東昌美さんが、曹洞宗国際センター所長の藤田一照さんのもとを訪ねて、「生と死」「私とは?」など、仏教から観る“生きる智慧”についてじっくりうかがうこの対談。第三回は「死」をめぐる人称について。一人称としての死、「“私”が死ぬってどういうこと?」という問題です。 対談/藤田一照×伊東昌美 「生きる練習、死ぬ練習」 第三回  私という一人称の「死」 語り●藤田一照、伊東昌美 構成●阿久津若菜 一照さん: 「貧乏なり死なりに対

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