仁志敏久

フレッシュオールスター!!#番外編①

フレッシュオールスター!!#番外編①

皆さんこんにちは!ソーティッチです! 愛媛県松山市で若手の祭典・”フレッシュオールスター”が開催されました! ベイスターズからは、コーチに仁志二軍監督、桐蔭学園の森、ケガの蝦名に代わり秀岳館の宮本秀明、ヤマハの池谷蒼太が出場しました! 残念ながらベイスターズの選手が”大活躍!”とはなりませんでしたが、若手の選手が笑顔で楽しそうにプレーしているのを見るのは楽しいですね! 公式戦と違って和気あいあいとしていて、最近は揉め事があったので特に、和やかな雰囲気に魅せられてしまいまし

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超重量1300グラムのマスコットバットを使って良かったこと、悪かったこと【岩村明憲連載#5】

超重量1300グラムのマスコットバットを使って良かったこと、悪かったこと【岩村明憲連載#5】

 前の話へ/連載TOPへ/次の話へ ビジョンをしっかり持っていた稲葉さん 今回はヤクルト時代の同僚だった稲葉篤紀さんの話をしようと思います。稲葉さんとは当時のレギュラーでは一番年が近かったこともあり、親しくさせてもらいました。  特に日本一に輝いた2001年のシーズンは左打者として、稲葉さん、ペタジーニ、僕が3、4、6番を務めたこともあり、同じ左打者として、よく相談させてもらったのを覚えています。 ヒットを放つ稲葉(01年10月、甲子園)  例えば、中日の山本昌さん対

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野球をやってこられたのは負けず嫌いとプライドのたまもの。完全無欠の指導者になる!【仁志敏久連載#11・最終回】

野球をやってこられたのは負けず嫌いとプライドのたまもの。完全無欠の指導者になる!【仁志敏久連載#11・最終回】

前の話へ / 連載TOPへ 横浜移籍3年目、正直「萎えた」自分がいた 2007年、借金1の4位にとどまり、さらなる一歩を期待したものの、絶対的抑えのマーク・クルーンが巨人へ移籍。先発陣も手薄となり、2008年は再び、苦しいチーム状況に追い込まれてしまいました。 練習に打ち込む仁志。「勝たなければいけない理由」を探したが、なかなか見つけることができず…  開幕は3連敗。その後も状態は変わらず、11試合目にして既に最下位。そこから上がることは一度もありませんでした。  終

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見慣れない「横浜」のユニホーム。似合っているのかどうか、窓ガラスを何度ものぞき込んだ【仁志敏久連載#10】

見慣れない「横浜」のユニホーム。似合っているのかどうか、窓ガラスを何度ものぞき込んだ【仁志敏久連載#10】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ FA権を行使したのは、一度は米国でやってみたかったから  2004年オフ、シーズン中に取得したFA権を行使することはある程度決めていました。  ただ、国内球団への移籍は考えていませんでした。選択肢は残留かメジャー。メジャーを甘く考えていたわけではなく、とにかく米国に行ってプレーしたかったのです。  海外での野球の楽しさはアマチュア時代から感じていました。フィールドの美しさや何となく感じる開放感。思い切りのいいプレースタイルも大

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ボクは骨肉腫の少年に教わった。無駄に過ごす時間などあってはならないのだと【仁志敏久連載#9】

ボクは骨肉腫の少年に教わった。無駄に過ごす時間などあってはならないのだと【仁志敏久連載#9】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ 本当にまた会える、そう信じていたけれど… ヤンキースに入団した松井秀喜(2003年1月)  チームの顔、圧倒的な存在感のある主砲は世界へと飛び立ちました。2003年、この年も波乱が待っていました。自分自身も思い通りにできない憂鬱な日々を過ごしていました。  そんな試練の年の開幕、ある少年との出会いがありました。その少年との出会いによって大切なことを教えられたのです。  開幕前、広報担当から「お前のファンだっていう子に会ってほ

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松井、清原、江藤らが並んだミレニアム打線で臨んだ〝ONシリーズ〟はプロ野球人生最高の1年【仁志敏久連載#8】

松井、清原、江藤らが並んだミレニアム打線で臨んだ〝ONシリーズ〟はプロ野球人生最高の1年【仁志敏久連載#8】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ 日本一の達成感の後に来たのは…  20世紀最後の2000年、世紀の名選手同士が監督として激突。野球界ではこれ以上はない監督対決でしょう。  巨人・長嶋茂雄監督とダイエー(現ソフトバンク)・王貞治監督。ONと呼ばれたスーパースターが日本シリーズという大舞台で向かい合うことになったのです。 長嶋監督と握手するダイエーの王監督。ON対決に日本中が注目した  第1戦は東京ドーム。4年ぶりの日本シリーズに燃え上がる思いで臨みました。第

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バットとグラブは体の一部、プロ野球選手は道具にどう神経を注ぐのか【仁志敏久連載#7】

バットとグラブは体の一部、プロ野球選手は道具にどう神経を注ぐのか【仁志敏久連載#7】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ 仁志敏久のバット論、「弘法大師だって筆は選んでいたと思う」 「弘法筆を選ばず」と言いますが、恐らく弘法大師だって筆は選んでいたと思います。道を究めようと思うほどこだわりができ、道具に対しても神経質になります。  多くの野手が一番こだわるのはバット。  打つことがすべてといっても過言ではありませんから、細かいところまで神経を注ぎます。  太さ、長さ、重さ、材質。これがわずかに違うだけでも選手たちは違和感を持ちます。  例えば

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守備が下手だった僕がゴールデン・グラブ賞を受賞できたワケ ポジショニングの妙は「100%近い確信と予測」【仁志敏久連載#6】

守備が下手だった僕がゴールデン・グラブ賞を受賞できたワケ ポジショニングの妙は「100%近い確信と予測」【仁志敏久連載#6】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ 骨折から復帰してオールスター初出場  新たなスター・高橋由伸君の入団で沸いた1998年。前年の秋季キャンプでは巨人を逆指名したことに驚きを隠せませんでした。  他チームへの意志を固めたとの報道もあった中、「巨人へ」という会見。笑顔がなかったため、「もしかしたら本当は他のチームに行きたかったのでは」という勘ぐりもしましたが、後々その理由を聞いたところ、「前の日にたくさん飲んでいて、あまり寝ていなかったから」ということでした。彼らし

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2年目のジンクス、苦しかったシーズン後には元木大介君と罰ゲームを受けた【仁志敏久連載#5】

2年目のジンクス、苦しかったシーズン後には元木大介君と罰ゲームを受けた【仁志敏久連載#5】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ KKコンビの優しさに感謝感激!!  日本シリーズ敗戦後に血行障害の手術を受け、山あり谷ありの1年目はやっと終わりました。ところが、検査や手術を受けている間にチームは大きな局面を迎えていたのです。 あこがれの存在だった清原が同じチームに(後列右が仁志、左が松井)  一つは西武からFA宣言をしていた清原和博さんの獲得。  桑田真澄さんとともに清原さんは我々にとってはONのような存在です。PL学園ではKKコンビと称され1年目から大活

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山あり谷ありのプロ1年目、メークドラマの裏にはミスターの「まだまだ大丈夫ですよ~」があった【仁志敏久連載#4】

山あり谷ありのプロ1年目、メークドラマの裏にはミスターの「まだまだ大丈夫ですよ~」があった【仁志敏久連載#4】

前の話へ / 連載TOPへ / 次の話へ 開幕戦で猛打賞という最高のスタートも、5戦目で早くもスタメン落ちした僕を…  1996年4月5日、記念すべき開幕戦。  前夜はカツ丼、朝は鯛と赤飯という決まりが我が家にできたのもこの日から。  本拠地東京ドームに阪神を迎え、華々しく試合は開始されました。「1番・セカンド、仁志」。まだ、聞き慣れないコールが響き渡り、大歓声に送られながら1回裏のプロ第1打席へ向かいました。  阪神の先発は当時のエース、藪恵壹さん。無我夢中でしたが

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