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「幸福のあるところ」「幸福にみちみちてあるところ」を意味するサンスクリット語を訳した言葉で、極楽とも言います。 『無量寿経』でも安楽は阿弥陀仏の極楽浄土のことを言い、一切の苦はなく、自らも解脱して人々を救済できるという精神的な「楽」に満ちていると言われています。

アフロ仏像や地蔵と呼ばれていますが間違いで、正しくは五劫思惟阿弥陀如来坐像と言います。 約160kmの大岩に天女が三年に一度舞い降りて羽衣で撫で、その岩が無くなる事を5回繰り返す間、衆生を救わんと思いをめぐらせて修行をされた結果、髪が伸びた様子を現しています。

浄土真宗を興された親鸞聖人の祥月命日の前後に、感謝のために営まれる法要フェスの事です。 本山では全国の門徒が集まり、聖人が流罪になった際に大きく揺れる船に乗った様を再現して、沢山の僧侶がヘッドバッキングしながらお経を読む坂東曲(ばんどうぶし)が圧巻です。 #親鸞聖人

12月の語朱印をホームページに掲載いたしました。 kyoto-daisenji.jp/?page_id=49

教典によって少し異なりますが、金,銀,瑠璃(るり)、玻璃 (はり),しゃこ貝 ,珊瑚,瑪瑙(めのう)などの七つの宝のことを指します。 また円形が永遠に連鎖し繋がる柄の名でもあり、円満、調和、ご縁などの願いが込められています この縁起の良い柄は七宝と同等の価値がある事を示しています

仏道の修行中、修行に関係ない無用な雑談を、冗談と呼んでいました。 「冗」という字はは不必要、無駄、煩わしいという意味を表すので、冗談は無駄話という事になります。 それがやがて、ふざけた滑稽な言葉、あるいはユーモアのある会話などの意味に使われるようになりました。

「善哉善哉(ぜんざいぜんざい)」とお釈迦様が弟子を褒め讃える時に使う言葉でした。 これがお汁粉を指すようになったのは、トンチで有名な一休禅師が小豆を煮てお餅を入れものを食べたところ、「善哉善哉」と大いに褒めからと言い伝えられています 自分なら天下一品のラーメンが善哉になってますね

一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くすという心構えを茶道では一期一会(いちごいちえ」と言いますが、この一期という言葉は人の生涯の間を表す仏教語です 例え同じ人との交わりも全く同じ事は二度となく、毎回異なることから無情に通じる言葉でもあります

多くを求めず手に入れた物に満足する。 人と比べ足りないものを数えるのではなく、本当に必要なものを知り、それが満たされている事に気付く事を小欲知足と言います。 四字熟語のようですが、法華経の普賢菩薩勧発品第二十八の中にある仏教語なのです。 #イラスト

「ジャンケンポン」のルーツは仏教語の「料簡法意」(りゃけんほうい)だとする説があります。 料簡とは「考えをめぐらし分別すること」、法意はお釈迦様の教えそのものです。 お釈迦さまの教えに考えをめぐらし、物事を決める事から何かを決める時の掛け声に転じていったのです。

今では「ここぞという大事な場面・局面」を指す言葉ですが、仏教語で正念は悟りにいたるまでの基本的な実践目標『八正道(はっしょうどう)』のひとつで雑念を払い仏道を思い念ずることで、正しい真理を思うことを意味します そこから「正しい気付きにもとづいて悟りを得る」事を言うようになりました

過去・現在・未来の三世(さんぜ)の事を現します。 仏教では時間というものを実体として扱わず、存在するものの変遷として捉え、過去は現在の原因。 未来は現在の結果と考え、あくまで現在が重要なのだと説いています。 日常ではあまり聞きなれない言葉ですが、森鴎外の作品に二度使われています。

「有か?無か?」という意味で、「世界は有限か無限か?」「死後の世界は有るか?無いか?」のように使用されましたが、それらの問いにお釈迦さまは答えを出しませんでした。 これを「無記(むき)」と言います。 この事から「もやもやしてハッキリとしない」という意味で使われるようになりました。

寺がつく言葉ですが仏教用語ではなく賭博用語で「ショバ代」の事を指します。 昔、寺院は寺社奉行の管轄で、町奉行は簡単には立ち入れませんでした。 その為、お寺で賭場が開かれることがあり、この名前がつきました。 なら寺社奉行が取り締まればと思いますが、それができないという事は?

「平穏無事」の「無事」とは、仏教において「平穏で何の障害もないさま」を指します。 即ち欲や煩悩に惑わされる事なく、心が穏やかな状態でいる事です。 これが現在では事故や病気がなく、健康であることを表す言葉に変化しました。 #イラスト

「なまみ」ではなく「しょうじん」と読み、元々は人としての肉体や仏像の対義語としてお釈迦様自身の体を指していました。 それが後に仏陀や菩薩が,惑い苦しむ人々を救う為、現実世界に現れた際の様々な形(化現:けげん)の事を言うようになりました。 #イラスト

お釈迦様は獣の皮製の衣や全裸を禁止し、僧たちは糞掃衣と呼ばれる糞や塵(ちり)のように捨てられた布を洗い繕ったボロで作った衣をまとっていました。 しかし中国や日本はインドよりも寒いため、重ね着するようになり、衣は袈裟に変化しました。 #イラスト

まとまりのない人々や物を見下した言葉、有象無象(うぞうむぞう)は元々は仏教語で有相無相(うそうむそう)と言いました。 有相は形ある物自体やその外観、無相は形の無い物やその本質などの事を言い、「この世のすべてのもの」を言い表していました。 #イラスト

関西の子供言葉なので地域によってはご存知ない言葉かも知れませんが、「まんまん」とは「南無阿弥陀仏」もしくは仏様そのものを指します。 「あん」は「あな尊し」に由来し、仏様に手を合わせて拝む時に使います。 更に短く「あん」とも言い、「仏さんにあんしてきぃ」のように使う事もあります。

日常的にではありませんが、「価値観や考え方、行動に囚われず、どんな状況でも最善の方法で臨機応変に対処するという意味で使われる言葉です。 元々は華厳経にある、この世にあるものは全てが繋がっており、互いに影響を与えている事を表す言葉です。 風が吹けば桶屋が儲かる的な感じでしょうか。