妊娠すると決めたのは私たちです

小さい頃から、両親の古めかしい考え方に囚われて過ごしていた。東京に30年住もうと、地方から出てきた両親の考え方が変わることはなかった。
女の人は子どもを育てて一人前、女の子は大学なんか行かなくていい、(進学校に通っていた私が進学するための成績が足りずに悩んでいた時に)結婚すればいい、迷惑をかけない人間になりなさい、人の役に立つ人間になりなさい…私は30年以上に渡り、結婚も子育てもしたくないと強く思いながら生きてきた。

大学時代に発達障害を自覚しその後診断が下り、双極性障害まで発症してしまい、親の理解がないまま通院に職業訓練に障害者雇用で就職。やりがいのある仕事に打ち込む人生を送りたいという願いは見事に砕け散った。手帳を取ることを否定的に捉えられ、(親がやってるだけで私は嫌がった)宗教があるのに精神疾患なんてかかるのかと言われ…それでも実家からなかなか出ることができなかった。
幼い頃から「就職さえ難しいのでは」と思われてきた人たちと一緒に働き、親会社から要らないと言われた人たちに哀れみの目で見られながら働き、加齢による症状の進行で転職を余儀なくされた人を追いかける日々。カウンセラーが望む態度をとり、要らぬ配慮に表向きは感謝の意を表し、自分に向かないつまらない仕事をする日々。
結婚や出産は、そんな私にどんどん魅力的にうつるようになっていった。保育士資格を取ってからは、障害者雇用という経歴のある私の無謀な転職に有利になるのではないかとまで考えるくらい、私は堂々と失礼な人間になっていた。
妊活は一年ほど。転職と養子縁組を本気で調べ始めた時に授かり、戸惑う私を励ますかのように、すくすくと成長してくれた。妬まれるのが嫌で、産休1ヶ月前まで社員には言わなかった。
事実婚は、妊娠に関する手続きに心折れてあっさりと終わりを告げた。

精神疾患、妊娠高血圧、妊娠糖尿病、胎児発育不全、分娩誘発からの帝王切開…1ヶ月以上の入院生活で私がほしかった言葉は、「赤ちゃんに"大きくなーれ"って頼むんだよ」「かわいいねってたくさん言ってあげてね」だった。そんな愛情をくれたのが実の親ではなかったことに、愕然とした。まさか、親の望んだ結婚妊娠を通して、親をますます遠ざけたくなるとは思ってもみなかった。

私がかつて嫌がったピンクを孫にも押し付け、
実親は相も変わらず自由だ。
そういう親に、私たちはならない。

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