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「需要と供給」~中華料理屋A店を回顧する~

 私の通っていた大学の近所に、ある中華料理屋があった。その店、仮にA店としておくが、このA店はラーメンを推していた。

 店の前には「ラーメン」の文字が書かれたのぼりが立てられ、メニューにも、しょうゆラーメン、みそラーメン、しおラーメンはもちろんのこと、カレーラーメンやスタミナラーメン、ちゃんぽんなどのラーメンメニューが乱立しており、並々ならないラーメンへのこだわりなのか、執着なのか、とにかく強い思いが店内に漂っていた。

 しかし、ベタベタと貼られたラーメンメニューにひるんで、麺類を注文してしまうのは、初心者なのである。
 何を隠そう、このA店で一番うまいのはラーメンではなく、チャーハンなのであるともっぱらの噂なのであった。

 もちろん、ラーメンメニューも人気があり、大学近辺の飲食店特有のボリュームたっぷりな盛り付けは、若い学生たちの腹を満たしていた。しかし一部でささやかれ出したこの「チャーハンがうまい」という噂は一部のファンから徐々に学生の間で広まることになる。


 実際、私も学生時代にこのA店を何度か利用したことがある。初めての来店の際は、このチャーハンについての噂は知らなかったのであるが、たまたま、ラーメンメニューよりもチャーハンが目に留まったのと、持ち合わせの財布事情と相談のうえで注文した。

 今考えると、店主のチャーハンの注文を聞いた際の反応は、異様にそっけなかったような気がする。調理もカウンター越しにちらりと見れば、かなり適当に飯を炒めて、塩コショウも明らかに目分量で中華鍋へ振りかけていた。
 出されたチャーハンはうまい具合にパラパラになっており、炒められた具材の香りが食欲をそそる。一口食べれば、口の中でパラパラの飯と具材が混ざり合い旨味を生み出し、そこになぜか出てくる塩味が絶妙に絡み合う。
 確かに美味い。適当に炒められた具材たちと目分量の塩コショウ加減が、貧乏学生に独特のジャンキーさと満足感を与える。

 この塩コショウ加減絶妙なチャーハンが、学生の間で隠れた人気メニューとなっていることをこの後に知ったのだが、その新感覚のジャンキーさを体験していたが故に納得してしまった。

 しかし、忘れてはいけない。A店はラーメン推しの店なのである。ラーメンよりもチャーハンが人気となれば黙ってはいない。

 大学を卒業してしばらく経ったある日、知り合いからA店についての情報が入った。
 たまたまA店の前を通りかかったので、何気に入ってみたところ、チャーハンはラーメンのセットメニューの中だけにその名前を残し、単品のチャーハンはメニューから消えていたという。
 メニューから抹消しなければならないほど、チャーハンはA店のラーメンを脅かす存在だったのだろうか。

 しかしながら、ここに需要と供給という、商品売買の流れに対するA店の葛藤が存在している。

 チャーハンは確かに人気であったのだろうが、それはA店の意図せぬところで起こってしまっている出来事であった。
 そこに需要と供給のサイクルを見出して、チャーハンを売り出すのが販売戦略としてはセオリーと言えるが、A店は街の小さな料理店である。需要と供給という流れをくみ取る必要性に、世間の企業ほど迫られていないのかもしれない。

 ラーメンメニューのために、チャーハンメニューを縮小する。これはひとえに、店主のラーメンへのプライドの成せる業なのかもしれない。

 そして「需要と供給」にA店の状態を結びつけてしまう我々にこそ、プライドを見直すことが求められているのかもしれない。
 あるいは「需要と供給」という有名な言葉こそ、経済の真理であるという幻想から一歩引いて、経済と生活と我々自身について考えるときが来ているのかもしれない。

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