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長谷部浩の俳優論。

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歌舞伎は、その成り立ちからして俳優論に傾きますが、これからは現代演劇でも、演出論や戯曲論にくわえて、俳優についても語ってみようと思っています。
劇作家よりも演出家よりも、俳優に興味のある方へ。
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#歌舞伎

【劇評332】仁左衛門、玉三郎が、いぶし銀の藝を見せる『於染久松色読販』。

【劇評332】仁左衛門、玉三郎が、いぶし銀の藝を見せる『於染久松色読販』。

 コロナ期の歌舞伎座を支えたのは、仁左衛門、玉三郎、猿之助だったと私は考えている。猿之助がしばらくの間、歌舞伎を留守にして、いまなお仁左衛門、玉三郎が懸命に舞台を勤めている。その事実に胸を打たれる。

 四月歌舞伎座夜の部は、四世南北の『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』で幕を開ける。土手のお六、鬼門の喜兵衛と、ふたりの役名が本名題を飾る。

 今回は序幕の柳島妙見の場が出た。この

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猿之助の懲役三年、執行猶予五年の判決確定を受けて。思うこと。

猿之助の懲役三年、執行猶予五年の判決確定を受けて。思うこと。

 懲役三年、執行猶予五年(求刑懲役3年)の判決を、重いと思うか、それとも軽いと思うかは、判断がむずかしい。
 四代目市川猿之助の舞台復帰が前提としてあるのであれば、執行猶予5年は、重く受け止めるべきだろうと思う。
 松竹は興行会社である。

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【劇評187】 猿之助の智慧。観客の好みを知り尽くした舞台

【劇評187】 猿之助の智慧。観客の好みを知り尽くした舞台

 歌舞伎座の十一月は例年通り、顔見世の月だけれど、八月からの四部制が続いている。大顔合わせというよりは、大立者から花形まで、それぞれの出し物が並んでいる。

 第一部を飾るのは猿之助の『蜘蛛の絲宿直噺(くものいとおよづめばなし)』。歌舞伎座が開くようになってから猿之助の出演は、三度目になるが、この四つに分割された上演をいかに盛り上げるか、智慧を絞った演目選びに感心する。

 お客が今、何を望んでい

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【劇評307】古典を着実にアップデイトさせる團十郎の構想力。

【劇評307】古典を着実にアップデイトさせる團十郎の構想力。

古典をいかに現代に向けてアップデイトするか。

 團十郎は、歌舞伎座七月大歌舞伎の夜の部で、この永遠の課題にまっすぐに取り組んでいる。猿翁が三代目猿之助時代に提唱した「3S」が、すぐに思い浮かぶ。

 猿翁は、STORY(物語)とSPEED(速度)とSPECTACLE(視覚性)を、歌舞伎が生き残るための必須条件と考えていた。
 古典は、見巧者や歌舞伎通のためにあるのではない。初心者が無条件で楽しめ

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松たか子の才能と、忘れられぬ思い出。『兎、波を走る』を見て。

松たか子の才能と、忘れられぬ思い出。『兎、波を走る』を見て。

 朗読劇ではなく、モノローグの名手として、松たか子は長く記憶されるだろうと思う。

 その才質を高く買っているのは、野田秀樹である。『オイル』(二○○三年)『パイパー』(○九年)、東京キャラバン駒場初演(一五年)、『逆鱗』(一六年)、『Q』(一九年)、そして今回の『兎、波を走る』、数々の舞台に出演しているが、落ち着きと包容力のある声が立ち上がってくる。

 叙情的に台詞を唄って観客を泣かせるのでは

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【劇評305】仁左衛門、渾身の「すし屋」。目に焼き付けたい舞台となった。

【劇評305】仁左衛門、渾身の「すし屋」。目に焼き付けたい舞台となった。

 六月大歌舞伎夜の部、初日。
 自由闊達な『義経千本桜』を観た。

 仁左衛門が芯となって目をとどかせるのは「木の実」「小金吾討死」「すし屋」。型を意識しつつ、とらわれすぎない仁左衛門の境地にうなった。

 「木の実」は、平維盛の行方を捜す妻の若葉の内侍(孝太郎)とその子六代君(種太郎)とお供を勤める家臣の小金吾(千之助)が、下市村の茶店で休んでいる。六代君の腹痛を起こしたため、茶屋の女実は権太の

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【追悼】無類の役者、四代目左團次のユーモアについて。

【追悼】無類の役者、四代目左團次のユーモアについて。

 代表作ではなく、口上から追悼を書き始めることをお許しいただきたい。
 襲名や追善の口上で、左團次さんが参加されると聞くやいなや、いったいどんな暴露話やブラックジョークの矢が放たれるか、楽しみでならなかった。

 なかでも、抱腹絶倒というよりは、一瞬凍るような気にさせるのが、左團次さんの真骨頂だった。八十助さんが十代目三津五郎襲名の席、私が聞いたのは、「金も女もわしゃいらぬ。せめても少し背がほしい

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十代目坂東三津五郎追悼文 2015年2月21日歿

十代目坂東三津五郎追悼文 2015年2月21日歿

 二月二十一日の夕方、新聞社から電話があり訃報を知ってから、しばらく呆然として何も手がつかなかった。こんな日が来るとは思わなかった。翌日になって青山のご自宅に弔問に伺い、最後のお別れをした。稽古場の舞台に横たわった三津五郎さんは、穏やかな顔で眠っているようだった。これからは、空の向こうで、好きな酒も煙草も存分に楽しめますね。話しかけたら、胸が詰まった。

 三津五郎さんから話を伺い、聞書きの本を二

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中村勘三郎追悼文 2012年12月5日歿

中村勘三郎追悼文 2012年12月5日歿

 歌舞伎を愛してやまない人だった。歌舞伎が演劇の中心にあることを、信じ続けた人だった。その願いを生涯を賭けて全力疾走で実現したにもかかわらず、急に病んで、そして逝った。

 五代目中村勘九郎は、天才的な子役として出発した。昭和四十四年、十三歳のとき父十七代目勘三郞と踊った『連獅子』で圧倒的な存在感を見せ頭角を現した。二十代前半には『船弁慶』『春興鏡獅子』と、祖父六代目尾上菊五郎ゆかりの演目を早くも

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【劇評284】技藝を追求する團十郎の弁慶。『勧進帳』で幸四郎と猿之助が襲名を盛り上げる。

【劇評284】技藝を追求する團十郎の弁慶。『勧進帳』で幸四郎と猿之助が襲名を盛り上げる。

気力体力が充実したところに、未来を見据えた技藝が宿る。

 さて、『勧進帳』である。
 新・團十郎の弁慶、幸四郎の富樫、猿之助の義経。意外なことにこの顔合わせは、はじめてである。

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【劇評201】海老蔵一年ぶりの演舞場公演。『毛抜』で家の藝を大らかに勤める。

【劇評201】海老蔵一年ぶりの演舞場公演。『毛抜』で家の藝を大らかに勤める。

 昨年の春、三か月の團十郎襲名興行が予定されていた。
 演劇界のだれもが今回のコロナ渦では、甚大な影響を受けているが、襲名が延期になってしまった海老蔵の心中を思うと実に切ないものがある。二○二○年のオリンピックに出場予定だったアスリートと海老蔵は、運命を狂わされたといっても過言ではない。さぞ無念だろう。

 昨年一月に同じ新橋演舞場で座頭を勤めた『新春歌舞伎公演』から一年。東京での公演は久し振りで

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新マガジン「天下無双 漢 海老蔵」を立ち上げるにあたって

新マガジン「天下無双 漢 海老蔵」を立ち上げるにあたって

新しいマガジンを立ち上げる。紹介のために、以下のような文章を書いた。

市川海老蔵が、不当な非難を受けていることを、残念に思います。役者は舞台がすべてです。海老蔵について書いた劇評を集めました。野性、暴力性、破天荒が評価されてきた海老蔵に、市民社会の陳腐な常識を押しつけても、私は意味がないと思います。スキャンダルは、歌舞伎役者の勲章です。

 海老蔵についてスキャンダルめいた報道がなされている。

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【劇評255】幸四郎、右近の愛情深き『荒川の佐吉』

【劇評255】幸四郎、右近の愛情深き『荒川の佐吉』

四月大歌舞伎、第二部は新作歌舞伎とめずらしい舞踊の狂言立てとなった。

 真山青果が大の苦手な私にとって、唯一、愛着が持てるのが『荒川の佐吉』である。
 この戯曲は、「運命は自らの手で切り開く」といったメッセージ性ばかりが立ってはいない。

 偶然から共に暮らすことになった男ふたりと幼子の愛情の深さが描かれている。血が繋がっているから家族なのではない。ともに、いたわり合う心があってこそ、家族なのだ

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【劇評249】仁左衛門の知盛。一世一代の哀しみ。

【劇評249】仁左衛門の知盛。一世一代の哀しみ。

 仁左衛門が一世一代で『義経千本桜』の「渡海屋」「大物浦」を勤めた。

 確か、仁左衛門は、『絵本合法衢』と『女殺油地獄』も、これきりで生涯演じないとする「一世一代」として上演している。まだまだ惜しいと思うが、役者にしかわからない辛さ、苦しさもあるのだろう。余力を残して、精一杯の舞台を観客の記憶に刻みたい、そんな思いが伝わってきた。

 さて、二月大歌舞伎、第二部は、『春調娘七草』で幕を開けた。梅

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