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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺

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2021年2月の記事一覧

三津五郎の墓参りに行って、ぼんやり考えたこと。

 入試の季節は、受験生の必死な思いとぶつかりあうことになる。  もっとも、二○一五年の二月二十一日からは、この慌ただしい日々に、新たな感慨が加わった。この日、十代目坂東三津五郎が、五十九歳の若さで亡くなった。このときの衝撃は、私にとって大きな意味を持つ。  先立つ三年前、三津五郎は盟友だった十八代目中村勘三郎を一二年十二月五日に亡くしている。このときの嘆きは、築地本願寺の本葬で、三津五郎が読んだ弔辞に凝縮されている。私としては、親しくしていたふたりが、こんなに早くあの世に行

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勘九郎と勘太郎が踊る『連獅子』によせて。泉鏡花の小説から。

 勘九郎と勘太郎が踊る『連獅子』は、親子ならではと思う。十八代目と勘九郎、十七代目と十八代目を観てきたけれど、中村屋ほど、親子で踊ることの愉悦を感じさせる『連獅子』はみつからない。  泉鏡花の小説に『朝湯』がある。  お能の世界を扱った小説を鏡花は、いくつも書いている。『歌行燈』は、久保田万太郎の巧みな劇化もあって、もっともよく知られている。『朝湯』もまた、お能の家で不始末をしでかした男と芸者の色恋を描いている。 もっとも、私の関心は、この芸者の旦那十内と、大先生の豆

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菊之助が造形する光秀の像はいかに。

 三月の国立劇場は、『時今也桔梗旗揚』で、四世南北の「明智光秀」を見せる。  昨年の三月は、菊之助が『義経千本桜』の三役、忠信、知盛、権太を演じる予定だった。コロナ渦のために急遽、中止となり、いち早く無観客配信されたのは記憶に新しい。  今年は、この『義経千本桜』に再挑戦するのかと思っていたが、『時今也桔梗旗揚』とは意表を突かれた。  近年の上演では、「馬盥」が中心となる。菊之助の演じる武智光秀が、馬を洗う盥で酒を呑まされ、過去の恥辱を明かされる。この春永(織田信長)の横暴に

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【劇評208】坂本昌行と安蘭けいによる緻密な台詞劇『オスロ』

 オスロ合意と聞いて、すぐに中東問題の画期的な事件と思う人も少ないだろう。  一九九三年九月十三日、イスラエルとパレスチナ解放戦機構(PLO)が、これまでの血で血を洗う闘いから、和平へと一歩踏み出した合意である。  憎しみの連鎖のなかにいた両者が、北欧のノルウェーを舞台に、社会学者のチリエ・ルー・ラーシェン(坂本昌行)とその妻で外務省職員モナ・エール(安蘭けい)が両者を結びつけるために尽力した過程を描いている。  『オスロ』(J.T.ロジャース作 小田島恒志・小田島則子翻

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藤田俊太郎への聞書きを再読して思うこと、いくつか

 今回、「権力と孤独 演出家蜷川幸雄の時代」を書き進めるために、2016年9月12日に藤田俊太郎さんと行ったインタビューを再録した。  五年も前の、しかも、全体を公開する前提ではない取材である。もちろん、掲載に関しては、藤田さんの了解を取ったが、彼は、別に事前に見せて下さいなどとの条件をつけなかった。  筋からいえば、藤田さんの所属事務所の舞プロモーションに事前の了解を取るべきだったのだろう。ただ、舞プロは藤田さんの師、蜷川幸雄さんの所属事務所でもあった。そのため私も浅か

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藤田俊太郎 師・蜷川幸雄の思い出。その6(完結編) 蜷川幸雄と女優。大竹しのぶとの葛藤。

長谷部 蜷川さんは、唐十郎さんとか清水邦夫さんには、かつて恩があると思っていました。劇作家は恵まれませんから、晩年は、ふたりの作品を、自分が演出し上演して、上演料が入るようにしなきゃいけないって思ってたのかな。 藤田 それは、公に言っていましたね。唐さんの作品、清水さんの作品をどんどん大きい劇場でやりたいって言ってましたね。立場が逆転しているとは、蜷川さんは言わないと思うんですけど、若い時に唐さんがいたから、清水さんが居たから、演劇人として生き残れたってことを返していってる

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【劇評207】十八代目勘三郎が勘九郎に乗り移った『連獅子』。十七代目勘三郎三十三回忌追善に見る藝の伝承。

 一見、関係ない話から始める。  二○○七年の三月、パリオペラ座で市川團十郎、市川海老蔵の歌舞伎公演があった。ふっとしたことで、パリの情報誌の案内を見たら「ICHIKAWA FAMILY DANCE COMPANY」と書かれていた。この公演は、市川團十郎家とその一門に、市川亀治郎(現・猿之助)が加わっている。初代段四郎は、初代團十郎家の門弟だったから、「FAMILY」と聞いて感じた違和感のほうが、歴史的にはおかしいのかもしれない。  なぜ、こんな話を思い出したかというと、二

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藤田俊太郎 師・蜷川幸雄の思い出。その5 俳優の力を真正面から問う。よい演出家の条件は、愛と怒りの強さか。

藤田 蜷川さんの場合、俳優に対する怒るパワーを持ってる愛の強さと同時に、これは素晴らしいことだと思うんですけど、愛と同じくらいの憎悪感というのも持っていたと思います。じゃなければ、いい仕事できないです。そういう蜷川さんがすごいなって思うのは、歓びと同時に反骨精神がある。自分を鼓舞する、マイナスを力に変えていくものすごい欲望がありましたね。もしかしたらその断られたってことすらも、力に変えていく才能をもっていた気がします。 長谷部 この間木場勝己さんに話を聞いたんだけど、蜷川さ

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藤田俊太郎 師・蜷川幸雄の思い出。その4 蜷川幸雄の怒りは、なぜ激烈だったのだろう。

長谷部 率直に言うと、「カリギュラ」とか「リチャード二世」は例外的で、やはり晩年になると舞台全体の力が落ちていったと思う。やっぱり、70代半ばくらい、2000年あたりの輝かしい舞台とは変わっていった気がする。自分が駄目な時は、わかる人だったと思います。 藤田 わかりますね。 長谷部 自分に厳しくて、作品の出来が、わかる人だったと思います。だから、辛かっただろうね。まわりにはそういう姿を見せなかったんでしょうか? 藤田 僕は渦中にいて一生懸命で、追いつくのに必死だったので

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【劇評206】仁左衛門と玉三郎。見交わす目と目の陶酔。

 番組が発表されたときから、舞台への思いは始まる。その期待が自分の予想どおりに満たされたとき、観客の満足は、いよいよ高まる。  二月大歌舞伎第二部は、二本とも仁左衛門と玉三郎の出演。特に『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』は、昭和四十六年六月に新橋演舞場で上演されてから、「お染の七役」として、ずっと当たりをとってきた「とっておき」の出し物である。  昭和の歌舞伎が懐かしい古老も、伝説の舞台をこの目で確かめておきたい若手にも期待された舞台だった。  今回は

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【劇評205】二月大歌舞伎。魁春、歌舞伎座で久し振りの『十種香』を出す。松緑、巳之助の『泥棒と若殿』

 二月大歌舞伎は、第一部『十種香』から。年表を見ても、松江から魁春となった平成十四年から今月まで、地方では出しているが、歌舞伎座で演じるのは、ずいぶん久し振りとなる。  前回との比較はさほど意味があるとは思えないが、父六代目歌右衛門の八重垣姫を写す姿勢は変わらない。ただ、型を写すことに徹して、自分を消し去る覚悟が見事で、派手さはないが、篤実な『十種香』となった。  花作り簑実は勝頼は、門之助。出から憂いに満ちて、この役は単に美男の役者をみるためにだけあるのではないとわかる

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野田秀樹の劇場 その5(完結編) 東京芸術劇場へ

 番外公演というのが適切かどうかわからないが、少人数のキャストによる作品を立て続けに発表した。『Right Eye』『農業少女』タイ版『赤鬼』の初演は、シアタートラム。『売り言葉』は、スパイラルホールで観た。  俳優としての野田秀樹を味わい尽くすには、こうした小空間がふさわしい。拡大を続けてきた野田が、いとおしむようにこの一群の作品をつくりはじめたのも、時代の趨勢だろうか。生きることではなく、死ぬことを主題とした作品群が、こうした劇場で生まれていった。    ロンドンやソウ

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藤田俊太郎 師・蜷川幸雄の思い出。その3 ゴールドシアターのプロンプとして学んだこと。稽古場で自分の居場所を見つける。

長谷部 稽古場の蜷川さんについて、僕は「グリークス」のときは毎日見てたから、そのくらいまではよくわかってるんだけど、やっぱり、ずっと批評家がいるわけにもいかないから、あんまり行かなくなって、そこから現場で起こっていることは、よくわからなくなっちゃったんだ。2000年周辺と、それ以降を比べると、もっと忙しくなったよね。作品数が増えたでしょう。 藤田 たまたまだと思うんですけど、蜷川さんはそれも頭にあったと思いますね。「このままじゃ助手の人数が少ないな」って。たくさんいたんです

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第五十五回紀伊國屋演劇賞と前川國男の建築。

 一年ぶりに紀伊國屋ホールの舞台に立った。  五十五回を迎えた紀伊國屋演劇賞は、無事、対面での審査を終えて、今日の贈賞式を迎えることができた。 「今年は無理かも知れない」  実は六月くらいの時点ではそう思っていた。ところが審査委員のひとり、紀伊國屋書店の高井会長の強い意見によって、今日を迎えた。長年の歴史を持ち、非商業的な演劇を称揚してきた演劇賞が、断絶なく続けられたのは、なによりうれしかった。  ところで、今年は輪番で、私が審査過程をみなさんに報告することになった。もちろ

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