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【劇評208】坂本昌行と安蘭けいによる緻密な台詞劇『オスロ』

 オスロ合意と聞いて、すぐに中東問題の画期的な事件と思う人も少ないだろう。

 一九九三年九月十三日、イスラエルとパレスチナ解放戦機構(PLO)が、これまでの血で血を洗う闘いから、和平へと一歩踏み出した合意である。
 憎しみの連鎖のなかにいた両者が、北欧のノルウェーを舞台に、社会学者のチリエ・ルー・ラーシェン(坂本昌行)とその妻で外務省職員モナ・エール(安蘭けい)が両者を結びつけるために尽力した過程を描いている。

 『オスロ』(J.T.ロジャース作 小田島恒志・小田島則子翻訳 上村聡史演出)は、ノルウェーの首都をその題名としている。事実を踏まえて、このふたりの苦心を描いたフィクションとして原作戯曲は巧みにドラマを仕上げている。こうした事実に基づいたフィクションは、歴史の学習にもなるが、一方、ドラマを盛り上げるための細部は、劇作家の想像力によって創作されている。学ぶのはもちろん大切だが、すべてを真実と思い込むのは、危険がある。
 
 この舞台に真実があるとすれば、現在の世界で全く信用を失った政治家という職業が、この当時も、思惑と私欲によって、動いていたという人間の業であろう。これはイスラエル側、PLO側の区別はない。

 ただ、人間と人間の対立を妥協を描いた台詞劇として、今回の舞台はよく演出されていた。主役の坂本は威圧的ではなく、両者の間に立って、辛抱強く事態を打開する学者をよく演じている。また、安蘭は、夫の理想、いや野望の実現のために、現実的な打開策を探していく官僚をプライドとともに演じている。

 このふたりが、難解な台詞劇を受け入れたために、大規模な公演が成立している。演劇は、スターのアウラをみるために観客は劇場へと足を運ぶのだと改めて思った。坂本は、北欧的な体躯ではないが、劇が進むにつれて、劇にしっくりとなじんでくる。ヨーロッパの中で、メインプレイヤーではなく、脇に回って存在感を示す北欧諸国のメンタリティーを感じさせた。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。