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尾上菊之助の春秋 その壱 春

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尾上菊之助さんの話題が中心のマガジンです。筆者の長谷部浩は、『菊之助の礼儀』(新潮社)を以前、書き下ろしました。だれもが認める実力者が取り組む歌舞伎、その真髄について書いていきま…
有料記事をランダムに投稿します。過去の講演など、未公開の原稿を含んでいます。アーカイヴが充実すると…
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#歌舞伎

【劇評220】菊之助の『春興鏡獅子』は、十年後、伝説の舞台となるだろう。

【劇評220】菊之助の『春興鏡獅子』は、十年後、伝説の舞台となるだろう。

 記憶に残る伝説の舞台が生まれるには、なんらかの必然が働いている。

 五月大歌舞伎は、三日に初日を開ける予定だったが、緊急事態宣言下にあったために、開幕が遅れた。宣言そのものは延長になったが、僥倖に恵まれ、また、関係者の懸命な努力があって、条件付きではあるものの、十二日から、公演が行われると決定した。

 例年五月の大歌舞伎は、團菊祭が行われてきた。
 今回は、その看板を掲げてはいないが、第三部

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歌舞伎に未来はあるか、断崖にいる私たちについて考えたこと。

歌舞伎に未来はあるか、断崖にいる私たちについて考えたこと。

 大阪では、医療が緊迫している。東京も明日はどうなるか、わからない。

 ロンドンやニューヨークの大劇場が、閉鎖を強いられているなかで、日本はかろうじて綱渡りのような公演を続けてきた。

 感染者数や死者が、加速度的な上昇にまで至らなかったこともある。また、GO TO TRAVELや五輪との整合性を取るために、移動や大規模公演を認めざるを得なかった政府の方針もあるのだろう。

 けれども、第四波が

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【劇評217】芝翫と菊之助と東蔵が、がっしと向かい合う時代物の真髄「太十」が見逃せない。

【劇評217】芝翫と菊之助と東蔵が、がっしと向かい合う時代物の真髄「太十」が見逃せない。

 「太十」と書いて、タイジュウと読む。

 はじめ人間浄瑠璃として上演されたとき、『絵本太功記』の十段目「尼ヶ崎閑居の段』として上演されたところから、この俗称がついた。
 ベートーベンでも「田園」「運命」「合唱付」などタイトルが付いている交響曲は、観客に愛される。
 時代物の傑作で、歌舞伎の主立った役柄を網羅しているところから、「菊畑」「新薄雪物語」などと同様、何年かに一度は、上演していかなければ

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【劇評209】芯のある時代物。菊之助渾身の『時今也桔梗旗揚』。

【劇評209】芯のある時代物。菊之助渾身の『時今也桔梗旗揚』。

 緊急事態宣言下にはあるが、関係者の努力によって、芯のある芝居が観られるようになった。

 今月の国立劇場は、歌舞伎名作入門と題した公演で、菊之助の『時今也桔梗旗揚(ときわいまききょうのはたあげ)』三幕がでた。多くは、「馬盥(ばだらい)」と「愛宕山」の場の上演だけれども、昭和五十八年、年吉右衛門が新橋演舞場で上演したとき、このふたつの場に先立つ「饗応」を復活した。

 四世鶴屋南北の時代物として知

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三津五郎の墓参りに行って、ぼんやり考えたこと。

三津五郎の墓参りに行って、ぼんやり考えたこと。

 入試の季節は、受験生の必死な思いとぶつかりあうことになる。
 もっとも、二○一五年の二月二十一日からは、この慌ただしい日々に、新たな感慨が加わった。この日、十代目坂東三津五郎が、五十九歳の若さで亡くなった。このときの衝撃は、私にとって大きな意味を持つ。

 先立つ三年前、三津五郎は盟友だった十八代目中村勘三郎を一二年十二月五日に亡くしている。このときの嘆きは、築地本願寺の本葬で、三津五郎が読んだ

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菊之助が造形する光秀の像はいかに。

菊之助が造形する光秀の像はいかに。

 三月の国立劇場は、『時今也桔梗旗揚』で、四世南北の「明智光秀」を見せる。
 昨年の三月は、菊之助が『義経千本桜』の三役、忠信、知盛、権太を演じる予定だった。コロナ渦のために急遽、中止となり、いち早く無観客配信されたのは記憶に新しい。
 今年は、この『義経千本桜』に再挑戦するのかと思っていたが、『時今也桔梗旗揚』とは意表を突かれた。
 近年の上演では、「馬盥」が中心となる。菊之助の演じる武智光秀が

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【劇評199】いつもの正月のように。なにも変わないことの貴重さ。菊五郎劇団の国立劇場。

【劇評199】いつもの正月のように。なにも変わないことの貴重さ。菊五郎劇団の国立劇場。

 いつものように正月が訪れる。初芝居に行く。繭玉を観る。それがどんなに貴重なことか。

 菊五郎劇団の国立劇場、正月興行は、復活狂言を上演してきた。
 長い間上演されなかった戯曲には、それなりの理由がある。脚本を整理し、演出をほどこす作業は、座頭である菊五郎の負担が大きい。
 平成一八年の十一月だったろうか、『菊五郎の色気』(文春新書)を書くために、菊五郎の楽屋を訪れた。眼鏡をかけた菊五郎は、書見

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新春歌舞伎の天気図。明日はきっと晴れ。

新春歌舞伎の天気図。明日はきっと晴れ。

 年末なので、今年の回顧を書こうかと思ったのだが、例年とは事情が異なる。悲しい気持ちになるのは必定で、こうした人災のような事態を招いた政府への恨み節となるやもしれない。

 そこで気分を変えて、正月の歌舞伎について書いてみる。

 浅草公会堂での花形歌舞伎は、早々に中止が発表された。東京での公演は、歌舞伎座、新橋演舞場、国立劇場の三座となる。

 まず、歌舞伎座から。なんといっても注目は、第二部。

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玉三郎と菊之助に何が起こったのか。伝承のさまざまなかたち。



 伝承には、さまざまな形がある。

 名だたる家に生まれた歌舞伎俳優にとっては、師匠であり、親でもある父との共演がまず、なにより先立つ。歌舞伎の配役は、なかなか一筋縄ではいかないが、一般に親は子を子役として使う。祖父の意見が大きく左右することもある。
 次第に長じてくると、立役の親は、子を女形として、自分の相手役として使う。音羽屋菊五郎家も、このやりかたで、菊之助を育てた。つまりは、菊五郎

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【劇評197】玉三郎が上代の神秘をまとって歌舞伎座に帰ってきた。

【劇評197】玉三郎が上代の神秘をまとって歌舞伎座に帰ってきた。

 玉三郎が帰ってきた。
 十二月大歌舞伎第四部『日本振袖始』は、初日から七日まで、菊之助の岩長姫実は八岐大蛇、彦三郎の素戔嗚尊、梅枝の稲田姫の代役でまですぐれた舞台を見せていた。
 八日の休演日をはさんで、玉三郎の岩長姫、菊之助の素戔嗚尊、梅枝の稲田姫という本来の配役で、ふたたび幕を開けた。

 九日の舞台を観て思った。
この『日本振袖始』は、源頼光や安倍晴明が登場する平安時代の怪異譚ではない。

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【劇評194】菊之助代役の『日本振袖始』。創世記の神話にふさわしいだけの大きさが備わっていた。

【劇評194】菊之助代役の『日本振袖始』。創世記の神話にふさわしいだけの大きさが備わっていた。

 コロナ渦の影響で、玉三郎から菊之助に替わった『日本振袖始』を観た。急な代役にもかかわらず、舞踊としての高い水準を保っている。

 幕が開くと深山の趣。甕が八基並び、上手には瀧。妖気漂う絵で、演出家としての玉三郎の美意識が緊張感を生む。

 まずは、梅枝の稲田姫の出がいい。村人たちに囲まれて生贄に捧げられる姫の純粋さ、哀れさが一瞬にして伝わってくる。澄み渡った心境、自己犠牲の哀れ。役がまとう雰囲気

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玉三郎の代役を菊之助が勤める。歌舞伎役者のたしなみについて考えた。

玉三郎の代役を菊之助が勤める。歌舞伎役者のたしなみについて考えた。

 歌舞伎役者の誇りは、急な代役が勤められるところにある。
 レパートリーシアターならではのプライドだが、めったに出ない演目、しかも一座に過去に勤めたことのある役者がいない場合は、いったい、だれから教えを受け、突発的な代役となるのか、昔から、疑問に思ってきた。

 今回、十二月の歌舞伎座第四部『日本振袖始』もまた、かなり例外的な代役となるのだろう。
 岩永姫を勤めるはずだった玉三郎が新型コロナウイル

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