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義母と夫と私と高島屋へ。いざ!


スープが冷めない距離に住んでいる義母。
料理が得意でもっと若い頃は働きながらも身体にいい料理を作ってくれた。
結婚をしてから毎週金曜日は2人で。だんだん増えて行く家族3人になり。4人になり。5人に。それでもずっと毎週金曜日は夕食を食べさせてもらい。ここが重要!食べさせてもらいというのは、私がほぼ手伝うこともなく食べに行くだけ。後片付けはしましたが。はるか前は義父も自宅にいて、事情があって実家にいる義姉も。結果的に3人家族のところに5人家族の私達一家が1週間に1回は、必ずと言っていいほど食べさせてもらいに。
とてもしっかりしているのに根ががとても優しい義母。いろいろ言うけれどこれまた根が優しい義父。時には外食にも連れて行ってくれて。共に働いていた義母に支払いまで。せめてとの思いからちょうど今の時期の土用の鰻を食べに行くときは私たちの方で支払うことにしていた。それは思い出せば年に1回のみだったけれど。2019年の夏までは続いていた。2020年の夏はコロナ禍でお店には行けないと判断して蒲焼を何枚か購入していたから。確か義母の方に2枚。外からの家族も増えたうちの方に5枚。その日はたまたま朝早めに注文してたのが2020年7月18日。そう。春馬くんがこの世界から居なくなってしまった日。鰻が嫌いになりそうだった日と note「2020年7月の出来事」には書きましたが。


今から数年前に義父が2回目の脳梗塞の為に入院、前と同じように続いてのリハビリ入院で頑張りましたが。自宅では生活できないとのことで退院後は有料老人ホームで生活することに。

1回目の脳梗塞のあとは軽めだったのとその後の入院を経てリハビリ病院でのリハビリをとても頑張ってくれたのと年齢がもう少し若かったこと。発見が早かったこと。浅めのお風呂に入ることが常だったのでその日のお湯も浅めで溺れなかったこと。発見の時はいつまでもお風呂からでてこないのを見に行った義母がでられないでもがいていたとすぐにうちに電話。近くなのですぐに走った。言葉がしどろもどろ。自分で立とうとするけど立てない様子。それを見て脳梗塞と判断してすぐに救急搬送。深夜なのに主治医の先生により検査。脳梗塞か脳出血かで対処が全く異なるので。結果、脳梗塞で対処していただきより良い状態に。それでもその後のリハビリ病院は必要。何回もあるリハビリの時間を頑張り過ごしてのしびれは残ったものの自立して在宅でも過ごせるように。杖にて外への散歩もしていた。在宅では食事は食卓椅子だけれど。普段過ごす部屋は座椅子。立ちにくいのを補助するスタンドアップという介護用品をつけたり玄関や玄関からの廊下にも手すりをつけたりお風呂にもそれなりのものを利用して在宅で自立して生活ができていた。デイサービスにも一日行くように。専門家の力を借りるのは大切。人によっては頑固なまでに自宅に入るヘルパーさんや外に行くデイサービスを嫌がる高齢者の方も見えるが。行けばそれなりにはにいいことがあるのでぜひ体験してみてほしい。でも嫌がる時点でもしかしたら認知症の症状がひっそりと潜んでいるときも。そんなときは専門家のケアマネージャーなどの力もお借りしてなんとかデイサービスにつなげてもらえたらと思う。家族だけの力での限界は目に見えている。私たちとは別居だったからもあるが。私たち夫婦は共に専門家の一人であったけど。万が一同居であっても。やはり毎日のこととなると家族以外の専門家の方々にお願いしたと思う。

家族だけでかかえていいことがあるのだろうか?とも思う。せっかく縁があって家族になった者同士が介護を経験することにより仲違いしてお互いを嫌いになって永久的なお別れに!ということもある。それを避けるために第三者にお願いできることはお願いするべき。配偶者を持たない男性は仕事にも支障が出て介護者を抱えてしまうと大変だと聞いたことがある。配偶者がいても今は働くひとが多い中、妻だけに頼るのは違っている。何か会ったときは助けるのは当たり前かもしれないけど。日常的には、やはり利用できるある社会資源を利用してその日その日が皆が少しずつでも幸せに過ごせるようにと願う。私がよく話すご家族の方は、自分の為にデイサービスに来ているのも勿論。家族のために来ていると自覚されている方も見える。それでもデイサービスを利用することにより同じ世代の方とお話できる楽しみも、何か違う楽しみもできる。体験してみないとわからない楽しさがある。なんと言っても日中一人になりがちなのに昼間デイサービスを利用することにより、頭の活性化にはなる。出かけるから身だしなみも整えるようになるし。しっかりした方も。少し認知症が出てきている方もそれなりに。もしかしたら利用者の中に気の合わない人もいることも。でも気の合う人もいる。ぜひこのnoteをみてどこかに行かせるのを迷っているご家族の方はまずご本人に体験してもらってくださいね!ただしデイサービスでもその人に合っているところと合っていないところもあることもあるので。大きい所がいいのか小さい所ががいいのか?よく事業所のことも調べてからですね。私のとても親しい友人が今は亡き舅の方が必要になっていてもなかなかデイサービスに行くことを嫌がり、それでもある日から渋々行くように。するところっと変わりこんな楽しいところならもっと早く行けばよかった!と言ったそうです。

義母のことを話そうと思ったのに。ついつい職業柄いろいろ話してしまいますね。


戻ります。今は有料老人ホームにて生活している義父。自宅にて義姉と二人暮らしだった義母。
今から半年ぐらい前歩いてた近くの八百屋さんに行く道中でいつもと違う少しなれない道を歩いたために転倒。大腿骨を骨折してその日のうちに手術。その後リハビリ病院に転院。結局退院して在宅生活になったのは6月中旬。
時々洗濯物の交換にリハビリ病院に行った時の歩き方(骨折する前も自宅では歩行器なしでは歩けず、外に買い物に行くときは孫つまり私の娘に買ってもらった老人車にて歩いていた。)は入院する前よりずっと早く安全に歩いているように思えた。高齢者が大腿骨を骨折して手術しても車椅子になる方が多い中もしかしたら前と同じように歩けるようになるなら在宅生活もできるかも?と思った。車椅子生活になると普通の家では住めないから。人の手もいるようになるし。
その時から言っていたこと。すぐ近くのタカシマヤが7月末に閉館するにあたり退院したらタカシマヤに行きたい!とずっと会員になっていてそこでもののいい服を買ったり、お中元、お歳暮などを静岡の実家近くの親戚に贈ることが当たり前になっていた。どちらにしても会員の退会などの手続きには行かないととは思っていた。

無事退院して20日経った頃。デイサービスを通してケアマネージャーから電話が入り「朝、お迎えに行ったら脱衣所のあたりでお母様が転んでいて起き上がれないとのことです!」土曜日だったからたまたまいた夫がすぐに向かうと結局転んでいて痛くて起き上がれないから救急搬送してもらった。とのこと。その時かもしれないけど今度は腰椎骨折とのことでした。今ままでも何回か自宅にて転ぶことはあり、いつかはたまたま転んでいた時に私が訪問した時は手伝って起きてもらうことも。夫がたまたま行った時にも。義姉が見つけて電話がかかってくることも。その時は骨折することはなかった。今回は結局日にち薬のような治療だけれど近くの病院に入院中。

私がnoteに書いた「2024年7月18日〜20日 春馬くん気配探し旅」から帰宅したばかりの23日に義母自ら外出届けを申し出てタカシマヤに行くことに。
確かに。旅行行く前に病院に顔を見に行ったとき「タカシマヤに行きたいから頑張ってリハビリするからお願いしますと先生に言ったよ」と私に報告していた。

それを聞いてタカシマヤが好きだし。どんな状況でもしようとする前向きさに感心するというよりそれを飛び越えて面白い!と思ってしまった前向きさ!誕生日は4月8日の牡羊座のO型。お釈迦様がお生まれになった日だからからどうだか。慈悲深い性格ではある。

腰椎骨折と言っても何回もどこも痛くない。とも言う。もしかしたら少しヒビが入ったぐらいの骨折なのかな〜?それともタカシマヤに行きたいがために痛くないと言っていたのかな〜?

真夏の移動なので一人では大変ということで私も一緒に行くことに。はっきり言ってきっと夫は一人では行ったことがないし、いつも義母をタカシマヤ横で置いて直ぐに車で走って行ってしまってたから。タカシマヤ駐車場の入れ方もどこの駐車場かも知らない。義母はカートというものがあれば一人でどこにも行ける。買い物好きで普段の八百屋の買い物も商品を選び2時間ぐらいいることは普通。義父がいた頃はその買い物に付き合って行き、私が買い物をしている時に遭遇すると私はさっさと買い物を済ませたい方なのにあっち行ってこっち行ってと少し振り回されるような義父と、振り回しているような義母を見たことがある。「お母さんちっとも帰らないやから」なんやかんや言いながら仲の良い夫婦だな〜とよく思った。ある日義父から電話で「なかなか帰ってこないから」と近くの八百屋に私が見に行くと老人車に載せれないくらいの買い物をして困っているので丸ごと乗せて家に送ったり。義母から直接載せれないからと電話がかってくることも。
ほんとに買い物大好きな方です。90歳過ぎた頃から買い物支援のヘルパーさんが週2回入ってくれて注文するときはチラシを隅々までみて、メモ用紙にメーカーの名前と商品名と値段をしっかり書いてお渡ししていた。ある日ヘルパーさんに「細かい房のしめじ」とか「下仁田のこんにゃく」ときいてあるのを私に質問されたことが。細かい房の〜は。たぶん細かい傘がたくさんあると料理に使いやすいかもしれない。とか下仁田こんにゃくと書いてなくても群馬県産なら下仁田かもしれないからそれかも?と助言したことがある。またある日義父に頼んで買ってきてもらったところに私が遭遇。野菜ジュースを見せたら「お父さん!カゴメの野菜ジュースなかったの?」と。私はせっかく買ってきてくれたから今日はこれでもいいよね。とたしなめた。とにかく買い物にこだわりがあり、また同じくらい大好き。

ある日はたまたま屋根を通して居間に落ちてきたホントはいけないかもしれないけど。雀の雛を可愛がっていた義父。義母は体格が良くて下のほうが見えなかったのか床を歩いていた雛の上になってしまい雛は天国へ。それをみて義父は泣いたとか。謝っていたけど。
またある日。は耳が遠くなってからはほとんど聞こえずいい補聴器をつけたが、それからも聞こえなくなり結局話す人の口をみて解読するようになるぐらい聞こえず。ある日行った時。器用な義父が糸電話を作って会話していた時はびっくりしたけど面白かった。仲の良い二人。

話しを戻します。夫の車を変えたばかりで少し前の車より低いとは思っていたけど。病院に車椅子を借りて車に乗せるとき台を使い左足は上がるけど右足が曲がらず。一人が身体を支え一人が足は曲がらないから体全体を持ってやなんとか寄せることが出きた。
私たち二人共専門家なのでできたけど。
他の仕事の人特に夫婦の一人は女性だからできたんだろうか?と思う。

出発してタカシマヤ近くの駐車場へ案内する。私は友人や娘や一人でも良く来ている。タカシマヤの中に春馬くん最後のお仕事『カネ恋』で玲子さんが食べていた紅谷の「クルミっ子」が売っていることを、知ってからより何回も来ていた。

今日は車椅子をトランクから出すのも初めて。ワンボックスカーのトランクを開けると上に当たりそうだがギリギリ当たらないように駐車場は作っているんだな〜と思う。入口の高さ規制の下であれば大丈夫なんだ!いつも私は軽自動車で移動しているから考えたこともなかった。車椅子をおろしても両側にすでに車があるから慎重に当たらないよう注意して介助した。降りるときもやはり一人では無理。二人で行って正解だった。

まず一番の目的!タカシマヤでのお中元を。でも残念なことに。この21日でお中元は終了していたとのこと。たまたま残っていた海苔やスープ数個がありそれに決めてもらった。でも耳が聞こえにくいので近くで大きな声で説明することに。送る相手はまた高齢の方なのでビール券や、商品を選ぶセレクト本ではたぶん無駄になるから商品の品物を送りたかったので。でも簡単にあけて飲めるスープやご飯と食べれる個包装の焼き海苔はいい選択だと思う。今回は選択の余地はなかったとはいえ。

その後長い間会員だったタカシマヤ友の会の退会届けの手続き。これにもいろいろなものが必要だったそうで、もう少しで退会手続き出来ない所だったけどなんとか。でもきっと超高齢者の一人暮らしの方ならそんな事も出来ずにいる人もいるんだろうな〜なんて想った。


同じ階と少し下の階でズボンをみるも試着ができないから見るだけで。
初めから言っていた御座候というタカシマヤに行ったときは必ず買ってきてくれる大判焼きのようなお菓子を買いに地階へ。いつ行っても10人以上は並んでもいる大人気のお店。中の餡子がずっしりと入って美味しい!ここは私の亡くなった母も大好きでよくお土産にもらった。母もタカシマヤは大好きでゆとりが出た頃から友達と待ち合わせてショッピングしたり上か近くでお昼ごはんを食べていたらしい。68歳という早い年齢で病気で亡くなったけど楽しい時間も沢山過ごしたと想う。

今日はいつもより行列が多いと思いながら並ぼうとするとずっと離れたところにまだまだたくさんの長い行列ができていた。義母は私たちだけでなく今入院している病院の看護師さんたちにお土産として30個ぐらい買おうと思ったていたらしいけど。そんなに時間がなくて買えないし。そんな生っぽいお菓子は悪くなりやすいから渡せないし。ちらっと聞くと2時間並ぶということなので。もうあきらめてもらった。一階に戻りたくさんあるお菓子の中から日にちの持つ個包装の美味しそうなクッキーを選び看護師さん用に渡してもらうことに。もう一つ大きいものがよかったけど、もうすぐ閉館するからか商品がそれしかなかった。それといつも私がお中元としてお渡ししていた両口屋のお菓子の一人用。義母が病院で食べる分だけ購入。その時点で11時30分。

義母の病院の昼食は断ってなかったからまた駐車場まで行く。

大きめの車椅子だから場所を取る。エレベーター内でも乗っている人の足に当たらないように注意して操作する。
駐車場では周りの車に当たらないように駐車場に車椅子を置き乗せようとするも、なかなか。出入り口近いところは確か1台は身障者用のスペースがあるように思うが。もう少し増やしてもらえたらとも思った。空いているだけではなく車椅子を横付けすることも多く、横幅が必要だから枠の太さが一緒だと横の車との距離が近すぎて危険。私たち2人は車椅子操作を何回もしたことかあるからできるけど、この仕事をしたことのない人は大変だと思った。


買いたかった御座候(大判焼き)は変えなかったけど手続きはできたしタカシマヤにも行けた。真夏で大変だったけど。お中元が終わってたから中にも入れるゆとりがあったんだと思う。

私が一人で行くとさっと行ってすぐに帰ってこれるように思っていたけど。やはり車椅子に乗る人がいると全く目線が変わって大変な所が見えてくる。今回はそんな勉強をさせてもらったように思った。

タカシマヤが7月31日で閉館。私の県からは百貨店というものがなくなってしまう。一階にあった各地域の選りすぐりのお菓子の中にあった紅谷の「クルミっ子」もすぐには買えなくなる。ネットでしか買えなくなるかな?
タカシマヤの跡地は残るからそのままというわけには行かないから。
例えばはるか昔、織田信長が作った楽市楽座があった歴史や、高い山の上にお城を築いたことやその下を清流が流れていて今でも鵜飼をしたり花火が美しいこと。市内には特に大きな工場などもなく、空気も水もきれいだと思うから。
どこかの大富豪がタカシマヤの跡地を上階はマンションや高齢者向け介護付き住宅にしたり、下の方二階ぐらいに若者が好きそうなニトリやユニクロやイケヤなどを。一番下にタカシマヤの一部にあったような全国各地のお取り寄せ名産品などのお菓子や食べ物を並べ、地元の野菜などもブランド化しておいたりして建て替えてくれるような大富豪の方が力を貸してくれないだろうか?と真剣に思っています。

今でも第三日曜日にあるサンデービルヂングマーケットでは一度行ったことがあるけれどどこから来たのかと思うほど人が大勢集まっていた。これからも続いていってほしい。


タカシマヤをずっと大好きな義母にとってはなくなってしまうことはさびしいけれど、入院していてもタカシマヤに行きたいがために、リハビリ頑張るから外出させてください。と言ってまで行けたことは最善を尽くしたことだと思う。


昨日の新聞に載っていた料理家の方の言葉に励まされた。昨年の夏大腿骨を折ってしまわれたあとにリハビリして今82歳の料理家の方の今の夢は昼間だけ開店する「村上食堂」とか。一人暮らしだからおしゃべりしながらランチを食べていただくお店。この方は料理番組でみたことはある。この方なら実現できる気がする。私はこれからも春馬くんの気配探し旅で上京するからそんなとき開店していたらぜひ食べに行きたいと思っている。
新聞だから写真載せていいかしら?

夢は村上食堂を開くこと!


今92歳の義母はまだこれからリハビリ入院することになる。その後はどうなるか歩行器で歩ければ在宅生活もできると思う。体力をつけてタカシマヤのためにリハビリ頑張る!と言って実現したんだから家で暮らすために頑張ってほしい。それがむりならむりでまた違うより良い道を考えればいいことだよね。
でもたぶんどこに行っても小さいことにも喜びを見つけて前向きに楽しく暮らせるように想う。有料老人ホームで暮らす義父は今年8月には94歳。実は私の亡くなった父も母も、生きていれば今年94歳、92歳。それぞれが同い年だった。生きていればこんな感じかな?なんて時々想う。私の両親は普通より少し寿命が短い気もするけれど。一日一日を思い残すことなく生きていたように想う。長さではなく一日一日を大切に生きていくことのほうが大切な気もする。長さは神様に任せて。ということで。

村上食堂に行ける日も楽しみに!春馬くんの気配探しも楽しみに!
また日常の家や職場でも日々の楽しいこと見つけを頑張ります🌸🐎









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