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【モノローグエッセイ】名前に関するあれこれ。パート②吾輩は猫である。名前は3つもある。


☆猫は犬にあらず。

※当エッセイには、一部ネタバレに関わる要素も含まれるので、ご注意ください。
※また、これはあくまで一個人の考察です。

パート①で、「犬王」と「千と千尋の神隠し」から「名前」の劇中描写について考察をし、
「名前」を「本当の自分」「真のアイデンティティ」を表すものとして考えると、どのような意義が生まれるかについて、さらに考察を展開してみた。

ちなみに、パート①はこちら。これ読んでからこの記事読んでいただいた方がよりわかりやすいかも。

パート①で色々考えに耽っている途中、あれ、ミュージカルでも名前を重要視してるのあったなぁと考えが移った。

ミュージカルで名前がフォーカスされているものとして私の頭に浮かんだのは、






CATS

にゃーん。ฅ^•ω•^ฅ
A.L.ウェーバーの代表作のひとつ。映画化もされました。この「CATS」劇中の、「Naming of Cats」というナンバーで、猫には3つの名前があるという紹介をしている。


Naming of Cats

The naming of cats is a difficult matter
It isn't just one of your holiday games
You may think at first I'm as mad as a hatter
When I tell you a cat must have three different names

猫に名前をつけることは難しい問題である。
休日の暇つぶしのひとつではない。
あなたはきっと私が帽子屋のように狂ったと思うだろう
私が「猫には3つの違う名前を持たなければならない」と言ったら。

(劇団四季版歌詞)
猫に名前付けるのは
とても難しいことなのです
信じられないかもしれないけれど
猫には3つの名前がある

First of all, there's the name that the family use daily
Such as Peter, Augustus, Alonzo or James
Such as Victor or Jonathan, George or Bill Bailey
All of them sensible, everyday names 

まず、毎日家族が使う名前がある。
ピーター、オーガスタス、アロンゾまたはジェームズだったり、ヴィクター、ジョナサン、ジョージ、ビル、ベイリーだったり。
全て実用的で、日常的な名前である。

(劇団四季版歌詞)
まずは普通に使われる名前
あなたが気楽につける名前
ピーター ジェームス フランク トム
平凡すぎてつまらない

There are fancier names if you think they sound sweeter
Some for the gentlemen, some for the dames
Such as Plato, Admetus, Electra, Demeter
But all of them sensible everyday names 

もっと甘美な響きをお好みなら、より幻想的な名前がある。
紳士のためのものもあれば、淑女のためのものもある。
プラトン、アドメトス、エレクトラ、ディミータなど。
しかし、これらも実用的で日常的な名前である。

(劇団四季版歌詞)
もっと素敵な名前もある
貴族的にこってみると
クレオパトラ メディア エリザベス シーザー
これもやっぱり平凡です

But I tell you a cat needs a name that's particular
A name that's peculiar, and more dignified
Else how can he keep up his tail perpendicular
Or spread out his whiskers, or cherish his pride? 

しかし、猫には特別な名前が必要なんです。
独特で威厳のある名前。
そうでなければ、どうやって彼はまっすぐに尻尾を保つことが、彼のひげを広げ、彼の誇りを大切にすることができようか?

(劇団四季版歌詞)
猫は独特な名前を求めている
もっと威厳のある名前を
誇り高くいられるために
顔を上げて生きるために

Of names of this kind, I can give you a quorum
Such as Munkustrap, Quaxo or Coricopat
Such as Bombalurina, or else Jellylorum
Names that never belong to more than one cat 

この種の名前の中から、私はこんなものをあなたにあげることができる。
マンカストラップ、クォクソ、コリコパットや、ボンバルリーナ、ジェリーロラムなど。
どの猫も決してつけたことのない名前だ。

(劇団四季版歌詞)
こうした名前もあげておこう
マンカストラップ コリコパット ボンバルリーナ ジェリーロラム
少し個性が出てきたけれど

But above and beyond there's still one name left over
And that is the name that you never will guess
The name that no human research can discover
But the at himself knows, and will never confess 

しかしその上にも、そのまだ先にもひとつの名前が残っている。
そしてその名前をあなたは決して予測できない。
人間には見つけることができない名前。
しかし、彼らは知っている、決して告白することはない。

(劇団四季版歌詞)
本当の名前は残されたままなのだ
最高の名前はかくされたままなのだ
人間にはこの名は見つけられない
人間の能力では発見できない
猫は知っている告白はしないが

When you notice a cat in profound meditation
The reason, I tell you, is always the same
His mind is engaged in a rapt contemplation
Of the thought
Of the thought
Of the thought
Of his name 
His ineffable, effable, effanineffable
Deep, and inscrutable, singular name 

深く瞑想している猫に気付いたら
その理由は、いつも同じである
彼の心はうっとりと考えている。
その考えとは
その考えとは
その考えとは
名前について
彼の言葉では言い表せない
深く不可解な唯一の名前について

(劇団四季版歌詞)
瞑想している猫がいたら
その理由はみんな同じ
深い想いに沈みながら
猫の心はその名を思う
いうに言えない一つのその名を
はかりしれない唯一のその名を
その名 その名


というのが歌詞の全容である。

「名前」を「本当の自分」を表すアイコンとして見たら…という考えを持ってからこの歌詞を見ると、実に興味深い歌詞に見えた。

この歌詞に出てくる名前をパート①で述べたように「本当の自分」と「社会で生きるための自分」などの分類に分けてみよう。

また、猫には3つの名前がある、とあるので、A、B、Cの3グループにも分ける。
A<B<Cの順で、私的にはレベルが上がっていくイメージ。

【A】ピーター、オーガスタスなどの実用的で日常的な名前→ 親が名付けた最初の自分(本来の自分の部類に入るが、自分で望む名前ではないので、サブ的な本来の自分)

【A】エレクトラ、ディミータなどのお洒落で貴族っぽいが、実用的で日常的な名前→自分の望みも入っている名前だが、まだまだありふれていてただ一人ではないサブ的な本来の自分
これは私にしかないものじゃない?!と思ったアイデアが、既に他の人も思いついていたありふれたアイデアだったみたいな。
(↑NARUTO分かる人に説明するなら、風遁・螺旋手裏剣の存在が発覚した時の螺旋丸的ポジション。)

【B】マンカストラップ コリコパット ボンバルリーナ ジェリーロラムなどの独特で威厳のある名前→本来の自分に最も近く、個性的で、誇り高く生きることの出来る自分。つまりは、ジェリクルキャッツ(人間に飼い馴らされることを拒否して、逆境に負けずしたたかに生き抜き、自らの人生を謳歌する強い心と無限の個性、行動力を持つ猫)
しかし、この自分もまだ完全体ではない。

【C】人間の能力で見つけることの出来ない、猫だけが知っている最高の名前→唯一無二の本当の自分


という分類が出来るのではないかと思う。

と、すると、あのジェリクル舞踏会で踊ってる猫の方々は、
B段階にいる猫、つまり、本来の自分に近づきつつある個性的で誇り高く生きようとしているジェリクルキャッツで、
C段階、つまり唯一無二の自分、つまり最も純粋なジェリクルキャッツになるべく自己を表現しているのがジェリクル舞踏会という場であると考えられる。

そのジェリクル舞踏会で最も純粋なジェリクルキャッツに選ばれ、天上に上り新しいジェリクルの命を得るが許されたのが、娼婦猫 グリザベラであるということは、グリザベラはC段階に到達でき、唯一無二の本当の自分を見つけることができた、ということである。(私的には、グリザベラは唯一無二の本当の自分を「取り戻した」、誇りを取り戻したのではないかなぁと考えている。)


ちなみに、CATSの劇中で、「表面的な仮の自分」として表現されているのは、「」であると私は考える。(犬派と喧嘩が起きそうだけど(苦笑)🐶)

これは、劇中の最後で歌われる、「The Ad-Dressing of Cats」の歌詞にその意図を感じるフレーズがいくつか出てくる。
最近のCDバージョンだとカットされている部分らしい。

The Ad-Dressing of Cats

So first, your memory I'll jog
And say: A cat is not a dog
Now dogs pretend they like to fight they often bark nor seldom bite
But yet a dog is on the whole what you would call a simple soul
The usual dog about the town is much inclined to play the clown
And far from showing too much pride is frequently undignified
He's such an easy-going lout
He'll answer any hail or shout!
The usual dog about the town is inclined to play the clown
Again I must remind you that:
A dog's a dog, a cat's a cat


まず、覚えておいてください
猫は犬ではない
犬は喧嘩が好きなフリをして吠える
しかし犬は噛み付いたりしない
簡単に言えば単純なヤツ
街の犬は道化を演じていて
誇りを持ち合わせておらず
みっともない
呑気な田舎者
誰にでもこたえる
街の犬は道化を演じている
もう一度言う、忘れないで
犬は犬、猫は猫

犬派よ、どうか怒るなかれ。

CATS劇中内での「犬」とは、本当に表面的で誇りの欠片もないペラッペラな存在であると長老猫さんは言っている。つまりは、本来の自分、自らのアイデンティティすらも持っていない存在であると表現されているのではと考える。

そして同時に、この歌の中で観客である「人間」たちに、

You've learned enough to take the view 
よくわかったでしょう
That cats are very much like you 
猫たちはあなたたち人間ととても似ている

と、最後の挨拶がわりに言っている。
この曲で言っていることがCATSで一番伝えたいことなんじゃないかなあと私的には思っている。
猫の生き方は人間の生き方と同じで、私たち猫と人間は似たもの同士である、だから犬みたいな表面的で誇りを忘れるような存在になるなよ〜猫は大事にしろよな、とジェリクルキャッツたちは思っているのではないだろうか。
猫たちが思ってる段階レベルは、犬<人間≦猫なのかなと。
だから、猫の3つめの名前は人間の能力では見つけることができないし、猫と話す時はこういうこと守ってねぇ〜じゃないと退いちゃうぞ的なことを「The Ad-Dressing of Cats」の中でも言っている。

総じて考えると、CATSは「唯一無二の本当の自分・個性」を持って誇り高く生きることを私達に伝えているのかもしれない。そしてそれは一度落ちぶれてしまったグリザべラのような存在でもやり直すことはできると。知らんけど。

パート①で扱った「犬王」「千と千尋の神隠し」も含めて考えると、これらの作品の「名前」というものを使った劇中描写は、「自分自身」「自己のアイデンティティ」のための重要なファクターをなのかもしれない。知らんけど。←

これは、私の体験談なのだが、以前舞台でご一緒した方から、役の名前についてその由来を調べると、そこから役のヒントを得ることが出来るという話を聴いたことがあり、これが調べてみるとマジで?!っていう発見があり面白くて、私も役づくりをする時のヒントとしてよく調べたり、考えたりしている。

皆さまもミュージカルや小説などの登場人物の「名前」に注目してみては?
その登場人物はその「名」の通りの人物なのかもしれない。



【ハシモトユキコ各種SNS/Youtube】

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