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四柱推命・第二宿命を紐解く〜さっちゃんへの手紙〜

「全部食べられなくてもいいんだよ。残しちゃってもいいんだよ。」

入学して初めての給食。
色が細くて、食べるのも遅かったわたしは、クラスのみんなが給食を食べ終えて机を後ろに下げていく中、給食を食べきれなくて、泣きべそをかいていた。
これ以上食べたくないと思いながら、もはや味もわからない、ぼそぼそとしたお赤飯を泣きながら食べていた。そんなわたしに、優しく声をかけてくれたのが、さっちゃんだった。
そして、一緒にお盆を片付けてくれた。あの日のことをわたしは今でもはっきり覚えている。

最初は人見知りで、名前を呼ばれただけで泣き出すような子供だった。そんなこともあったわたしも、学校という環境に慣れてくるとその生活を楽しめるようになっていった。
何より、ありがたいことに、わたしは本当に友達に恵まれていた。

さっちゃんとは、家族ぐるみで縁があり、母が病気がちであまり家にいなかったわたしを色々な面で助けてくれた。
夏休みや冬休みになると、引っ越してしまったさっちゃんの家に、何週間もお泊まりした。そのうち、さっちゃんのお母さんは、わたしに、さっちゃんとお揃いでお茶碗とお箸と湯呑みを買ってくれた。
さっちゃんのお母さんは、料理がとても上手だった。我が家では食べたことのないメニューも多かった。決して気取った料理ではなかったが、あたたかい、優しい味がした。

そして、今や二児の母となったさっちゃんの作る料理も、あの時の味をしっかり引き継いでいる。さっちゃんの子供達が羨ましい。

さっちゃんとの思い出。
初めて飲んだ、粉を溶かして作る冷たくて甘いレモンティー。
魚類の学者だったさっちゃんのお父さんの飼っていた熱帯魚。
カヌーに乗ったこと、部屋にテントをはってお泊まりしたこと、お人形の洋服を作ったり、物語を書いて演じて遊んだこと。
そして、引っ越して離れ離れになっても10年近く手紙や交換日記をしたこと。
こうしてさっちゃんとの思い出を一つ一つ取り出していくと、今でもちゃんとカラーで思い出せる。
なんなら、当時の感情や、匂いや、味とともに。

出会いから30年以上、今、彼女は旦那さんの仕事の関係で、家族とともにシンガポールにいる。
お互い、それぞれの生活で忙しく、連絡の頻度や会う回数こそ減ったが、交流は続いている。


四柱推命の、鑑定書の中には、大運という10年ごとの自分を取り巻く社会運を表す表がある。その表の2段目に『第二宿命』と言われる人生全体に関わり、その人の人生の大きなテーマになっている部分がある。

わたしの場合、第二宿命は、4歳から14歳で己卯・印綬・胎だ。
だから、この時期のわたしの思い出や、その時の感情を思い出してみた。

己卯は春の大地で、教えること、育むことがイメージできる干支。
印綬は、学び、教えることや母親との関係を表し、胎は色々なことに興味を持ち、自分の感覚に敏感という性質がある。そこには、宇宙と繋がっている感覚を持ち合わせていると言われている。


こうやって、自分の第二宿命をその頃の年齢の思い出や感情と共に見つめているとこれから望む自分の人生へのヒントに気づいていける。

胎の感性を活かしながら、四柱推命を使って、『その人の本当の純粋な自分や本質』をお伝えしたり、教え広めること。
文章、言葉、声を通して、メッセージを伝え表現していくこと。


小さい頃のわたしとさっちゃんと共に、わたしの第二宿命を見つめ直した。
そんな、いつもより少し早く起きた朝だ。



晴海たお



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