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旧年の追想と、新年の展望。

2023年を迎えて、10日弱。
これから僕は新たな場所での仕事と生活が始まる。

2022年は仙台で。そして2023年は島根県の離島、海士町で迎えることになる。

船酔いの中、海士町へ向かう。始まりを予感させる灯だ。

振り返りシーズンも過ぎてしまったが、流行に乗らず、自分の流れで振り返りと展望を楽しんでいきたいので、読んでいただければ幸いである。

意義を見出せぬまま、新卒入社した会社を半年で退職

2022年1月から8月まで、インターンを含めて8カ月、会社員として働いていた。

「会社の業務を効率化する」という、昨今のDXやAIと言った、「効率化」ブームに乗っかった業務であった。

「しっかりやり切れば『市場社会』には評価されるんだろうな」

とは思っていた。一方で、

「それをやり切ることが、自分の人生で本当に意味があるのか?」

とも悩んでいた。

結局、職場や職場の人間関係に悩み、「この会社の人に役に立ちたい」と思えなくなってしまったため、8月末で退職することになった。

この時に考えていたのは、

「自分の人生の主導権を、他人や観念に握らせてしまっていいのか?」

ということだった。

AI、DXと言った、デジタル系の技術が今後急速に発達していくであろう。
技術を身に着け、人と協働するコミュニケーション能力があれば、おそらく若いうちにIT業界に入っておけば何とかなる。

その考えの元、デジタル化の恩恵を受けて甘い汁を吸って飯を食べるだけでいいのか?

もっと根本的な、
「自分とは何なのか?」「自分は何に関心が向くのか?」「人間の本質とは何か?」

という命題に向き合おうと決めて、常々興味があった「地方」を巡る旅を始めた。

「本当の自分」なんて理解されるはずがない

9月中旬から10月中旬まで、地方で短期バイトやボランティアをしたり、会いたい人に会ったり、行きたいところに行った。

福岡県糸島市の立石山の頂上から。美しい夕日に魅了され、涙が零れ落ちた。

今までやったことのない接客業や農業、リノベーションを体験した。

接客業はアウトドアのエンターテイメントの接客だったため、目の前でお客様が反応を示してくれるのでやっていて楽しかった。

一方で、ここでも職場の人でうまく行かないこともあり、「何でうまくいかないんだろう?」と思っていたのだが、気づいたことがある。

「『怒られない自分』なんていないし、『怒られないこと』は理想の自分とは限らないし、『本当の自分』なんて理解されるはずがない」

ということだ。

むしろ自分は怒られやすい人間だと思ったし、「怒られないようにしよう」と考えて生きるのがもったいないとさえ思った。

また、「『本当の自分』を理解されたい」という欲求もどこか消えていた。

逆に「『相手のことを知りたい、本音を知りたい』と純粋に思えているのだろうか?」と問われれば、思えていない、と回答するだろう。

相手に求めるだけの人間でしかない自分が、「本当の自分」を分かってもらいたい、と思うのは傲慢だ。

知りたくないわけではないのだが、相手の事はなんとなく知っていれば大丈夫なんじゃないか?と思う。

もっと極端に言えば、「目の前の人に、あまり興味がない」のである。


一般的に、他者に興味がある、他者と良好な人間関係を持っている人の方が、幸福度は高い。

けれど、僕は思う。「他者に興味はない方だけど、人とは繋がってはいたい」という人間が一定数いる、と。

勝手なイメージだが、経済学者の成田さんとかはそんなイメージである。

僕はたった1人の、自分だけのために生きていく人生が幸せだとは思っていない。

けれど、今後仕事をしていく上で、「人と直接コミュニケーションをして価値提供すること」はおそらく向いていない。

だから、人に直接価値を提供するのではなく、身体を使った、一次産業系の仕事をする方が向いているのではないか、と思ったのである。

黙々と作業し、1日1日自然と触れあい、適度なコミュニケーションをする。
ちゃんと求められたことをやり切り、仕事に勤しむ。

それだけで飯を食えると思えれば、別によいのではないか。

そんな気づきを10月のボランティアで得たのである。

「絶対にやり切る」。目標に向かってひたすら作業に勤しむ。

農具の使い方を楽しめば、退屈を凌げる

12月中旬から1月上旬までは、山口県の俵山ビレッジというところに滞在していた。一度ボランティアで訪れた場所を、もっと長期で入ってみたいと思い、2度目の参加だった。

ここは、エコビレッジを構想している場所で、空き家改修や畑作業を中心に作業を行った。

作業前、手前の岩が置いてある場所をひたすら掘っていく。

畑を整備して、車を通れるようにする。

ミッションとしては、簡単なことだが、体力的にはキツイと言われる作業であろう。

やり始めは「これ本当に終わるのだろうか、、、」と途方に暮れていた。
ところが、黙々と作業するうちに農具の使い方、身体の使い方を探究できる面白さに気づき、気づくと2時間作業していた、ということもあった。

自然の中で、1人で音楽を聴きながら作業する。作業前と作業後の明確な変化が視覚で分かるので、1日の終わりに達成感を感じられてよかった。

最終的に、整備が終わった日に代表の方から「すごいねじゅんくん!すごい」と言ってもらえたので嬉しかった。

これは僕にとっては、初めてと言える「やり切る経験」であった。

ほぼ1人で作業。1個1個の動作がトレーニングであり、身体の探究と思えた。

憧れがあった空間デザインもやり切れた

もう1つ取り組んだのは、部屋のリノベーション、DIYである。

既に部屋として成立していたのだが、どこか殺風景な印象を受けた。

リノベーションを担当している住人から、「押入れ収納をリメイクしてみない?」と声をかけてもらい、取り組むことになった。

リメイク前の押入れ。奥行きが広く、デッドスペースになっていた。

始めて丸鋸を使ったり、斜めに木材を切ったり、スペースのイメージを考えたり。

計画から実行まで、ついてくれた人の手を借りながらリメイクに取り組んだ。

塗装もしたかったので、養生テープを貼るところから始まる。これだけで1日が過ぎてしまうほどに効率は悪かったが、作業に勤しむ日々を過ごした。

塗装し、養生テープをはがし、フェイクシートを床に貼った後はこんな感じ。

そこから木材を切っていくのが本当に大変だった。

壁が斜めになっているので、寸法を合わせるのが本当に難しかった。

長さが合わないときはフリーハンドで丸鋸で切って、調整するのを繰り返した。

試行錯誤で、手探りで進める。その速度を速めていくことで、段々自分の構想を具現化できていることに自信がついてきた

すのこと棚、作業場を製作。電球の色は暖色系にこだわった。

最終的には写真のようになり、作業に没頭できるような色合い、外観になったと思う。

「やってみたいな、できたらいいな」と頭の片隅程度に入っていたやりたいこと。

思わぬ形でチャレンジでき、憧れのDIYも「ちゃんとやり切った」と思えた。

※興味がある人はこちらを見てみてください^^

インスピレーションをもらった言葉たち。

「正直」から「誠実」へ

充実していたのは身体を使って作業することだけでなく、住人やゲストとの対話の時間にも充実した学びがあった。

特に印象深かったのは、以下の2つである。

①の「正直から誠実へ」とは、7つの習慣で紹介されている概念である。

誠実さは正直という概念を含んでいるが、それを超えるものである。「正直」とは真実を語ることである。つまり、言葉を現実に合わせることである。それに対して「誠実さ」とは、現実を言葉に合わせることである。

スティーブン・R・コヴィー

僕は結構正直者で、不満があったときは正直に言うことがある。言葉を選んではいるが、受け手には、「それって私のせいってこと?」と受け取らせてしまうことが多い。

それで結構悩んでいたのだが、この概念が話題に出てきて、よく腑に落ちた。

目の間の状況、相手に対して、「~がない」と認識したことを、「~してくれなかった/~をしてほしかった」と伝えることしかできていなかったのである。

それは、まさに現実を自分の都合良いように解釈して言葉をそのまま発しているだけである。

僕にはまだまだ程遠いけれど、言葉を現実に合わせる、すなわち、適切な言葉、表現をして言葉を相手に伝えることができるようになりたいな、と思った。

卓越すること。自分の想いを、相手の想いと一致させること。

②の卓越すること、については、「成長って何?」という話題で皆で対話した時に出てきた。

代表の人は、「成長 ➡ 成熟 ➡ 卓越」という段階について話していて、「卓越」をこう捉えていた。

より端的に言えば、リーダーシップがある、ということかもしれない。

リーダーシップの旅』には、「リーダーシップとは、『目には見えないこと』を観る力」と書かれている。

今目の前には見えていないものを、相手に見えるようにすること。その形式や構想、感情を相手と一致させることなのだ、と思った。

僕は今回の2度目のボランティアでこの2つの言葉の概念に触れたことが大きく、2023年の2大テーマになると予感した。

2023年の2大テーマ。

自然と身体性の感覚を受け取り、誠実に表現を卓越させる。

「正直から誠実へ」も、「卓越」も、人とのコミュニケーションだけに限らないと僕は思っている。

より広く考えれば、モノでも自然に対しても誠実であれるし、言語がなくとも何かを感じ取ることはできる。

自然であれば、木や葉の状態から。

スポーツであればボールや道具。パルクールであれば目の前の障害物。

仕事でも、斧や鍬、チェーンソー。地面やそれに反応する身体から。

抽象度を上げれば、「目の間の対象に対するイメージを、対象に合わせて表現すること」と言える。

イメージとは、自分の内面で湧いてくる感情、思考、直感、身体感覚等から来るイメージを想定している。

受け取る感覚を研ぎ澄まし、知恵を身に着け、表現する方法を持っていれば、誠実に向き合えると思っている。

だから学び、動く。手足を動かして、受け取る。

「今自分が取り組んでいることに、どんなことが受け取れるだろうか?」
「目の前の人やモノや植物が、どんな想いや期待があるのだろうか?それにどのように繋げて表現できるだろうか?」

を考え続ける。

僕はバレーボールが好きで『ハイキュー!!』も好きなのだが、特に青葉城西の及川が影山に言ったセリフが好きだ。

お前は考えたの?チビちゃんが欲しいトスに100%応えているか 応える努力をしたのか 勘違いするな攻撃の主導権を握ってるのはお前じゃなくチビちゃんだ それを理解できないならお前は独裁の王様に逆戻りだね

これはセッターのトスの話だが、「自分の想いを相手の想いに一致させる」という点で敷衍して考えてみれば当てはまることが多い。

対象が人間でなくて植物だったとしても、仕事を通じてまず経験してみて、頭でも身体でもちゃんと学ぶことが大切なんだと思う。

その過程を経て、役割を尽くすこと。これが2023年の目標の1つだ。

そうしないと、目の前の事をちゃんと受け取れなくなり、退屈するのだろう。

退屈とは、受け取れることがない、受け取りたいと思えない、という感覚を含んでいる。

なんでも「ないない」と嘆くだけなのはもったいない。

「ある」から始めること。それが誠実であることに繋がっていく。

退屈の反対は没頭である。

没頭は、スポンジのように吸収することだ。吸収できる、と思える心の状態があることだ。

島では、特に自然環境を真摯に受け止め、実践知を身に着けていきたい。

あらゆる対象に対して卓越する

僕は卓越する。「卓越したい」じゃきっと実現しないから、断言する。

概念の提唱、仕事、生活、バレーボール、パルクール、自然、、、。

概念であれば、「確かに言われてみれば!」とか、「うすうす思っていたことが言語化されてスッキリした!」と言われるような概念を。

仕事であれば、まさに自分の想いを目の前の人、自然が望む理想に昇華させられる成果を。

生活であれば、期待を超えるような旨味が凝縮した料理を。

バレーボールであれば、チームメイトが求めるトスやレシーブ、次のプレーに移しやすいところにボールを繋ぐことを。

パルクールであれば、並んだ障害物から受け取るイメージを、他者から見て面白そう、やってみたいと思える動きを。

自然環境であれば、知識がないことを言い訳せず、人から学んだり、歴史や生態系から自ら学び、仕事を通じて理解していく探究を。

他者から高く評価されるレベルに高めていくことに挑む1年にしたいのである。

身体を動かすのは誰でもできる。

けれど、身体を動かすことを味わい、動きそのものを楽しめる人間は少ない。

その希少人種が僕だ。僕だから楽しめるのだと、確信している。

「即時性」や「分かりやすさ」を消費せず、「だんだん分かっていくこと」を楽しむのである。

惜別の仙台。帰ってきたい居場所へ。

最後になるのだが、仙台ですごく仲良くなった人が沢山いる。

直接言うのが恥ずかしいのと、もう戻らないフラグが立ってしまうのでせめて文章だけでも。

仕事を辞め、島に行くことが決定した8月から、わずか3か月間なのに。

毎週のようにフットサルやバレーボールで遊び、手作りのごはんを食べ、濃い時間だったと思う。

興味関心が似ていて、コミュニティ単位で「ここにいたいな」と思える関係性。

大学生時代に感じられなかった、「役割が特になくても、自分から行きたいと思える場所」だ

何故か自然体で居られて、居心地がよくて、応援したくなる人たち。

〇こんな奇特な自分に興味を持ってくれて、一緒に遊んでくれたこと。

〇誕生日祝いのメッセージをくれたこと。

〇新年の挨拶をくれたこと。

〇バレーボールというスポーツに出会わせてくれたこと。

〇関わりを経て、自分を大切にしようと改めて思えたこと。

〇もっと健康でありたいと思えたこと。

〇一緒にパルクールで遊んでくれたこと。

一緒に体験した心地よさは、間違いなく、今の自分の自己受容感を支えている宝物である。

数多の偶然が重なった、奇跡のような出会いであった。

今は物理的に離れた場所にいるけれど、また会って、遊んで、話したい。

僕は、物理的に近いことだけが居場所感を作るものではない、と思う。

たとえ遠く離れていても、また帰ってきたいと思える場所。

それが居場所だと思う。

迎える海士町。寛容さを育てていく。

現在は海士町にいて、事前研修を受けている。

海士町は、「ないものはない」を島の経営指針に掲げて、「便利なものはないけど、必要なものはすべてここにある」と掲げている。

「~がない」ではなく、「何があるんだろう?」と受け取りに行くこと。

不便さを感じることはあるだろうけど、「ええよ、ええよ」の寛容さも自分の中で育てていきたい。

「言うは易く行うは難し」という言葉があるが、自分の常識や経験をそのままダウンロードせず、受け取ることから始めていきたい。

またいつか。

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