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別に頑張らなくったっていい


わたしって身体的な休憩は結構ちゃんととってるんだけど、心の休憩を上手くとれなくて。
1人だけ手を休めていることに、罪悪感を持ってしまうんだと思う。
そういう人、他にもいるんじゃないかなぁと思うので、今日は自分を責めてしまいがちなわたしと、同じ悩みを持つ仲間に捧ぐ。ことにする。

何か目標を掲げて、それに向かって努力している姿はすごくかっこいいし、尊敬する。
わたしもそんな人でありたいなぁなんて、思うこともある。
だからこそ、自分が「そうじゃないかも」と感じた時に、苦しくなる。

じゃあそもそも、なぜ「何かに向かって努力している人」がかっこいいと思うのかな。
その感じ方を当たり前かのように思っていたけど、理由をちゃんと考えてみよう。

まず思いつくのは、「成功者は努力している(というイメージがある)から」。
成功者っていうのは実業家や芸術家、芸能人にインフルエンサーなんて目立った成功を納めている人はもちろんだけど、昇進したり昇給したり、希望の会社に転職したり、自分のお店を持ったり…割と身近に見える場面でも見られると思う。

その成功者1人1人に聞いたわけじゃないけれど、「目標に掲げていたわけでもなく、適当にやってたらなんか成功してたわ」なんて人はほとんどいない、って想像できる。
現実そういう人もいるのかもしれないけど、そう簡単に叶えられるとはなかなか考えられないと思う。

だから、1人1人成功だと感じる目標は違っても、「成功者=努力」という印象がついているんじゃないかな。

それから、何かで成功してる人ってなんだかすごく幸せに見える。
夢を叶えているからなのか、お金持ちだからなのか、自由に見えるからなのか、人気があるからなのか…。
そう見える理由はさまざまだけど、満たされている感をひしひしと感じる。

だからわたしたちはいつの間にか「成功者」を目指し、「努力しなきゃ」と思っているんだろうな。

そう思うことは素敵なことだし、努力をすれば絶対に夢が叶うわけではなくても、しないよりは近づくと思う。だからきっと、した方がいい。

だけど、努力するのが辛くなってしまう時。
もう努力なんてもうしたくないと思う時。
自分を責めてしまっていないかな?

そういう時は、一度立ち止まってみることも必要で、それは全然悪いことじゃない。

「ここまで頑張ってきたのに、立ち止まっていられない!早く進まなきゃ!」
って思う頑張り屋さんもいると思うけど、これは本当に、「急がば回れ」。

一度立ち止まってみることで、心が楽になって、むしろスピードアップできるかもしれない。
わたしは、そう思うようにしてる。

だけど、それでも自分を責めてしまう時ってあると思う。
わたしはしょっちゅうある。

自分自身は頑張ってるつもりだけど、たぶん甘い方なんだろうな、努力とは言えないんだろうな。
って…ホルモンバランス的に不安定な時は特に。笑

でもそんな時はね、必殺。コジコジの言葉を思い出す。

「えっ悪いの?遊んで食べて寝てちゃダメ?
盗みや殺しやサギなんてしてないよ、遊んで食べて寝てるだけだよ、何が悪いの?」

これはさくらももこさんの漫画「コジコジ」の主人公、コジコジの台詞で、学校の先生に普段の過ごし方を伝えたところ先生に遊んでばかりいると怒られ、それに対しての言葉。

このセリフを初めて見た時、自分の中で張り詰めていたものが全て解けていったような感覚だった。
確かにわたしは休んでいるだけで、悪いことなんて何もしてないのに。
まるで自分を罪人かのごとく、責めすぎていたのだと気づいた。

現実、大人が本当に遊んで食べて寝てるだけだとお金を稼げず生きていけないから、まるごとコジコジのように生きることはできないけれど…。

頑張れない時があったって、全く悪いことしてないんだ、別にいいんだって思えるだけで、心はすごく軽くなる。

更に、このあとコジコジはこんなことも言っている。

先生から将来何になりたいのかと尋ねられ、

「コジコジだよ。コジコジは生まれた時からずーっと。将来もコジコジはコジコジだよ。」

と答えた。

これにもわたしは、すごく安心させられた。

わたしにだってこのコジコジのように自由に生きている頃があった。
覚えているかいないかわからないくらい小さな頃は、遊んで食べて、寝てるだけ。
それだけで存在を認められていたし、何かを目指さなければいけないなんて思う必要がなかった。
わたしはわたしでいるだけでよかった。

それなのに大人になるに連れ、「テストで何点とる」「受験で合格する」「試合で勝つ」「就職試験に受かる」「夢を叶える」…。
そんな風に何かを成し遂げることで、自分を確立しようと思うようになっていたんだ。

だけどコジコジの言うとおり、生まれた時からずーっと、今も、将来も、わたしはわたしである。
何もできなかった赤ん坊の頃から変わらず、存在するだけで価値のある1人の人間なんだ。

そう思った時、わたしは一度目を瞑って、自分の姿を赤ん坊にしてみる。
それから幼稚園、小学校、中学、高校…と成長させて、今の姿に。
そして目を開けてみたら、不思議と「なんかもう難しいこと考えなくていいかも。」と思える。

別に頑張れない時があったってよくない?

そう言ってくれるコジコジを心の中に住まわせておくと、心を休ませることができるかもしれない。

頑張ることは素敵だけれど、別に頑張らなくったっていい。
頑張らなくていいと思える自分も、誰かにそう言ってあげられる自分も、それはそれで素晴らしい。

それでも努力をしたかったら、休んだ後ですればいい。
そうしたら休む前よりも前向きにがんばれるかもしれないしね。

成功をおさめた人は幸せに見えるって言ったけど、たとえ成功ができなくったって、コジコジみたいに自分や他人を許せる人は、それはそれで幸せなのだと思う。

疲れた時には、この言葉を思い出すようにしよう。

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