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ショートストーリー【傘】

 塾の教室の明かりが消えた。そのうち事務所も明かりが消えて、最後に塾の看板の灯りが消えた。
 最後に扉の鍵を閉めて、やっと仕事を終えた安堵から中角亮太は、少し息を吐いた。
 大粒の雨が、地面を打ち付けている。
あいにく傘を持ち合わせていなかった。
「仕方ない、走って帰ろう」鞄を頭の上にして走ろうとした。靴が僅かな水溜りに入った。
 傘が中角の頭の上にあって、雨を遮ってくれた。
 それは、フードを頭に被ったジーンズにバスケシューズの吉良つかさが差した傘だった。
「どうしたんだ。こんな時間に」
「今日、鍵当番なんでしょ。事務所のホワイトボードに書いてあった」
「そうだけど、吉良さんがどうして今の時間にここにいるの?何か忘れ物でもした?」
「いいえ、昼間はいい天気だったので、先生が傘を持ってないと思って」
「わざわざ?」
「いいから。先生駅の改札口まで送ります」
「いや、だめでしょ。女子がこんな時間に」
「先生」つかさは、フードのポケットから手紙が入った封筒を中角に渡した。
「どうした。急に」
「大学には進学出来ないと親に言われた。家庭の事情は知ってる。けど、みんなが進学しているのに、自分だけ諦めるなんて出来ない。そんな子もいる事を誰か一人でも知って欲しい。友達や先生には知られたくない」
「うん。分かった。手紙読むよ。けど個人情報はお互い教え合うのはやめよう」
 雨は、吉良の差す傘を弾いた。低層のマンションが立ち並ぶこの辺りは、人通りは少なかった。暗闇の道は街灯の明かりが雨の水溜りに白く反射している。
 15分ほどのところに駅の改札口に着いた。
「傘、持って帰って」と、つかさは中角に畳んだ傘を渡した。
「いいよ。吉良さんが傘が必要になるじゃないか。しかもこんな時間に危ないよ」
「いいの、じゃ、また。先生」つかさはそう言って、走っていった。
「手紙、読むよ」
聞こえたのか、後ろ向きでつかさは手を振っていた。

 それから、時々帰りに手紙の交換をするようになった。
 つかさの父は、仕事に就かず、母親が働いているらしい。援助はできないが見守ることはできる。
 つかさは、どうして文系ではなく理数系にしたのか理由も手紙に書いた。浪人は出来ないことも書いた。
 そして、中角先生がどうして塾の講師をしているのか質問を書いた。
 それには返事がなかった。

 そうして、合格した。
「よくやったね」と手紙には誉めてくれた。
「なぜ、塾の講師をしているのか、の質問だけれど、昼間は一般の会社に勤めている。私は、大学に行きなおしたので私も学費にお金がかかってしまった。年齢も。そのため同期の女性と結婚するのに結婚費用がなかったために、塾の講師として働いたんだ」

 好きでしたよ。そう言えず、
「もうすぐ結婚されるんですね。おめでとうございます」そう手紙に書いた。

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