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なにもかも遅すぎる居酒屋の人気の秘密


私の両親が長年通い続けたとある居酒屋が、ちょうど年明けに閉店した。
私が生まれた前からあるらしいので、30〜40年続いたことになる。コロナ禍を乗り越えたご長寿のお店だ。
一風変わった居酒屋だったけれど、なぜか惹かれる魅力のあるお店だったので、忘れないようにここに綴っておこうと思う。

ご夫婦で営んでいる、席数30席くらいの小さな個人経営のお店。昔はもっと座席数も多かったらしいが、ご夫婦が年齢を重ねてから(閉店前には70代くらいだったと思う)は、席数を絞って営業していた。
営業日はたぶん、毎週木曜から日曜だと思う。
コロナの期間を終えてからは、ご夫婦の体調によって営業日が変化するので、両親は必ず、その日空いているかどうかを確認してから予約して来店していた。

すごく不思議だ。
いつ空いているかも定かではないのに、いつ行っても満席なお店だった。

そんな人気の秘密を自分なりに考察してみる。

まずは、料理の味。
メニューは焼き鳥がメインだ。
マスター(旦那さん)が丁寧に一本一本焼き上げてくれる。
普通にめちゃくちゃおいしい。
それに、奥さんが作ってくれる毎週違う小皿もまた、手が混んでいて、まさに懐かしの母の味を体現している。

そして、何より安い。
串1本100円超えないものがほとんどだ。
結構呑んで食べても、両親と私の3人で行って、1万円ちょっとにしかならない。

リーズナブルで、おいしいお店。
これもこのお店の魅力だと思う。

けれど、それだけではない、人気の秘密が私はあると思っている。
それは、何もかもが「遅すぎる」ことである。

来店して、1杯目のお酒がきたとする。
乾杯して、食べたいメニューを選んで紙にきて注文。
お通しの代わりのキャベツが出てくる。
そこからがとても長い。
最初の料理が出てくるまで、長いときは1時間かかるのだ。
お通しのキャベツで、2~3杯は、ビールを呑めてしまうくらい時間がかかる。
お酒だってそう。頼んでもずっと出てこないことも多々あるので、カウンターに行って、「ビールつぎますね!」とマスターに確認して、お客さん側がビールをつぐことも多々ある。
やっと、すべての料理が出てきて、最後に「お会計お願いします。」と言っても、1時間勘定が出てこないこともざらにある。

無理もない。
小さな居酒屋とはいえ、高齢になったご夫婦が2人で回すには座席数も多いし、普通に注文の品をすべて準備するだけでも大変だ。と。

と思ってはいたのだけれど、だからといって、お2人がずっと、料理を準備しているわけではない。
カウンターで「いっただきー。」という声とともに、普通にお客さんと一緒にお酒を呑んでしゃべっている。

無理もない。
それは、ただでさえ、大量の注文をさばかなけれなならないのに、普通にお客さんと一緒に吞んでいたら、それは食事の提供が遅くなる訳である。

といった具合なので、この居酒屋に呑みにいくと、たとえ入店が18時半とかだったとしても、遅いときは退店が、普通に12時の日付を超えることが多かった。それに、最初の料理が出てくるのが遅すぎるので、待てないし、お酒に弱い父は、いつもすきっ腹で、先にお酒だけがばがば吞んでしまって、普通にお店で爆睡している。「あら、また寝てるね。」と父はその店で寝る客として有名である。

そんなお店に、両親が長年通い続けている理由が謎だった。

「遅すぎる」のはもちろん、注文した品もよく間違えて別のものがきたり、逆にこないこともよくあった。
普通そういうときは、指摘して取り替えてもらったりするものだけれど、そうすると、また帰りが遅くなるので、その間違えたものを食べたり、こないものはこないままで、清算することも多々。
本当にちゃんと会計されているのかも定かではないので、「まあ、いつもきっと割引になってたりするだろうしね。」そんな具合で、さらっと両親は流していた。

本当に謎すぎる。

両親が共働きで、それなりに忙しい家庭で育った私。
食事で外食するときでもとにかく「安くて、早くて、正確で、おいしい。」みたいなのがコンセプトの食事をする家庭だった。
そんな両親だったからこそ、なおさら、私は両親が、このお店に通っていることの謎が深まるばかりだった。

けれど、両親と一緒に何度かそのお店を訪れてみてやっとその魅力がわかってきた。

結論から書くと、その魅力と人気の秘訣は、そこの場所で生まれる「コミュニケーション」にあるのだと思った。

あたりまえ。なのかもしれない。人が居酒屋に足を運ぶときって、きっとそこでの「コミュニケーション」を楽しむこともの含まれているから。

けど、このお店での「コミュニケーション」はいささか形態が異なる気がしている。

今の時代、誰かと食事に行ったりするときも、スマホをいじることってよくあると思う。もちろん、久しぶりに会う友だちみたいなかんじなら違うのかもしれないけれど、毎日のように顔を合わせる仕事仲間だったり、特に家族ならなおさら、メニューを注文して、その間ずっと無言で、食事がくるまでの時間をスマホを観ながら待つことって多くなったと私は思っている。

でも、このお店では、待つ時間が長すぎて、スマホをいじるのにも飽きてきてしまうのだ。もちろん、コンセントだってないので、充電が切れてしまうこともあるし、そうすると人は、本当にすることがなくなる。


というか、せっかくなら、一緒に呑みにきてるんだから、話でもしようか。みたいな具合になってくる。
もはや、会話せざるを得ない状況がそこに生み出されてくるのだ。

私の両親は言っていた。
「そのお店で待つ時間で、夫婦の会話と絆をかろうじて保っているのだ。」と。


「料理どのくらいきました?」

そしてその会話せざるを得ない状況になっているのは、私たち家族だけではない。そのお店を訪れているお客さん全員がそれに値する。
よって、そこから、また新たなコミュニケーションが広がっていく。

「私のところはまだ焼き鳥3本くらいしかきてない。」

「ですよね。」

そうやって、もはや会話のネタが一緒に来た同士ではもたなくなってきて、自然に他のお客さんへと横展開されはじめる。

そしてそこに、さらに「オーダーミス」という恰好の会話のネタがマスターによって投入されていく。

「あれ?この串って、ここのテーブルじゃなかったっけ?」
「あれ?冷ややっこ頼んだ人誰?手あげて!」

「あーこの串こっちのやつだった。もう1本食べちゃったよ。あと2本あるんんで、どうぞ。」
「いや、そしたらこっちのやつも食べませんか?まだ、そちらのテーブル注文全然きてないみたいだし。」

みたいな具合に、さらにそこにいるお客さん同士の会話が広がっていく。

これがよいことなのか悪いことなのかわからないが
それらによって、みんな友だちになっている。名付けて「待ち友」
待つ時間が長すぎて、気づいたら友だちになってたパターン。

そして、この「待ち友」たちによって、いつ空いているのかわからないのに、お店はいつも満席なのだ。
そして勘のいい方は気づいていると思うけれど、このお店の回転率はすこぶる悪い。けれど、ここにこのお店の人気の秘密があると私は思う。

今の現代(日本)において、人は「待つこと」をほとんど回避して生きることができるようになったと私は思っている。
交通手段だって、驚くほどに発展していて、いくら距離が離れていても、新幹線や飛行機を使えば、待たなくても、定期的に会いたい人に会うことができる。日常のバスや電車だって、驚くほどに便数も増えた。
それに普段行くお店だってそう。予約なんて、わざわざ営業時間になるまで待たなくても、ネットからいつでも予約できるし、「モバイルオーダー」できるお店も増えて、テイクアウトも驚くほどにスムーズにできるようになった。

あと、「対面でのコミュニケーション」これも、避けようと思えば、ほとんど回避して生きることができる。
インターネットやSNSが広まり、それに、コロナ渦もあいまって、仕事の会話も、友人との会話も、家族との会話も、すべてオンラインで済ませようと思えば、手軽にできるようになった。

でも、そうなってくると逆に「待つこと」「対面でのコミュニケーション」この2つを手軽に手に入れることができる環境がレアになってきているのではないか。と私は思う。そして、まさにここにこのお店の人気の秘密がある。と感じている。

注文して、全然料理が出てこなくて、仕方がないからはじめた家族の会話の中で、いつも家では話さないような話題に盛り上がってきて
そこに、一緒に待ちくたびれた「待ち友」たちも加わって、さらに会話が弾んで、その場自体が明るくなって、呑んでいるお酒もおいしさが増して、そこに待ちに待った料理の登場。おなかペコペコの状態にマスターと奥さんの料理が染みる。「おいしいし、楽しいし、幸せ♡」

みたいな環境って、意外と簡単に手に入れられそうに見えて、今の現代においては、天然記念物、絶滅危惧種くらい見つけるのが珍しいのかもしれない。

そのお店が閉店してから、その魅力がよく分かった。
そこまで長いこと通っていない私でさえ、思うのだから、両親は、なおさらその魅力を痛感しているのだろう。

今度、両親は、そんな「待ち友」たちとマスターと奥さんとお花見をしにいくらしい。

もしも、もしもだけれど、自分が居酒屋を将来開くのだとしたら、どんどん進歩していく世の中で、こんなある意味文明に逆行している、「待ち友」がたくさん生まれるようなお店を開きたいと思っている。





















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