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あやうく一生懸命不倫するところだった。

昨今、人々は「不倫」という言葉に非常に敏感になっている世の中だと思う。私が物心ついたときから、ドラマやニュースでその言葉を聞かない日はないくらいに世の中は不倫ブームだ。

自分が社会人になるまでは、「不倫」は私にとって、どこかの国のおとぎ話のようなものだと思っていた。
きっと、私の知らないどこか違う世界で起こっていて、まったく自分には関係のない話。
そう思っていたけれど、社会人になって大人の階段を上ると、同僚や友人、自分の身の回りにいろんな「不倫」がいたるところに存在していることに気づいた。そして、いつのまにかその相談をされるようになったりして、おとぎ話の世界だったものが、気づいたら自分の隣に座っている人の現実の世界にあるという感覚に、いささか違和感と、不思議な気持ちになったのをよく覚えている。

なぜか、不倫の相談を受ける機会が多かった私。
その話を聞くたびに、口には出せないけれど思っていたことは、「不倫は、誰も幸せにならない。」ということ。
もちろん、不倫の定義は個人によって違うと思うし、賛否両論いろんな意見があると思うけれど、私に相談してきた誰しもはいつも苦しそうで、悲しそうだった。「そこまでして、なぜ不倫するのだろう。」と疑問に思うくらいに目の前で泣いていた人だっていた。

そんな事実を目の前にしていたからこそ、私は「絶対に不倫だけはしない。」そういつの日からか心に誓っていた。

そんな私が20代後半に差し掛かったころ、マッチングアプリでとある男性と出会った。

その当時の私は、「寂しい」という感情のかさぶたが、かゆくてかゆくて仕方がなくて、かいてはいけないとわかっているのにかいて、血がでて、また傷が深くなって、かさぶたが大きくなるというのを繰り返していた時期だった。
周りの友人たちが次々に結婚し、だからといって自分にはその気配も感じられない中で、けれど、恋愛をはじめるほどの元気もないくらいに毎日クタクタになるまで働いていて、ストレスもたまりにたまって、一人で、明かりがともっていない、寒々とした家に帰ることが嫌で嫌で仕方がなくて、、、。
別に大きくなった「寂しい」という感情のかさぶたを完全になくしたいと思っていたわけではない。少しでもいいから、せめてそれをかきむしらないための絆創膏でいい。それですべてが解決できなくてもいいから。という気持ちで、いろんな男性と会っては、寝て、みたいな生活を繰り返していた。

その彼は、普通に「いい人」だった。

私は「いい人」に出会うと基本的に警戒する。
私自身の年齢も20代後半、おのずと相手の男性も20代後半から30代であることが多くて、会ったときにその対象が「いい人」だった場合、そんな男をみすみすと逃さない女はいないと思っていたから。
すごく偏見に満ちていると自分でも思うけれど、初対面、会って必ず確認するのは、相手の顔でも、相手が身に着けている服のセンスでもなんでもなくて、シンプルに左手の薬指だった。

彼の左手の薬指は光っていなかった。

その光がなかったことと、話していたら、驚くほどに波長があって、気づいたら、誰にもしゃべったことのないような身の上話を打ち明けてしまっていて、気づいたらホテルにいて、驚くほどに相性もよくて、、。
私は、ひどく自分自身が満たされている感情に浸っていた。

自分がまさか、途方もない悲しみの入り口に立っているとは知らずに、普通に恋愛感情が自分の中に芽生えていた。

彼と別れたあとも、余韻がすごくて、すぐ連絡して、向こうもすぐ連絡を返してくれて、今度の休みに、どこかデートにでかけようみたいな話になっていた。

そんなさなか、ふと気になって、LINEで交換した彼の名前を検索にかけてみた。彼はいわゆるアスリートみたいな仕事をしていたので、すぐに検索結果にたくさんひっかかった。
youtubeに彼のインタビューの動画があることがわかって、気になって、再生してみて気づいた。彼の左手の薬指が光っているということに。
そしてさらに調べてるみると、彼には妻がいて、子どもが2人いることがわかった。

膝から崩れ落ちるとはこのことかと思うくらいに、本当に私は膝から崩れ落ちて、膝に青タンができた。そしてすぐさま彼にLINEにした。
彼からの返信はこう。

「今は結婚している。」
「今は別々に住んでいる。」

まるでこれから私との未来でもあるのかと言わんばかりの回答に無性に腹が立った。怒りの感情が沸々とこみあげてくるのと同時に、涙も出てきて止まらなかった。

「絶対に不倫だけはしない。」
そう決めていた私の誓いを守り通すことを最優先に考えるなら、「即座にブロック。」それが、最優先事項であることはわかっていた。


けどね、それができなかった。
彼からは何度も電話がかかってきたし、次に会う約束だって、そのまま実行する予定で彼はメッセージを送ってきた。

電話だって、何度もとりたくなったし
メッセージだって、何度も返信したくなった。
それでも会いたいと。

2週間くらいぐるぐると、ずっと彼のことを考えて過ごした。
シンプルに彼のことが好きで好きでたまらなかった。

でも、最終的に、自分の理性なのか、よくわからない正義が働いて
会う約束をしていたその日に、本当に泣きながら、私は彼のLINEをブロックした。

今客観的に考えればわかる。
その当時の私は、本気で彼のことが好きだったわけではない。
彼は応急措置にすぎなかった。「寂しい」という感情のかさぶたをこれ以上大きくしないための絆創膏だった。
別にそれをかさぶたに張ったからといって、そのかさぶたが治るわけじゃない。

もしかすると、彼も同じ感情だったのかもしれない。
という可能性を秘めているから、きっと、私はすぐに彼のLINEをブロックすることができなかった。

「寂しい」という感情の応急処置。
根本的に治すことはできないけれど、一時的に、その痛みからは解放される。

そうお互いが理解した上でもし、私がLINEをブロックすることなくもう一度彼に会っていたとするなら、今頃私はどうなっていたのだろうか。

それを考えると今でも身震いしてしまう私は、その当時、働いた自分の理性と正義に心から感謝して毎日を送っている。
あやうく一生懸命不倫するところだった。

私は別に「不倫」を肯定したいわけでもないし、否定したいわけでもない。
けれど、この出来事を通して思ったことは

きっと誰しもが「寂しい」という感情の向き合い方に試行錯誤しているということ。

私自身はこの「寂しい」という感情ほど、怖くて恐ろしいものはないと思っている。「自分が孤独である。」よくよく考えたら決してそうではないとわかっていても、ふと沸き出てくるその感情を目の前にしたとき、私は自分が自分ではないような、正常の状態ではなくなるときがよくある。
そして、この感情は、たとえ、周りに自分を肯定してくれる、自分を好きでいてくれる人がいたとしても急に現れたりするのでさらにやっかいだ。
自分に家族がいても、友人がいても、自分が独身でも、自分に恋人がいても、自分に結婚相手がいても、ふと急に現れて、私たちの身動きをとれなくしてしまう。
そんな恐ろしい感情なのに、その感情は他人を介さない形での対処方法がないと私は思っている。自分自身で、その感情に対処することが、私は今だにできない。

私に不倫を相談してきた人たちの気持ちが私はそのときすごく分かった気がした。
仮説ではあるけれど
苦しくなるとわかっていて、悲しくなるとわかっていても
相手に会いたくなる背景にはきっと、「寂しい」という感情がある。
一時的でも、それでもいいから、その感情から解放されたい。
そう心のどこかで思っているのかもしれない。

誰しもがどこかで、どうしようもないその感情に対処しようともがいているのではないか。

そんな出来事を終えて、改めてテレビで「不倫」という言葉を耳にすると、今までとは違う気持ちになった。
きっとそこには、もがいて「寂しい」という感情と向き合おうとして、毎日を一生懸命に生きている人の気配と香りがした気がした。





















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